血の匂い

 ウィルとミナセは、午後の町を道場に向かってのんびりと歩いていた。


「お父様、今夜は何が食べたいですか?」

「そうだなあ。オムライスがいいかな」

「また、子供みたいに」

「だってミナセ、好きだろ」

「えっ? えっと……」


 顔を赤くしてうつむくミナセを、ウィルが笑った。


「あははは。いいじゃないか、子供っぽい食べ物が好きだって。ちなみに俺は、ハンバーグも好きだぞ」

「もう……」


 ミナセが頬を膨らませる。

 上目遣いでウィルを睨むミナセが、ふっと表情を緩めて、明るい声で言った。


「分かりました。では、今夜はオムライスに……」


 そこまで言って、ミナセは怪訝な顔をする。


「お父様?」


 ウィルの表情が、なぜか険しかった。


「血の匂いがする」


 言いながら、ウィルが足を早めた。


「急ぐぞ」

「はい」


 ウィルが何を感じたのか、ミナセには分からない。

 普通ではないウィルの様子に不安を覚えながら、ミナセは黙ってその後を追っていった。


 二人は歩く。いつもと変わらない、見知った人たちが行き交う町の通りを足早に歩く。

 やがて二人は道場に帰り着いた。その見慣れた門をくぐる。


 そしてミナセは見た。


 真っ赤に染まった中庭を。

 あちこちに倒れている門下生を。

 庭の真ん中に立つ、一人の男を。


「……ストラース、ですか?」


 隣のウィルが、絞り出すように言った。


「お久し振りです、先生」


 男が、表情一つ変えずに言った。

 ゆるやかに吹く風が、ウィルとミナセに、生臭い血の臭いを運んできていた。



 ミナセは立ち尽くす。

 

 幼い頃から一緒に過ごしてきた門下生が、目を開いたまま仰向けに倒れている。

 ミナセと同い年の門下生が、血の海の中で動かなくなっている。


 現実感のない光景。


「お父様……」


 ミナセがつぶやいた。

 そのつぶやきに、意味はない。

 何が起きたのか分からないまま、ただウィルを呼んだ。


 ミナセに答えることなく、ウィルが、ストラースに問い掛ける。


「理由を、聞かせてもらえますか?」


 言葉は穏やか。

 しかしその体からは、ミナセが今まで感じたことのないほどの殺気が溢れ出していた。


「俺は、今年の武術大会で優勝しました」


 ストラースが語る。


「でもね、弱いんですよ。誰も彼もが」


 淡々と語る。


「やっぱり先生は強かった。この世界で一番強いのは、間違いなく先生だ」


 表情は変わらない。

 だが、その体が徐々に殺気で満たされていく。


「その先生と、俺は戦いたかった。本気の先生と戦いたかった。だからね、殺したんです」


 異様な空気が周囲に広がっていった。


「俺には、君と戦う理由なんて……」

「あるんですよ! 俺にはね!」


 ウィルの言葉を、ストラースが鋭く断ち切る。


「理由は、あるんだ」


 そう言いながら、ストラースは、ウィルの隣に立つミナセに視線を移した。

 目を細めて、じっとミナセを見る。

 その目が、突然大きく開いた。


「ミズキさんじゃ、ないのか?」


 声が震えていた。

 急速に殺気が弱まっていく。


「ミズキさんは、八年前に亡くなりました。この子はミナセ。俺と、ミズキさんの娘です」


 ストラースの変化に驚きながら、ウィルが答えた。


 ストラースがミナセを見つめる。

 ひたすらミナセを見つめ続ける。


「そうか……。彼女は、死んだのか」


 小さな声が聞こえた。


「彼女はもう、いないのか……」


 顔が歪む。


「ストラース、君は……」


 ウィルが何かを言い掛けた。それを遮るように、ストラースの殺気が再び膨れ上がっていく。


「ならば!」


 狂気に満ちた目でウィルを睨み付ける。


「遠慮なくあなたを殺せるっていうことですね!」


 怒鳴るように言って、ストラースが大剣を横殴りに払った。

 強い風切り音を立てながら、剣が血をまき散らす。


 ウィルが、一歩前に出た。


「私、人を呼んできます!」

「ダメだ!」


 振り向き掛けたミナセを、ウィルが止めた。


「これ以上犠牲者を出してはいけない。お前も、危険を感じたらすぐ逃げなさい」


 言いながら、また一歩前に出る。


「彼は、うちの道場の師範代だった男だ。ある日突然、ここからいなくなった。俺はその時ショックを受けたものだったが」


 険しい表情で、刀を握る。


「どうやら、俺が原因だったようだ」


 そしてウィルは、刀を抜いた。


「だから、彼は俺が倒す」


 言葉と同時に、ウィルの殺気が鎮まっていく。

 その身体には一切の力みがなく、その心には、一切の乱れがない。


 まるで、静止した水のよう。


 この姿を見た相手は、剣を振ることも、槍を繰り出すこともできずに負けていく。

 少なくとも、並の相手ならば。


「先生、本気を出してくださいよ」


 ストラースが言った。


「そんなんじゃあ、俺は殺せませんよ」


 そう言ってニタリと笑う。

 次の瞬間、突如、ウィルが左に跳んだ。

 その元いた場所に、剣を横に振り切った状態のストラースが立っている。


「え?」


 二人が再び対峙した時、間の抜けたミナセの声がした。


 何が、あったの?


 ミナセにも読めていた。

 ストラースは、剣を振り上げる。右足を蹴って前に出る。

 たしかにストラースは、その読み通りに動いた。


 振り上げられた剣は、真っ直ぐではなく、右上から左下へ斜めに振り下ろされる。振り下ろすタイミングは、ウィルの二メートルくらい手前。

 ミナセはそう読んだ。


 だが。


 前に出た後の、ストラースの動きが分からない。

 気が付くと、ストラースは剣を横に振り切っていて、ウィルは離れた場所にいた。


「先生から教わった技術は素晴らしいものでしたよ」


 大振りの剣を、まるで木刀でも扱うように右手一本で軽々と持ちながら、ストラースが言った。


「相手の動きを読み、相手の心を読む。たしかに素晴らしい。でもね」


 再び、ニタリと笑う。


「どうやら、俺には向いていなかったみたいです」


 そう言うとストラースは、空いていた左手で、自分の服を握る。

 そして。


 ビリビリッ!


 着ていた服を破り捨てた。

 露わになったその上半身を見て、ミナセが息を呑む。


 その体には、無数の刀傷があった。

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