クッキー
事務所を飛び出したリリアは、お菓子屋に直行してクッキーを買った。リリアの普段の生活からすれば贅沢品だったが、リリアに躊躇いはなかった。
それを持って、真っ直ぐ一座のテントに向かう。
昨日とおとといの様子だと、シンシアに会えるのは公演の合間の可能性が高い。テントまで行ってみて、いなければしばらく待ってみようとリリアは考えていた。
テントの前までやってくると、中から歓声が聞こえてくる。どうやら公演中のようだ。テントの横を覗いてみるが、やはりシンシアはいなかった。
テントの脇に立って、公演が終わるのを待つ。
待ちながら、リリアはシンシアのことを考えていた。
あの子の目は、現実を見ていなかった。
つらい過去を思い出したくない。だから、外の世界との関係を断ってしまっている。自分の心を閉ざして、何も考えないようにしている。
私と同じだ
リリアは、明るく振る舞うことで悲しみや苦しみを忘れようとしていた。一生懸命働いていれば、何かいいことが起きるんじゃないかって思っていた。
でも、それじゃあダメなんだ
頑張っていれば何かいいことがある。そんなのは幻想だ。私は、四年以上何も起きなかった。
自分の気持ちをごまかし続けていても、現実から目をそらし続けていても、何も変わらない。
自分から変わらなければならない。自分から行動しなければならない。
だけど、それはすごく難しい。少なくとも、私にはとても難しかった。
でも、私にはミナセさんがいてくれた。社長がいてくれた。
私が救われたのは、ミナセさんと社長のおかげ。
救われるには、誰かの助けが必要なんだ。
あの子には助けが必要なんだ。
リリアは、自分の気持ちが余計なおせっかいだってことくらい分かっていた。
もしかしたら、自分はシンシアにいやな思いをさせてしまうかもしれない。
だけど、リリアは感じていた。
あの子は救いを求めている。
だから私は、おせっかいを焼く。
「よーし、やるぞー!」
リリアが決意の雄叫びを上げた時、テントの中で大きな拍手が湧いた。続いて、観客たちがぞろぞろとテントから出ていく。
「そろそろかな」
リリアがテントの横を覗き込むと、丁度シンシアが馬を曳いて出てきた。
「シンシア!」
リリアが駆け寄る。
シンシアは、リリアを見てちょっと驚いた様子だったが、そのまま馬を繋いで餌をやり始めた。
「ごめんね、また急に来ちゃって」
リリアが笑顔で話し掛けるが、シンシアの反応はない。
「えーっと、私、リリア。覚えてるかな?」
昨日の今日だ。さすがに覚えてくれているだろうとは思ったが、あまりの反応のなさに自信をなくして、もう一度名乗る。
「さっき、シンシアって呼んじゃったけど、その、あなたのこと、シンシアって、呼んでもいいかな?」
遠慮がちにリリアが尋ねた。
シンシアは、チラリとリリアを見たが、否定も肯定もせずに馬を撫でている。
「じゃあ、シンシアって呼ぶね」
ある程度覚悟はしていたが、これはなかなか手強い。
リリアは、気持ちを奮い立たせて会話を続けた。
「あのね、お客さんからクッキーをもらったの。一緒に食べない?」
そう言うと、リリアは袋から一枚クッキーを取り出した。
シンシアは……。
クッキーを見ている。
じっと見ている。
「どうぞ」
リリアが、クッキーをシンシアに差し出す。
シンシアがそれを見ている。
しっかりと見ている。
「さあ」
リリアが、クッキーをシンシアの目の前に差し出す。
それをシンシアは……。
受け取った。
よしっ!
心の中で、リリアがガッツポーズをする。
「食べてみて」
そう言いながら、リリアはもう一枚クッキーを取り出して、目の前で食べてみせた。
パキッ!
少し堅めのクッキーが、小気味よい音を立てて砕ける。
シャクッ、シャクッ、シャクッ
リリアがクッキーを味わう。
ゴクッ
リリアが目を細めて飲み込む。
「おいしい~」
頬に手を当てて、リリアが幸せそうに微笑んだ。
シンシアはそれを見て……。
パキッ!
クッキーをかじった。
シャクッ、シャクッ、シャクッ
シンシアがクッキーを味わう。
ゴクッ
シンシアが、目を細めて飲み込む。
「ハァ」
シンシアが、小さなため息をついた。
表情は変わらない。
でも、リリアは確信した。
いける!
リリアが残りのクッキーを口に運ぶ。
シンシアも残りを口にした。
一枚を食べ終わると、シンシアが黙り込んだ。
「もう一枚どう?」
リリアが、袋からクッキーを取り出してシンシアに差し出す。シンシアは、少しだけ躊躇った後、それを手に取った。
リリアも、新しいクッキーを取り出して食べる。
パキッ!
シャクッ、シャクッ、シャクッ
二人は無言でクッキーを食べる。会話はない。
でも、リリアは嬉しかった。ちょっとだけ、シンシアとの距離が縮まった気がした。
ちょうど二枚目のクッキーを食べ終わった時、奥から声が聞こえる。
「シンシア! 餌やりが終わったらこっちを手伝っておくれ!」
その声に、シンシアがビクッと反応した。
「あ、ごめんね。仕事中だったよね」
そう言うと、リリアは袋をシンシアに手渡した。
「まだ二枚入ってるから、後で食べて」
袋を受け取り、黙って佇むシンシアに手を振りながら、リリアはテントを離れた。
「また来るね!」
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