帰還

「まだなのかしら」


 そわそわした様子で、夫人が西を見つめる。


「落ち着きなさい、エレーヌ」


 そう言う公爵の右足も、つま先がトントンと地面を叩き続けていた。


 セルセタの花の入手に成功。

 ロイは、その煎じ薬を飲み、無事回復に向かっている。


 その知らせを受けた時、夫妻は抱き合って喜びを分かち合った。

 何年もの間寝たきりだったロイ。小さな体で病気と闘い続けたロイ。

 そのロイが、回復に向かっている。


 ロイたちの帰還予定の日、二人は、居ても立ってもいられず町の外まで迎えに来ていた。公爵夫妻の一団から少し離れたところには、シンシアとフローラが、やはり落ち着かない様子で一行の帰りを待っている。

 出発の時とは違って、今日は見事な晴天だ。西に向かってまっすぐ伸びる街道は、かなり遠くまで見通すことができた。

 その街道の先から、こちらに向かって駆けてくる騎影がある。ロイの帰りを待ち切れずに公爵が出した斥候だ。

 騎乗の兵士は、公爵一団の手前まで来ると、馬から飛び降りて公爵の前に駆け寄る。そして、はっきりとした声で言った。


「申し上げます! ロイ様のご一行はまもなく到着。ロイ様は、お元気な様子です!」

「そうか、ご苦労だった。下がって休んでくれ」

「はっ!」


 報告を聞いた夫人が、公爵の手を握る。

 到着が近いことを知ったシンシアとフローラも、どちらからともなく手をつないで西を見つめた。


 やがて。


「見えました!」


 兵士の声を聞くまでもなく、全員がその集団を見付けていた。

 先頭を、逞しい面構えの男と、優しい顔立ちの男が馬を並べて進んでくる。その後ろに騎兵が続き、さらにその後方に、馬車が数台並んでいた。

 集団は、待ち受ける人々の近くまで来ると、先頭の男の合図で騎兵が散開し、後方の馬車を前に通す。それを守るように先頭の二人が馬車の前を進み、公爵の前で素早く馬を下りると、一礼して、馬車の扉を開けた。


 馬車からは、女が一人、最初に降りてきた。

 それに続いて、先に降りた女の手を借りながら、慎重な足取りで男の子が降りてくる。

 最後に、女がもう一人。


 馬車から降りた男の子は、二人の女に両側を支えられながら、自分の足で、地面に立った。


「あぁ……」


 夫人が思わず声をもらす。口元を押さえるその手が震えている。

 公爵は、微動だにせず、真っ直ぐ男の子を見つめていた。


 男の子が、二人に向かってゆっくりと歩き始めた。一歩、また一歩、足元を睨み付けるように、真剣な表情で歩みを進める。

 ふらつく体を支えられながら、男の子は夫妻のもとを目指して歩く。時間を掛けて、ようやく二人の目の前に辿り着いた男の子が、両側の女を見上げた。それを合図に、女たちがそっと男の子から離れる。


 自分の足だけでその場に立った男の子が、顔を上げて、笑顔で言った。


「ただいま戻りました」

「ロイ!」


 夫人がロイを抱き締めた。

 愛する息子の体温を確かめるように、涙に濡れるその頬を、ロイの頬にしっかりと押し当てる。


「よく、戻ったな」


 公爵が、ロイの頭に大きな手を置く。

 無骨なその手は、柔らかな髪をそっと撫でながら、小さく震えていた。


 護衛の兵士が空を睨む。

 斥候を務めた兵士がたまらず後ろを向く。

 メイドたちは、両手で顔を覆っていた。


 暖かい日差しが三人を包む。


 何年もの間、祈り、願い、信じ続けたことが、今叶った。父と母と子は、お互いの温もりを感じながら、喜びを噛みしめていた。



 ロイの髪を撫でていた公爵が、ふとその手を下ろして、ロイの後ろに控えている者たちに声を掛けた。


「カイル、アラン、フェリシア、ミア。本当によくやってくれた。心から礼を言う」


 そう言うと、公爵が深々と頭を下げた。それに倣うように、夫人も立ち上がって頭を下げる。

 ただの傭兵と一般市民に、公爵が頭を下げるなど異例のことだ。驚く四人の中でも、特にフェリシアは目を見張っていた。


「我々は、ご依頼の仕事を為しただけですから」


 慌てて返事をするカイルに、公爵が言った。


「セルセタの花の入手は、わしが指揮を執ったとしても困難な作戦だった。それを、皆は成功させたのだ。謙遜することはない」

「はっ! 恐縮です」


 続けて、公爵がフェリシアに声を掛ける。


「フェリシア、ケガはもう治ったのか?」

「はい、おかげさまで」

「そうか。それは何よりだ」


 フェリシアが、またも驚きながら答えた。

 公爵が、今度はミアに話し掛ける。


「ミア。一時は意識を失ったと聞いたが、体に異常はないのか?」

「は、はい! 元気になりました!」

「そうか。それは良かった」


 ミアの声もうわずっている。

 ミアに大きく頷き、再びカイルに向き直ると、表情を引き締めて公爵が聞いた。


「カイル。この作戦で、死亡者は出たか?」

「はい。残念ながら、二名ほど」

「そうか……。大切な兵士を失わせてしまったな。済まなかった。その者たちの家族には、別に報償を出そう。兵士たちの冥福を祈っておる」

「はっ! もったいないことでございます」


 正規軍の兵士ならともかく、傭兵の生死など、雇い主からすれば大したことではないはずだ。それを気に掛け、なおかつ別途報償を出すなど、普通はあり得ない。

 公爵が振り返って、今度はロイに話し掛ける。


「ロイ。お前の命は、ここにいる多くの者たちと、死んでいった者たちの尽力によって保たれた。このことを、お前は一生忘れてはならんぞ」

「はい!」


 力強く答えたロイが、一歩前に出る。

 そして、精一杯の声を張り上げた。


「僕は、皆さんのおかげで元気になることができました! 僕は、皆さんのことを忘れない! だから、僕がいつか将軍になったら……」


 兵士たちに向かって、ロイが言った。


「また僕に力を貸してください!」

「はっ!」


 ザザッ!


 兵士たちが姿勢を正す。その顔は、一様に誇らしげで、かすかに微笑んでいた。


「くそったれな上官にムカついて軍を抜けた俺だが」


 同じく姿勢を正すカイルが、アランにつぶやく。


「また誰かに仕えるのもいいかななんて、久し振りに思っちまったぜ」

「ほほぉ。それはそれは」


 公爵親子を見つめながら、アランも楽しげに微笑んだ。



 公爵親子が馬車に乗り込み、町の門をくぐって行くと、それを待っていたかのように二人の少女が駆け出した。


「フェリシア!」


 シンシアがフェリシアに飛び付く。


「ミア!」


 フローラがミアを抱き締める。


「左手、平気?」

「ありがとう。もう大丈夫よ」


 シンシアとフェリシアが微笑みを交わした。


「あなた、死に掛けたって聞いたけど!?」

「大袈裟だよ。ちょっと気を失ってただけ」

「もう、心配させないで!」


 フローラの涙をミアが拭う。


 そんな四人に、カイルとアランが声を掛けた。


「フェリシア、今回もいい仕事振りだったぜ」

「ミアさん、私はあなたを尊敬しますよ」


 讃辞の言葉に、ミアは照れ笑い。

 フェリシアは、にこっと笑って言った。


「あなたたちとなら、また仕事をしてもいいわ」

「嬉しいこと言ってくれるねぇ」


 カイルが豪快に笑う。


「まあ今夜はゆっくり休んでくれ。お疲れさん!」


 こうして、セルセタの花入手作戦は、無事終了した。

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