お皿と料理と星空と

 ドンドンドン


 薄っぺらい板でできた扉が大きな音を立てる。


「うるさい、誰だ!」

「こんばんは。エム商会のヒューリです」


 ……


 相変わらず反応はない。

 それでもヒューリは、じっとその場に立って待っていた。

 しばらくすると、ガタガタと音がして扉が開く。


「何の用だ?」


 愛想の欠片もない表情で、ゴートが顔をのぞかせた。

 そんなゴートに、満面の笑みでヒューリが言った。


「ゴートさんに、受け取ってほしいものがありまして」

「受け取ってほしいもの?」

「はい。あの、中に入れていただいてもいいでしょうか?」


 ニコニコ笑うヒューリの顔をじっと見つめていたゴートが、ゆっくりと向きを変えながら、ぼそっと言った。


「入れ」



 家の中に入ると、ヒューリは持っていた大きな鞄を床に置き、表情を引き締めて頭を下げた。


「先日は、大切なお皿を割ってしまって本当に申し訳ありませんでした!」


 直角に腰を曲げて、ヒューリが詫びる。

 ゴートは、ちょっと驚いた顔をした後、相変わらず不機嫌そうな声で言った。


「ふん。そんなことを言いに、わざわざ来たのか?」


 以前のヒューリだったら、ここで拳を握り締めていたところだろう。

 だが、ヒューリは明るい声で答えた。


「はい、そうです。でも、それだけじゃありません」


 そう言うと、鞄から箱を一つ取り出した。

 その箱を開け、紙に包まれた平べったいものを取り出すと、それをテーブルに置く。紙を剥がすと、それは可愛い小鳥が木の実をついばむ姿を描いた平皿だった。


「なんだこれは?」

「はい、お皿です」

「そんなことは分かっとる! なんでこんなものを持ってきたのかと聞いとるんだ!」


 声を荒げるゴートに、まったく動じることなくヒューリが答えた。


「ゴートさんに使ってもらおうと思いまして」

「ふん、わしはそんなもの……」

「これ、サラさんと一緒に選んだんです」

「サラと?」


 意表を突かれたのか、ゴートが黙り込んだ。


「だが、なぜ三枚なんだ?」


 そう。テーブルの上には、同じ絵柄の皿が三枚並んでいた。

 中途半端なその数に、素の表情でゴートが聞く。


「それは、ゴートさんと、サラさんと、私の分だからです」

「何だと?」


 再び意表を突かれたゴートが、黙ってヒューリを見つめる。


「今日は、これで私の手料理を食べてもらおうと思います。サラさんも、仕事が終わったら来てくれるって言ってましたので、一緒にと思って」

「手料理?」

「はい。ちなみに私、料理はまったくしたことがありません。だからゴートさん、覚悟しておいてくださいね!」

「!?」


 意外続きで、さすがのゴートも言葉がない。


「台所借りますね。あ、いちおう料理の上手な同僚に習ってきましたから、人間が食べられるギリギリのものはできると思います」


 唖然とするゴートの前で、鞄から食材やら包丁やらを取り出して、ヒューリが料理を始めた。

 野菜を洗い、皮を剥き、適当な大きさに切る。


「いてっ!」

「ちくしょー!」

「あっ!」


 料理中には聞きたくない言葉が次々と聞こえてきた。

 肩に力が入り、右肘が上がっている。包丁の使い方がまるでなっていない。


「お、おい……」


 ゴートが何かを言い掛けた時、今度は竈に大きな炎が上がる。


「あちちっ! このー、負けるかぁ!」


 何を作っているのか分からないが、そのダイナミックな動きは、とても料理をしているとは思えなかった。


 やがて、料理が終わる。

 皿に盛りつけられたそれを持って、ヒューリが自慢げにゴートに言った。


「さあ、召し上がれ。私の渾身の料理です!」

「これは、何だ?」

「これですか? 見ての通り、野菜炒めです」


 そこには、人参とキャベツともやし、だと思われる、やけに大きくカットされた野菜が、直火で焼いたのかと思うほど焦げた状態で盛られていた。

 ゴートは呆然とそれを見て……。


「ハッハッハッハッ!」


 突然笑い出した。


「お前、本当に料理ができんのじゃな! ハッハッハッハッ!」


 ヒューリがびっくりするほどの大きな声で笑った。


「ま、まあ、味は悪くないと思いますので、とりあえず席にお座りください」


 テーブルについたゴートの前に野菜炒めを置くと、ヒューリは鞄からまたいくつかのものを取り出した。


「私が失敗した時に備えて、同僚に作ってもらった料理も持ってきました。それと、酒も」


 そう言いながら、ヒューリは持参した料理と酒をテーブルに並べていく。

 わざわざグラスまで持ってきたらしく、そのグラスに酒を注いでゴートに差し出した。


「サラさんは後から来てくれると思うので、お先にいただいちゃいましょう!」


 自分のグラスにも酒を注いで、ゴートのグラスに軽く当てた。


「ゴクッゴクッ……プハァー、うまいっすね!」

「まったく、勝手な奴だ」


 呆れ顔でヒューリを見ていたゴートも、諦めて酒をあおる。


「ん!? これは……」

「どうです、いけるでしょ?」

「残念だが、悪くない」

「でしょ! さあさ、もう一杯」


 お酌をするヒューリの顔は得意げだ。


「続けてこれもどうぞ!」


 ヒューリが野菜炒めを勧める。

 目の前に盛られた黒っぽい料理にゴートは引き気味だったが、それでも、黙ってそれを口に運んだ。


「……最悪だな」

「えぇぇっ!」

「お前も食べてみろ」

「じゃあ、いただきまーす!」

「どうだ」

「ごめんなさい……」


 一口食べて皿を遠ざけるヒューリの前で、ゴートは、ぶつぶつ言いながらそれを食べ続けた。


「まったく、こんなにまずいものを食べたのは生まれて初めてだ。もうちっとましな料理は作れんのか」

「ゴートさん……」


 ムシャムシャと野菜炒めを食べるゴートを、ヒューリがじっと見つめる。黙ってその食べる姿を見つめている。

 やがてヒューリが、ちょっと鼻をすすった後、元気な声で言った。


「さあ、こっちの料理もいかが? これは絶対にうまいですよ! 何たってうちの自慢のリリアちゃんが作った……」


 ゴートは、勧められるままに料理を食べ、注がれるままに酒を飲んだ。

 そんなゴートの正面で、ヒューリも楽しそうに笑い、一緒に食べて、一緒に飲んだ。


「ところで、ゴートさんっておいくつなんですか?」

「六十五だ」

「えっ、そうなんですか? ずいぶんと若く見えますね」

「ふん、当たり前だ。今時の若いもんにはまだ負けん」

「ちなみに、奥さんと結婚したのっていつですか?」

「そんなこと、とうに忘れたわい」

「ちょっと、ごまかさないでくださいよー」

「う、うるさい!」

「あ、照れてる」

「黙れ!」

「あははは」


 相変わらずゴートは愛想がない。

 そんなゴートに遠慮なくヒューリが話し掛ける。話し掛けて、笑って、また酒を注ぐ。

 笑うヒューリの正面で、ゴートが酒を飲む。リリアの料理と、真っ黒い野菜炒めをつまみにしながら、ゴートが酒を飲み続ける。


「ふん、まったくお前は騒々しいやつだ」


 そう言って、ゴートが酒をあおった。


「だがこの酒は……まあ、悪くない」


 そう言って、ゴートは酒瓶を持ち上げると、その口を、ヒューリの側へと傾けた。



 一度シンシアが、真剣にリリアに聞いたことがある。


「リリアは、なんで、あのおじいちゃんが、平気なの?」


 その質問に、リリアは笑って答えた。


「だってあのおじいちゃん、殴ったり蹴ったりはしないもん」

「……」

「それにね」


 リリアが続ける。


「あのおじいちゃん、すぐに”もう帰れ!”って言うくせに、絶対にね、”もう来るな!”って言わないんだよ。かわいいよね!」


 たちの悪いクレーマー。

 誰もが嫌がるおじいちゃん。


 だけどリリアは、ゴートのことをよく分かっていたのかもしれない。

 そして今、その懐に強引に飛び込んだヒューリは、グラスを差し出しながら思う。


 このおじいちゃん、嫌いじゃないかも


 ゴートが無言で酒を注ぐ。

 ヒューリがそれを一口で飲み干す。

 グラスをテーブルにコトリと置いて、ヒューリは笑った。


 やっぱ私、この仕事大好きだ!


「何をニヤニヤしておる」

「え? 何でもないです」

「ふん、気持ち悪いやつだ」


 ゴートの悪態とヒューリの笑い声が響く。

 そこに、明るい声が入ってきた。


「遅くなりましたぁ!」


 扉を閉めながら、サラがなぜかニコニコしている。


「お帰りなさい」

「遅い!」


 ゴートは相変わらずだ。


「ちょっとゴートさん! サラさんは働いてきたんですよ?」


 ヒューリがゴートをたしなめた。

 ゴートが、一瞬ひるむ。だが、すぐに不機嫌な声で反撃に出た。


「ふん、そんなことよりお前の料理だ。もっと料理の勉強をせんか!」

「じゃあゴートさん、試食してくれますか?」

「うむむ。まあ時々なら、してやらんこともない」

「ゴートさん、なかなか度胸ありますね」


 サラは、やっぱりニコニコしている。


 おじいちゃん、嬉しそう


 鞄を脇に置いて、サラが席に着く。

 夜風で冷えた体に、暖かい空気がとても心地良かった。



「ヒューリ、うまくやれたみたいですね」

「そうですね」


 少しの間扉の前で佇んでいたサラが、くすりと笑いながら家に入っていったのを見届けて、二人は通りを歩き出した。


「それにしても、あのヒューリが料理とは。正直驚きました」

「ヒューリは頑張り屋さんですからね」

「頑張るだけならサルでもできるって、言ってませんでしたっけ?」

「その通りです。でもね、やっぱり、頑張らなきゃ何も始まらないんですよ」

「たしかにそうですね」

「そうなんです。それにね、頑張ってる人を見ていると、応援したくなるでしょう? だからやっぱり、頑張るって大切なんですよ」

「なるほど。じゃあ、頑張らないと社長に見放されちゃいますね」

「それは大丈夫です。俺は、うちの社員を見放すようなことはしません。頑張れなくても、成果が出せなくても、何があろうとも、絶対に見放しません」

「社長……」

「何たってみんなは、俺の自慢の社員ですからね!」


 夜風が黒髪を揺らす。今夜は少し肌寒いようだ。

 だが、そんなことは少しも気にならない。


「何だか私も、怒られたくなっちゃいました」


 小さな声でそう言って、ミナセは突然走り出した。


「えっ、何ですか?」

「何でもありません!」


 びっくりしているマークを振り返ることなく、ミナセは走る。


「ミナセさん!?」


 やっぱり分からない、ミナセの気持ち。

 マークが慌てて追い掛ける。ミナセが嬉しそうに逃げていく。


 見上げれば満天の星。

 頬を染め、はにかむように微笑むミナセの表情は、まるで少女のように初々しかった。



 第七章 了

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