絶対見付け出す

 彼方へと続く真っ直ぐな道。

 目を凝らしても、その行き着く先は見えない。


 だけど。


 このまま歩いていけば、素晴らしい出来事が待っているような気がしていた。

 本当の幸せが待っているような、そんな気がしていた。


 それなのに。


 ヒューリは、その道から足を踏み外した。

 それは、自分でも思いもよらないことだった。


 その足元に、道などなかった。

 その目には、映るものなど何もなかった……。




「それは、会社を辞めるということか?」


 マークの問いに、ヒューリの感情は、答えを言わせた。


「……そうです」


 言ってしまった。

 そんな質問をされなければ、たぶん口にはしなかったであろう言葉。

 最悪の状態、最悪のタイミングで投げ掛けられた、最悪の問い掛け。

 それに、自分は答えてしまった。


 視線は動かない。

 テーブルのカップを見つめたまま、ヒューリは微動だにしなかった。

 しかしその心臓は、破裂するかと思えるほど激しく脈打っていた。


 私の言葉に、社長はどう答える?

 どう答えてくれる?


 ヒューリがマークを待つ。

 そのマークが、ヒューリに向かって言った。

 

「そうか。では仕方がないな」

「!」


 ヒューリの体がビクッと震える。

 それ以上に、ヒューリの心は震えていた。


 自分で出した答え。それにマークは応じただけだ。

 それなのに、ヒューリは大きな衝撃を受けていた。

 

「で、この町を出てどこに行くんだ?」

「……分かりません」


 静かに聞くマークに、ヒューリはそれだけ答えるのがやっとだった。


 ヒューリの脳裏に様々な情景が浮かんでは消えていく。

 ミナセやリリアとの出会い、マークとの面接、シンシアやフェリシア、ミアとの思い出。


 かけがえのない仲間たち。

 私の、帰る場所。


 ヒューリの瞳が揺れる。

 ヒューリの心が揺れる。


 再び、マークの声がした。


「ヒューリ、お前は自由だ。だから俺は、お前が会社を辞めて旅に出たいというのなら、止めはしない」


 鼓膜に響く、マークの言葉。

 ヒューリの胸に広がっていく、深い絶望。


 私は、また失敗したのか?

 私はやっぱり成長していないのか?


 ヒューリの目に涙が浮かぶ。


 やってしまったのだ。

 私は、やってはいけない過ちを、また犯してしまったのだ。


 暗闇がヒューリを覆っていく。

 涙が視界を歪めていく。


 その涙が今にも溢れ出しそうになった、まさにその時、黙っていたマークが再び話し出した。


「だが、これだけは覚えておけ」


 凄みのある声が、ヒューリを小さく反応させた。

 それは、胸ぐらを掴まれて強引に引き寄せられるような、迫力のある声だった。


 そしてヒューリは、続くマークの言葉で、顔を上げた。


「俺は、お前が帰ってくるのを待っている」


 そこには、真っ直ぐ自分を見つめるマークがいた。

 マークが、もう一度同じことを言う。


「俺は、お前が帰ってくるのを、待っている」


 ヒューリの鼓動が高鳴る。

 冷え切っていた心が、熱を帯び出した。

 

「でも、待っている期間はたぶん短いだろう。間違いなく、俺も、そしてみんなも、そんなに長いこと我慢はできないからな」


 それは、どういう……?


 急激に動き始めた自分の心に戸惑いながら、ヒューリがマークを見つめる。


「もし、俺やみんながお前を待ち切れなくなったら、この会社をたたんで、俺たち全員でお前を探しに行く」

「会社をたたんで!?」


 驚くヒューリをマークが見つめる。

 漆黒の瞳の奥から、神秘的な輝きが溢れ出す。


「俺たちは、お前がどこにいようとも、必ずお前を探し出す」


 ヒューリの目が限界にまで広がった。


「大陸中を旅してでも、お前を探し出してみせる。たとえお前が死んでしまっていたとしても、そこにお前の魂が残っている限り、俺たちは絶対にお前を見付け出す。お前の体、お前の持っていた物を、迷うことなく、間違えることなく見付け出してみせる」

「!」

「だからヒューリ。お前がどこかに行きたいと言うのなら、どこへでも行くといい。気が済むまで旅をするといい。でも俺たちは、何があろうともお前を連れ戻す。何があろうとも、絶対にお前を諦めない。天地がひっくり返ろうとも、諦めるなんてことはあり得ない!」


 強烈な光を湛えた瞳が自分を見つめている。

 その瞳に、ヒューリが吸い込まれていく。


 心が震えた。

 魂が震えた。

 体中に鳥肌が立った。


 マークの放つ光が、闇を払っていく。


「そんなこと……」


 か細い声で、ヒューリが言う。


「そんなこと言われたら、私、どこにも行けなくなっちゃうじゃないですか」


 なじるようにマークを見る。


「そんなこと言われたら、私……」


 ヒューリの目に、再び涙が浮かぶ。

 そしてそれは、今度こそその目から溢れ出した。

 

「ズルい、ズルいです」


 両手で顔を覆いながら、マークを責める。


「ズルいよ、社長」


 涙声のヒューリに、マークが言った。


「決心を鈍らせちゃったか? 悪いな」


 バカ。

 社長のバカ!


 取り返しのつかないミスをしてしまった。

 みんなの誇りを穢してしまった。

 だから、私はここからいなくなろうと思っていたのに。


「俺たちは、お前がどこにいようとも、必ずお前を探し出す」


 そんなことを言われたら。


「たとえお前が死んでしまっていたとしても、そこにお前の魂が残っている限り、俺たちは絶対にお前を見付け出す」


 そんな無茶苦茶なことを言われたら。


 胸の高鳴りが収まらない。

 鼓動がもとに戻らない。


 嬉しさが、喜びが止まらない!


 すでに涙はない。

 だが、ヒューリは両手を顔から外すことができなかった。


「ヒューリ。会社を辞めるのは諦めてもらえたか?」


 コク


「もうどこかに行くとか言わないか?」


 コクコク


「そうか」


 頷くことしかできないヒューリの前で、マークが笑ったような気がした。

 そのマークが、急に大きな声を出す。


「じゃあ、それをみんなにも言ってもらおうか」


 そう言うと、マークは突然立ち上がって歩き出した。

 そして、いきなり玄関の扉を引く。


「きゃあ!」

「あわわ」


 手前に引かれた扉と一緒に、五人が部屋に倒れ込んできた。


「みんな!」


 驚いたヒューリが、立ち上がってみんなを見る。


「てへへ」


 折り重なった五人の一番上で、ミアが照れくさそうに笑っていた。

 ヒューリの胸が熱くなる。


 私は、この仲間を捨てようとしていた


「ごめん、みんな……」


 ヒューリが謝る。

 そこへ、畳み掛けるように、抗議の声が飛んだ。


「ひどいです、一言も相談してくれないなんて!」

「ヒューリのバカ」

「ヒューリさんとならどこへでも一緒に行くのに!」

「ミア、今はボケるタイミングじゃないわ」


 文句が飛び交う中、ミナセが立ち上がって、ヒューリの側にやってきた。

 そして、厳しい表情で言った。


「私は……私たちは、お前にとってそんなに軽い存在だったのか?」

「ミナセ……」

「社長の言った通りだ。お前がどこかに行くなんて許さないし、どこに行ったって、お前を必ず見付け出してみせる」


 ミナセが、ヒューリの肩をがっちりと掴んだ。


「だから、もう二度と、会社を辞めるなんて言わないでくれ。どこかに行ってしまうなんて言わないでくれ」


 その目には、涙が浮かんでいた。


「ごめん……ミナセ……ごめん……」


 ヒューリの瞳も潤んでいく。


「ヒューリさん!」


 リリアが、シンシアが、ミアが飛び込んでいった。

 フェリシアが笑いながら泣いていた。

 ミナセがヒューリを強く抱き締めた。


「ごめん、ごめん……」


 謝り続けるヒューリと、抱き合う社員たち。

 そのみんなに背を向けて、マークが窓辺に歩み寄る。


 夜空に光るたくさんの輝き。

 それを見上げながら、マークは長く、大きく、息を吐き出していた。




 未来へと続く真っ直ぐな道。

 目を凝らしても、その行き着く先は見えない。


 だけど。


 振り返ると、そこには大切な仲間がいた。

 かけがえのない仲間たちがいた。


 私は、もう迷わない


 ヒューリが前を見る。

 広い背中を見つめる。


 私の幸せは、きっと……

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