父と娘
「一人でやれるか?」
「はい、問題ありません」
父の問いに、娘は平然と答えた。
そして静かに走り出す。
視野を広く持ち、全体を見極めて、娘は剣を抜く。
あくまで冷静に。
目指すのは、静止した水のような心。
表情一つ変えることなく、娘は魔物の群に飛び込んでいった。
「三手先の攻撃を組み立てるのが遅い。目の前の敵に集中している時間が長過ぎる」
「はい……はあはあ……すみません……」
「狙う場所を間違えると、無駄な力を使うことになる。一振りで、効率よく敵を倒すんだ」
「はあはあ……分かりました」
数十体の魔物をたった一人で倒して戻ってきた娘に、父は容赦のない指摘をしていく。
娘も、それが当然だとばかりに頷いていた。
厳しい言葉を続けていた父が、すべての指摘を終えると、ようやく表情を緩める。
「それにしても」
その目が、優しい父の目に変わった。
「強くなったな、ミナセ」
ミナセは、十四才になっていた。
同じ年齢の娘たちが時折幼さを見せるのと違って、ミナセはとても大人びている。
艶やかな黒髪と、神秘的に輝く黒い瞳。
穏やかな物腰と、落ち着いた雰囲気。
ミナセが町を歩けば人々が振り向いた。
初めてミナセを見る旅人は、その姿に必ずと言っていいほど目を奪われた。
母から受け継いだ美貌。
誰もが認めるその美しさ。
そんなミナセを、しかし父親であるウィルは徹底的に鍛え上げた。年長の門下生でさえ怯むような試練を課し、自らの手で容赦なくミナセを打ちのめす。その修行は、道場を離れて町の外でも行われた。
魔物を狩り、山賊を討伐する。
平原で剣を振るい、山中で死闘を繰り広げる。
狭い洞窟の中で戦い、新月の暗闇で敵と向かい合う。
ミナセが何度も死を覚悟するほどの過酷な修行。ウィルはそれを険しい表情で見つめ続け、ミナセはそれを、鬼気迫る表情でこなしていった。
そしてミナセは強くなる。
門下生ではもう相手にならない。
先読みの精度は群を抜いて緻密。
魔力への感度は飛び抜けて鋭敏。
十四才にして、ミナセはウィルを唸らせるほどに強くなっていた。
「お父様、お食事ができました」
「分かった、今行く」
ミナセの声で、ウィルは、刀の手入れを止めてテーブルについた。
ミズキが亡くなってから、ミナセは本格的にウィルから料理を習い始めた。住み込みの門下生や、時には友達の母親からもいろいろ教わって、徐々にそのレパートリーを増やしていく。
家庭料理ばかりの素朴な味だったが、ウィルや、時々お裾分けに預かっている門下生たちからはなかなか好評だった。
掃除や洗濯なども、ウィルにかわってミナセが行うようになっている。
遠くを見つめたまま立ち尽くすウィルを見る度に。
愛刀を握り締めたまま動かないウィルを見る度に。
ミナセは、何かをするべきだと思った。
ウィルと一緒にいたい。
ウィルと一緒にいたほうがいい。
そう思ったミナセは、ウィルと一緒に家事をして、ウィルと一緒に剣の修行をした。
そしていつの頃からか、ウィルのかわりにミナセが家事をするようになり、そんなミナセを嬉しそうにウィルが見つめ、その視線を、嬉しそうにミナセは受け止めるようになっていた。
親子の食事は静かだ。気まずいということではないが、会話が弾むという雰囲気でもない。
そんな食事の最中に、ミナセが珍しく質問をした。
「お父様、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「その……どうして部屋に飾ってあるあの刀を、お使いにならないのですか?」
ずっとミナセは気になっていたのだ。
ミナセの記憶によれば、以前のウィルは、あの刀を持ち歩いていた。それがいつの頃からか、手入れの時以外はそれを持つことをやめている。
聞いてみたいけれど、聞いてはいけないような気がしてずっと黙っていたのだが、意を決して、ミナセはウィルに問い掛けたのだった。
「うーん、そうだなあ」
ウィルは、そう言って考え込む。
困ったというよりも、どう話すかを迷っている様子だ。
やがて、ウィルが言った。
「あれはね、とんでもない刀なんだ」
ウィルに言われるまでもなく、ミナセにも分かっていた。
ミズキの形見。ミズキの最高傑作。
以前からウィルが腰に差している刀を、ミナセは時々使わせてもらっていた。その独特の使い方を修得するために、実戦でも何度か試している。
ミズキが生まれ故郷で作ったという刀。
安物の防具を斬ったくらいでは、その感触さえ感じないほどの業物。
しかし、部屋に飾ってあるあの刀は、間違いなくそれを超える名刀だ。
鞘から抜いた瞬間、刀身から不思議な力が溢れ出すのを感じる。
当てただけで、懐紙がすうっと斬れてしまうほどの切れ味。ひと振りすれば分かる、強さと粘り強さ。
アダマンタイトでできたその刀は錆びることもないし、使うことがないのだから汚れることもない。だがウィルは、数日に一度は、拵えも含めて念入りに手入れをしていた。
思い入れがあるのは分かる。
だが、刀は武器だ。使ってこそミズキも喜ぶのではないか。
そんな風にミナセは考えていた。
そのミナセに、ウィルが突然聞いた。
「鉱山の小屋にあった、大きな剣を覚えているかい?」
「はい。真っ二つにされていた、あの大剣ですよね?」
なぜ今その話が?
ミナセが首を傾げる。
「そうだ。その大剣をね、俺は、あの刀で斬ってみようとしたことがあるんだよ」
「あの刀で?」
ミナセが驚く。
ミナセも、大剣の切り口は見ていた。それは折れたのではなく、まさに切り裂いたとしか表現できないほどに鮮やかな切り口だった。
「二つにされた刀身の片方を木にくくりつけて、俺の持つすべての技術と力を使って斬りつけてみたんだ」
「それで、大剣は斬れたのですか?」
「それがね、残念ながらだめだったよ。刀は見事に弾き返された。あの刀が刃こぼれするとか傷付くとかはなかったし、逆に大剣には深い傷を付けることはできたんだけど、とても切断できるっていう気はしなかった」
「でも、じゃああの大剣はどうやって?」
ミナセが身を乗り出してくる。
ウィルは、そんなミナセを見て微笑み、そして意外なことを言った。
「あの刀は、使う者の心に反応する」
「心に、反応する?」
「そうだ。使う者の心と刀の心が一つになった時、あの刀は真の力を発揮する。と、俺は思っている」
「それは、どういう……?」
ミナセには理解できなかった。
刀は無機物だ。心などあるはずがない。
魔力を流し込むとか、魔力をまとわせるという話なら分かる。魔力を含んでいたり、魔法と相性のいい武器や防具というのは存在するからだ。
しかし、武器と心を一体にするというウィルの言葉は、ミナセの常識の外にある言葉だった。
「何年か前、あの刀を持って山に入った時にね、一度だけ、あの刀の心に触れた気がしたんだ。それはほんの一瞬だった。そして、その一瞬だけね、あの刀が不思議な光を放ったんだよ」
「刀が、光を?」
「そうだ。その時、俺の心はとても満たされていた。うまく言えないんだけど、何ていうか、ミズキさんと会えたような気がしたんだ」
「お母様と?」
あまり表情を変えることのないミナセが、心底驚いた顔をしている。
「まあ、そんな気がしたっていうだけなんだけどね。でも思ったんだ。あれが、あの刀の真の姿なんだって。そして感じたんだ。光を放っているあの刀に、斬れないものはないだろうって」
ウィルの声は力強かった。
「あの時の感覚をもう一度味わいたくて、その後いろいろ試したんだけど、結局だめだった。それでね、分かったんだ。俺は未熟者なんだってね」
ウィルの強さは半端ではない。
ミナセが勝てないのはもちろんのこと、道場破りにやってくる猛者どもが、何もできずに敗れていく。
年に一度、国を挙げて行われる武術大会に出れば間違いなく優勝するだろうと、町の人たちも門下生も言っている。
そんなウィルが、未熟者?
首を傾げているミナセを穏やかに見つめながら、ウィルが続ける。
「剣の腕を磨くだけじゃあ、あの刀と心を通じ合わせることはできない。人間として己を磨き上げなければ、あの時の感覚を掴むことはできない。そして、刀と心を一体にすることができた時、あの刀は真の力を発揮する。俺は、そう思っている」
ウィルは、確信を持っているかのように話している。
「剣の道とは人の道なり」
ウィルが言った。
「俺の師匠が言ってた言葉だ。人としての成長なしに剣士としての成長はないっていう意味なんだけど、じつは、俺はそれをある程度極めたと思っていた。奥義を修得して、俺はついに始祖のレベルに達したって思ってた」
師匠でさえも届かなかった奥義。
それを、ウィルは修得していた。
「でもね、まだ先があるってことに気が付いたんだ。だから俺は、あの刀を持つのをやめた」
ミナセは、一度だけその奥義を見せてもらったことがある。
それを受けて、ミナセは情けないことにへたり込んでしまったのだが……。
「あの奥義の先が、あると言うのですか?」
信じられないという顔で、ミナセが聞いた。
「俺は、奥義に到達した。だけど、極めてはいない。さらに言うと、あの刀を使いこなすだけの領域にもいない。まだまだ修行が必要だってことさ」
「お父様でさえも……」
「修行って言ってもね、剣術の話ではないんだ。これをミナセにちゃんと説明するのは、ちょっと難しいんだけどね」
苦笑いをしながら、ウィルが言った。
「何にせよ」
ミナセを見つめる。
「真の力を発揮しなくても、あの刀は十分に名刀だ。普通の状態でも、凄まじい切れ味と強靱さを持っている」
その顔が真顔になる。
「だからね、もし俺に何かあった時は、あの刀はミナセが使うんだ」
真正面からミナセを見つめる。
「遠慮することなく、躊躇うことなく使ってほしい。それが俺の願いでもあるし、ミズキさんの願いでもある」
真剣な声。真剣な表情。
「分かりました」
ミナセは答えた。
答えてうつむき、そのまま顔を上げることなく、か細い声で言った。
「でも、私はお父様を失うなんて……」
その目には涙が溢れている。テーブルの下の両手は強く握られ、震えている。
それを見て、ウィルが表情を和らげた。
「あはは。もしもの時の話だよ。心配させて悪かった」
そう言ってウィルは手を伸ばし、正面に座るミナセの頭をポンと叩いた。
慌てて涙を拭ったミナセは、穏やかに微笑むウィルを見て、その顔に無理矢理微笑みを浮かべた。
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