想定外

 マークが、ヒューリをしっかりと見つめ、そして聞いた。


「幸せって、どんな時に感じますか?」

「…………はい?」


 幸せ? 何だそれは!?

 そんな質問考えてないぞ!


 いきなりの変化球に、ヒューリの頭はパニックになった。


 想定外だ。想定外過ぎる!

 幸せを感じる時? 何て答えればいいんだ?


 いろいろな情景、いろいろな言葉が頭に浮かぶが、何一つとしてまとまらない。

 もともと緊張していたところに意表を突いた質問。思考力がどんどん奪われていく。

 ヒューリは必死に考えるが、その内に、頭の中が真っ白になってしまった。


「あの、えーっと……」


 完全に舞い上がっている。

 マークはヒューリの答えをじっと待っていたが、目を白黒させるばかりでまともな言葉が出てこないのを見ると、別の質問をした。


「では、質問を変えましょう」


 ヒューリがゴクリと唾を飲み込む。


「幸せっていう言葉から連想するものを、いくつでもいいので挙げてみてください」


 また来た!

 幸せシリーズ第二弾!


 何なんだ、この社長は? そんなに幸せが好きなのか?

 もっと普通の質問にしてくれ!

 言っても仕方のない文句が頭の中でこだまする。


 とにかく、最初の質問で失敗しているのだ。ここで取り返さなくては。


 ヒューリは必死に考える。

 幸せから連想するもの。


 家族、食べ物、平和……。


 いくつかの言葉は思い付くのだが、頭がうまく回らない。思い付いた言葉をただ言えばいいのだとは思うのだが、それすら口から出てこない。


 何でもいい。

 何でもいいから、何か答えなくては!


 だが。


 頭に血が上るとは、こういうことを言うのだろう。ヒューリは、本当に何も考えることができなくなって、黙ってしまった。


「正解というのはありません。何でもいいですよ」


 マークがフォローの言葉を掛ける。

 それでもヒューリは、何も言えない。


 体を硬直させ、全身に汗をびっしょりかいて、ヒューリは座っている。

 質問を反芻し、答えを探しながら、じっと座っている。

 呼吸がうまくできない。体も動かない。


 想定外とはいえ、大した質問ではないと思う。

 とにかく、何かを言えば会話が始まる。


 それなのに。


 何も言えない。

 何も……。


 ヒューリの思考が、徐々に面接から離れていった。


 私は何をしているのだ?

 私は、こんなにも愚かだったのか?

 私はいったい……。


 ヒューリの脳裏に、二人の顔が浮かんできた。


 ミナセは、山賊だった自分に暖かい言葉を掛けてくれた。

 夜遅くまで面接の対策に付き合ってくれた。


 リリアは、自分の手を引いて事務所に導き入れてくれた。

 私のために本気で泣いてくれた。


 こんな自分に二人は……。

 それなのに。


 悔しい。


 悔しい!


 悔しい悔しい悔しい!


 唇を噛み、手を強く握り締め、ヒューリは涙を浮かべていた。

 まっすぐ背筋を伸ばしたまま、ヒューリは泣いていた。


 その時、突然大きな声がする。


「ヒューリ!」

「ヒューリさん!」


 ミナセとリリアが同時に叫んだ。

 振り向くと、二人がイスから立ち上がっている。


「まだだ、諦めるな!」


 ミナセの声が響く。


「頑張って!」


 リリアの言葉が聞こえる。


 二人の声援が、ヒューリを我に返らせた。


 そうだ、泣いてる場合なんかじゃない!


 ヒューリが、涙と汗を両手で拭う。

 そして、マークに向き直った。


「すみません、少し待ってください。ちゃんと答えますから」


 そう言うと、ヒューリは深呼吸を始めた。

 大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。


 落ち着け、落ち着くんだ!


 何度か深呼吸をするうちに、だいぶ気持ちは落ち着いてきた。さっきよりはましな状態。

 だが、まだ冷静とは言えない。


 両肩をグルグル回し、上半身を捻る。

 ついには、立ち上がって屈伸運動を始めた。


 すると、その様子を見ていたマークが、またもや想定外のことを言い出す。


「ヒューリさん。ちょっと、走りに行きませんか?」

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