幸せを感じる時

 空気が重い。

 ヒューリも、ミナセもリリアも、鼓動に合わせて部屋全体が揺れているような錯覚を覚えていた。


 やがて、マークが机から立ち上がる。

 おそらく一分程度しかなかったであろうその時間は、三人にとってとてつもなく長い時間に思われた。


「お待たせしました」


 マークが、穏やかな表情でソファに座った。その顔を見て、ミナセとリリアは少し安心し掛けたが、残念ながら、マークの目は笑っていない。

 その目は真剣モードだ。

 二人は、自分が面接を受けているかのように背筋を伸ばし、額に汗を浮かべながら成り行きを見守った。


「はじめまして。この会社、エム商会の社長をしている、マークと申します」


 マークから自己紹介をする。


「は、はじめまして! ヒューリと申します。本日は、よろしくお願いいたします!」


 ヒューリも改めて名乗り、背中と首筋が一直線の状態で一礼する。


「ミナセとリリアから、ヒューリさんのお話は聞いています。今日はわざわざお越しいただいてありがとうございました。うちの会社に興味を持っていただいて、嬉しいです」


 マークが軽く頭を下げた。

 それを見て、ヒューリは困惑する。


 こんなに低姿勢な社長がいるのか?


 普通、雇う側は”お前が役に立つか見極めてやる。採用するかどうかは俺次第だ”みたいな態度で面接するんじゃないのだろうか。

 少なくとも、ヒューリの認識ではそうだった。


 その認識は、正しい。


 この世界では、ほとんどの場合雇う側が圧倒的に強く、雇われる側は圧倒的に弱い。採用するのもクビを切るのも、雇う側次第である。

 だが、マークにそれは当てはまらないようだった。


「では、最初にうちの会社について説明をさせていただきます」


 そう言うと、マークはひと揃えの書類を見せながら説明を始めた。

 それは、雇用契約書だった。


 業務の概要、給料、勤務時間と日数、解雇の条件、退職する時の手続き、守秘義務などが、かなり細かく書かれてある。手当や有給の詳細、社員の心得などは別紙で用意されており、時々それらを使いながら、マークが説明をしていった。

 ミナセもリリアもそれにサインをしているが、初めて見た時は、その内容の細かさに驚いたものだ。

 社長がルールという会社がほとんどの中、ここまで規定しているエム商会は異例中の異例と言えるだろう。

 途中何度かヒューリに確認を取りながら、ひと通り説明を終えると、マークが言った。


「これでうちの会社の説明は終わりです。俺がヒューリさんを採用したいと思ったとしても、ヒューリさんが待遇などに納得できないようであれば、今回の話、遠慮なく断っていただいて結構です」

「……分かりました」


 説明を聞き終えたヒューリは、困惑を通り越して混乱していた。

 緊張していたせいで、話の全部を理解できたとは思えない。しかし、そんなことよりも、この面接は常識から外れ過ぎている。


 仕事の内容や給料、勤務体系くらいは、最初に確認するだろう。だが、それ以外のことは入社してから初めて知ることだろうし、そもそもこんなに細かい規定があること自体が驚きだ。特に、有給などという仕組みはちょっと信じられない。


 あまりにも働く側に有利ではないか?


 挙げ句の果てには、”納得できなければ断っていい”ときた。雇う側と雇われる側が対等だとでも言うのだろうか?


 などと考えていると、マークが再び話し始める。


「では、今度は俺からいくつか質問をさせていただきます」


 ヒューリが改めて姿勢を正す。これまでは話を聞く側だったが、これからは自分が話をしなければならない。

 ヒューリにとっての面接が、今から始まるのだ。


 少し落ち着いていた気持ちが、また緊張し始めた。

 脈拍が上がっていく。急に水が飲みたくなった。


 両手をぎゅっと握り直すヒューリの前で、マークが質問を始める。

 

「ヒューリさんは」


 マークが、ヒューリをしっかりと見つめ、そして聞いた。


「幸せって、どんな時に感じますか?」

「…………はい?」

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