今度こそ

 ヒューリは町の中を走っていた。

 目の前には、マークの背中がある。


 時刻は夕暮れ。空気が少しひんやりしてきたが、火照った体には心地良かった。緊張していた体と、舞い上がっていた頭が少しずつ冷やされていく。

 ペースはそれほど速くない。ヒューリにとって、この程度なら歩いているのとさほど変わりはなかった。


「さっきは変な質問をしてしまってすみませんでした」


 前を行くマークが、突然謝った。


「いえ、そんな」


 返事をしたヒューリが、そっと微笑む。


 悪いのは自分なのに。

 ほんとにいい人なんだな。


 走りながら、マークが話し出した。


「ミナセからヒューリさんのことを聞いた時にね、俺は、凄くびっくりしたんです」

「びっくりした?」

「はい。常識人だと思っていたミナセが、その日会ったばかりの山賊の命を助けた。それどころか、その山賊の話を聞いてみたいなんて言い出した。本当にびっくりしました」

「なるほど」


 見るからに真面目そうなミナセ。そのミナセがそんなことを言い出せば、それは社長も驚いたことだろう。ミナセの言葉は、ヒューリの常識からも間違いなく外れている。


「でもね、あの時のミナセは真剣でした。いい加減な気持ちで取った行動じゃないってことだけは、はっきりと分かりました」


 ヒューリが、自分に向かって話すミナセの姿を思い出す。

 飾らない言葉と真摯な瞳。


「ミナセは礼儀正しいし、仕事もきっちりこなすから、お客様の評判もいい。どこに出したって恥ずかしくない自慢の社員です」


 ミナセの仕事ぶりは、ヒューリにも想像できる。

 社長が自慢の社員と言うのも納得だ。


「でも」


 マークの声が、沈む。


「ミナセには、心を許せる仲間がいなかった」

「仲間、ですか?」


 ヒューリが首を傾げる。


「そうです」


 マークが答えた。


「リリアはとてもいい子だけど、年下だから、やっぱり姉妹のような関係になってしまう。俺に対しては、どうしたって遠慮がちになってしまう」


 視線を落として、マークが言った。


「ミナセには、自分と対等に話せる仲間、本音を語り合える仲間がいなかったんです」


 ヒューリの胸に、ふとミナセの言葉が甦る。


 私は、お前が私に似ていると思ったんだ


 ただひたすらに強さを追い求める。

 その生き方は、同時に孤独を生む。

 

 そんなところは、ちょっと似ているのかもしれないな


 ヒューリが小さくうつむいた。

 

「でもね」


 マークの声で、ヒューリが顔を上げる。


「ヒューリさんとの戦いから帰ってきた時、ミナセが言ったんです。”彼女と一緒に頑張れたら”って」

「一緒に?」

「そうです。一緒に頑張れたらって、そう言ったんです」


 マークが、空を見上げた。


「俺は、嬉しくってね」


 マークの表情は見えない。

 でも、その声は本当に嬉しそうだった。


「だから、今日の面接でヒューリさんの人柄を確かめるつもりはありませんでした」

「そうなんですか!?」

「はい。だって、あのミナセが認めた人なんですからね。それで十分です」


 私も誰かに、こんな風に信頼されてみたい


 ヒューリは、心の底から羨ましいと思った。


「だけど、面接でどうしても確かめておきたいことはありました」


 マークの声が引き締まる。


「それは、どうしたらヒューリさんが幸せになれるかっていうことです」

「私の幸せ?」

「そうです」


 マークの声に力がこもった。


「俺はね、社員のみんなには、絶対幸せになってほしいって思ってるんです。そのためにできることがあるなら、何だってします。だからね、ヒューリさんがどうしたら幸せになれるのかを、ヒューリさんの言葉から探してみようと思ったんです。それが分かれば、そこに到達するための方法が見えてくると思ったんです」


 なるほど。だから”幸せ”だったのか。


「でも、ちょっと飛躍しすぎと言うか、先走り過ぎていましたよね。大切な人との面接だからって、俺の方が気合いを入れ過ぎちゃったみたいです。すみませんでした」

「いえ、そんな」


 本当に不思議な人だ。入社する前からその社員の幸せを考える社長なんて、普通いるだろうか?

 そういえば、父上が言ってたっけ。


「わしが王に命を捧げているのは、王が偉いからではない。王が、本気で国民の幸せを願っているからだ」


 懐かしい顔を思い浮かべて、ヒューリが微笑む。

 そこに、再びマークの声が聞こえてきた。


「改めて、聞きたいことがあります」

「はい!」


 ヒューリが前を行く背中を見つめた。

 集中して、マークの言葉を待つ。


 今度こそ、絶対に答える!


「ヒューリさんは今、つらい出来事を乗り越えるために、新しい一歩を踏み出したところだと思います」

「はい」

「どんな人でもね、きっかけさえあれば、一歩を踏み出すことはできるんです。ただその一歩を、二歩目、三歩目とつなげていって、きちんと歩き出せるようになるまでには、相当な努力と強い意志が必要になります」

「努力と、意志……」

「ヒューリさんは、一歩を踏み出したばかりです。それは、ヒューリさんがまだまだ不安定だということにもなります」


 たしかにそうだ。

 私はまだ、地に足をついて歩いていない。


「もしまた、ヒューリさんの心を大きく揺さぶるような出来事が起きてしまって、ヒューリさんの心がくじけそうになった時」


 マークが、少しだけ顔を後ろに向けて聞いた。


「ヒューリさんは、心を折ることなく前に進み続けることができますか?」

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