突風

「よーし、行くぞー!」


 全身に子供たちをぶら下げて、ヒューリが庭を疾走する。


「キャー!」

「こわーい!」


 しがみついた子供が楽しそうに声を上げる。


「次、僕!」

「私も!」


 あぶれた子供たちが、ヒューリを追い掛ける。


「やっぱりヒューリは、いいお母さんになるわね」


 じゃがいもの皮を剥くフェリシアが、開け放たれた窓の外を見て笑った。


 お母さんは、あんなことしないと思うけど……


 シンシアは思ったが、ここは無言を貫いた。


 今日は日曜日。ヒューリとシンシア、そしてフェリシアの三人は、アルミナ教会の炊き出しの手伝いに来ていた。いつも通りヒューリは子供たちの相手、シンシアとフェリシアは、フローラと一緒に調理を担当している。

 七人揃って来ることは少なくなったが、それでもほぼ毎週、社員の誰かは教会に来ていた。午前中に炊き出しを終えて、お昼ご飯をシスターたちと一緒に食べ、新鮮な野菜や卵をたくさんもらって帰る。それがお決まりの流れだ。


「そう言えばこの間、ミアが子供たちにクッキーを持ってきてくれたんです」

 

 フェリシアと並んでじゃがいもの皮を剥きながら、フローラが話し始めた。


「あら、そうなの? あの子は自分で食べる専門かと思っていたわ」


 さりげなくひどいことを言うフェリシアに、フローラは苦笑い。


「でも、それだけじゃないんです」


 その苦笑いが、小さな微笑みに変わる。


「その時ミア、教会に寄付をしていったんです。いつも”お金がないよー”なんて言っていたので、びっくりしちゃって」

「それはびっくりね」


 最近貯金を始めたヒューリと違って、相変わらずミアは貯金をしていない。

 そんなミアをよく知るだけに、フェリシアは本気で驚いていた。


「大きな金額ではなかったんですけど、昔のこととかいろいろ思い出しちゃって、私、ちょっと泣けちゃいました」


 フローラは、ミアと一緒に孤児院で育ち、多くの時間を共に過ごしてきた。

 よく言えば大らか、悪く言えば大雑把なミアのことを、折に触れては叱り、そして心配してきた。

 そんなミアが、辞めることも、クビになることもなくちゃんと働いている。

 その上、教会のことをちゃんと気に掛けてくれている。

 額の多寡などどうでもよかった。自分で働いて得たお金を、ミアが寄付してくれた。それが、フローラには何よりも嬉しかった。


「ミア、頑張っているんですね」

「そうね。あの子は頑張っているわ」


 フェリシアも嬉しそうに答える。

 そこにシンシアが、やけに力強く続いた。


「ミアは、凄く頑張ってる。ミアは、とっても凄い人」


 普段は無口なシンシアの珍しい反応に、フェリシアは少し不思議顔。シンシアを少しの間見つめ、やがてフェリシアは、フローラに視線を戻した。


「凄いと言えば、フローラも正式にシスターになったんでしょう?」

「あ、はい。そうなんです」


 恥ずかしそうにフローラがうつむく。


「フローラも頑張っているのね」

「ミアには負けていられません。まだまだ頑張らないと!」


 包丁を握る手に力を込めて、フローラが言った。


「そうね。私も二人に負けていられないわね」


 皮を剥き終えたじゃがいもを、フェリシアが握り締めた。

 その時。


「あの子、危ない」


 窓の外を見ながらシンシアが言った。


「えっ?」


 フェリシアとフローラが、手を止めてシンシアの視線を辿る。

 ヒューリと子供たちはどこかに行ってしまったらしく、窓の外は静かだ。庭にある数本の木が風に揺れる音しか聞こえない。

 その一本の木の、かなり高いところにある枝に、一人の男の子がしがみついていた。手を伸ばす先には、一匹の子猫。男の子は、震える子猫に向かって、枝の上を這うように少しずつ進もうとしている。


「ライリー!」


 包丁を置いて、フローラが窓に駆け寄った。

 そして大きな声で叫ぶ。


「危ないからやめなさい!」


 窓から木までの距離は十メートルほど。フローラの声は、男の子に間違いなく届いているはずだ。だが男の子は、こちらを見ることなく、ぎゅっと口を結び直して前進を続けた。

 男の子と子猫がいる枝は、それほど太くない。風のせいとは思えないほど、その枝は大きく上下に揺れている。

 男の子も子猫も、よくそこまで登ったものだと感心してしまうが、フローラにとってはとんでもないことだった。


「そのまま動かないで! 今行くから!」


 エプロンを外しながら、フローラが厨房の出口へと駆け出していく。

 その手がノブに掛かった瞬間。


 ミシミシッ!


 イヤな音が聞こえた。


「ライリー!」


 フローラが振り返る。見ると、男の子のつかまっていた枝が、根本から半分折れていた。枝の先が隣の木に引っ掛かって落下を免れてはいるが、とても長くは持ちそうもない。

 男の子は、目をつぶって枝にしがみついていた。


「私が行くわ!」


 フェリシアが言った。同時にふわりとその体が浮き上がる。


「じっとしていなさい!」


 叫びながら、フェリシアは窓の外へと飛び出していった。

 しかし。


 バキッ!


 フェリシアが建物の外に出たまさにその時、枝が完全に折れた。枝と男の子と、そして子猫が地面に落ちていく。


「そんな!」


 フェリシアが悲鳴を上げた。さすがのフェリシアでも、これは間に合わない。


 こんな時に使える魔法は?

 男の子を助ける方法は?


 落ちていく男の子を見ながら必死に考える。

 だが、フェリシアの使える魔法では男の子を助けることはできなかった。触れることができないこの状況ではウェイトセービングも使えない。ストームのような強力な風も、フェリシア自身から放たれるがゆえに、男の子をただ吹き飛ばすだけになってしまう。


「ライリー!」


 フェリシアの後ろでフローラが叫んだ。

 その直後。


「受け止めて」


 小さな声がした。

 すると。


 ゴオオォッ!


 突如として、強烈な突風が男の子の真下から吹き上がる。それは一瞬だった。だが、その一瞬の強烈な風が、男の子の落下速度を瞬間的にゼロにした。


 ドサッ


 男の子が、五十センチくらいの高さから地面に落ちた。


 バサバサッ!


 折れた枝が、続いてその横に落ちてくる。

 そして最後に。


 ストン


 子猫が、何事もなかったかのように着地した。

 フェリシアとフローラが、目を見開いたまま動きを止める。

 やがて。


「ライリー!」


 フローラが、厨房を飛び出して庭へと向かった。その声で我に返ったフェリシアが、男の子の元へと飛んでいく。


「大丈夫?」


 フェリシアに抱き起こされた男の子は、言葉もなく呆然としていた。何が起きたのか分かっていない様子だ。そこにフローラが駆け付ける。その姿に驚いて、子猫が逃げていった。


「あっ!」


 逃げていく子猫を見て、男の子がようやく声を上げる。


「ケガは!? 痛いところはない!?」


 心配するフローラをよそに、男の子は子猫を目で追っていた。


「いい加減にしなさい! まったくあなたは……」


 怒るフローラに男の子を預けて、フェリシアは立ち上がる。そして、厨房の窓を見た。

 窓辺にいたシンシアが、なぜか慌てて目をそらした。


「シンシア」


 つぶやいて、フェリシアは歩き出す。フローラの説教の声を背中で聞きながら、フェリシアが厨房の窓へと歩み寄る。

 そして、窓の内側にいるシンシアに言った。


「あなた、声が聞こえるのね?」

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