魔法の常識

 翌、月曜日。


「みんなに話したいことがあるのですが、今お時間よろしいでしょうか?」


 夕方、みんなが事務所に戻ってきたところで、フェリシアがマークに言った。


「俺はいいよ。みんなは?」

「大丈夫です」

「いいですよ」


 それぞれが答えてソファに座る。


「ありがとうございます」


 フェリシアが微笑んだ。そして、ソファで小さくなっているシンシアを見る。


「いいわね、シンシア」


 こくり


 下を向いたまま、黙ってシンシアは頷いた。何事かというように、全員がシンシアを見る。

 シンシアの隣に座ったリリアが、そっと肩を寄せた。昨日の夜から、シンシアはずっと元気がない。心配しながらも、何となくリリアは理由を聞けずにいた。


「じつは昨日、教会に行ってきたんだけど」


 フェリシアが、木の枝ごと地面に落ちた男の子のことを話し始める。みんなはフェリシアと、時々シンシアを見ながら、その話を黙って聞いていた。

 やがて話が終わると、ヒューリが言った。


「そんなことがあったのか。全然知らなかったぞ」

「男の子は無事だったしね。騒ぎ立てるようなことではなかったのよ。ただ」


 ヒューリに答えて、フェリシアがまたシンシアを見る。みんなも、またシンシアを見た。

 この一件にはどうやらシンシアが関わっているようだが、フェリシアの話だけでは、そのつながりが見えてこない。

 みんなの疑問を放置したまま、フェリシアが続ける。


「あの時吹いた突風は、どう考えても自然の風じゃなかったわ。間違いなく魔法によるものよ。それも、とびっきり高度な魔法だわ」

「そうなのか?」

「そうなのよ。普通、魔法が引き起こす現象っていうのはね……」


 魔法が起こす現象は、通常、術者の周囲に現れる。索敵魔法のような広範囲に効果を及ぼすものであっても、術者を中心に魔力が広がっていくことで索敵が行われるのだ。

 ただし例外として、広範囲を攻撃できる魔法のいくつかは、術者から離れたところに現象を起こすことがある。自分から離れた場所に、自分が放った魔力を集約させるという難しさゆえに、それらの魔法の多くが第五階梯に分類されていた。

 

「つまりね、離れたところにあれほどの強い風を正確に吹かせるのって、もの凄く難しいことなのよ。おまけに、それを瞬時に行うなんて、私からすれば神様みたいな芸当だわ」

「なるほどな」


 ミナセが頷いた。


「で、まさかそれを、シンシアがやったって言うのか?」


 シンシアを見ながらヒューリが聞いた。


「そうよ」


 シンシアを見ながらフェリシアが答えた。

 全員が、驚きの表情でシンシアを見つめる。

 シンシアが、さらに体を固くしてうつむく。


「シンシアって、凄いんですね」


 誰もが言葉を失う中、ミアだけが素直に感心していた。

 フェリシアが、ミアに向かって大きく頷く。


「そうなの、凄いのよ。でもね、もっと凄いのは、その発動プロセスが、普通とはまるで違うっていうところなの」

「普通と違う?」

「そう、違うの」


 魔法発動のプロセスは、精霊の存在を意識するところから始まる。

 目に見えず、呼び掛けたところで返事がある訳でもない精霊を意識する方法に、じつはこれと言う決まりはなかった。妖精のような姿を思い浮かべてもよいし、話し掛けてみてもよい。

 ほとんどの人が子供の頃にその感覚を覚えてしまうため、大人になればなるほど、このステップを瞬時にかつ無意識に終えてしまうことが多かった。


 魔法発動の次のステップは、現象イメージを描きながら、魔力を放出していくことだ。このステップが成功すると、精霊たちが反応して現象化が始まる。魔法を修得する上で最初にぶつかる壁が、この段階だ。


 そこからさらにイメージを明確にし、同時にイメージに合った量の魔力を放出していくと、精霊たちが現象を促進してくれて、魔法の完成へと至る。

 生活魔法のウォーターなら、最初はかすかな霧が生まれ、それが雲のようにはっきりと形を成していき、完成と同時に水が発現するといった具合だ。


「魔法を完成させるには、精霊と歩調を合わせていくことが重要よ。イメージを伝えながら、精霊が欲しがっているだけの魔力を放出していく。それがうまくいった時、はじめて魔法が発動することになるわ」


 フェリシアの説明に、リリアが頷いた。


「それ分かります。イメージと魔力の量がぴったり合わないと、魔法って発動してくれないんですよね」

「そうよ」

「でもさ」


 ヒューリが横から入ってきた。


「イメージと魔力のバランスを取るのって、繰り返し練習して感覚を掴むっていう感じじゃないか? 精霊と歩調を合わせるなんてこと、私は考えてないぞ」

「たしかにな。私もあまり考えていない」


 ミナセも続いた。

 体が覚えてしまえば、理論や理屈など考えなくても魔法を発動できるのが普通だ。魔法に慣れればなれるほど、人は精霊の存在を意識しなくなっていく。


「だけど」


 フェリシアが微笑んだ。


「魔法を使う時最初にすることって、精霊の存在を意識することでしょう?」

「それはまあ、そう教わるからな」

「精霊のことを考えないと、魔法を発動するプロセスが始まらない。精霊のことを考えないと、精霊が反応してくれない。慣れてきて素早く魔法を発動できるようになったとしても、無意識のうちに精霊のことを考えているはずよ」


 フェリシアの説明に、異を唱える者はいなかった。

 子供の頃に教わる魔法の基礎。ヒューリも、それを否定するつもりは毛頭ない。


「見えないし触れない。それでも精霊は存在する。精霊の助力がなければ魔法は発動しない。長年の研究の結果、それは間違いのない事実として認識されているわ」

 

 みんなが一斉に頷いた。


「それで、シンシアはどうやって魔法を発動してるんですか?」


 説明が途切れたところでミアが聞いた。


「シンシアはね、イメージするだけで魔法が発動できるのよ」

「イメージするだけで?」

「そう。魔力の放出とか調整なんていらない。イメージして、”お願い”するだけ。それだけで魔法を発動できるの」

「そんなのおかしいです!」


 ミアが叫んだ。


「それじゃあ、魔力がなくても魔法が使えるってことになっちゃうじゃないですか!」


 ミアだって、魔法のことはずいぶん勉強している。その知識を完全否定するような話は、たとえ説明しているのがフェリシアであっても納得できるものではなかった。


「そうね。今の話だけだと、そう聞こえちゃうわよね」


 身を乗り出すミアの頭を、フェリシアが優しく撫でる。


「そうじゃないの。シンシアの持っている魔力を、精霊が勝手に引き出して使ってくれるのよ。しかも、もの凄く効率的に使ってくれるから、少しの魔力でも強力な魔法が使えることになるわ」

「なるほど……じゃないです! それって、すんごいことじゃないですか!?」

「そうよ。凄いことなのよ」

「……」


 あっさり肯定されて、ミアは何も言えなくなってしまった。


「第一階梯とか第五階梯とか、火とか水とか光とか、そういう分類なんてシンシアには関係ない。私たちが持っている魔法の常識が通用しない。イメージして”お願い”するだけで、シンシアは魔法を発動できる」


 とんでもないことをフェリシアが語っている。だが、フェリシアの話はそれだけで終わらなかった。さらにとんでもないことを、フェリシアは言った。


「それとね、シンシアは、他人が発動した魔法を打ち消すこともできるんじゃないかしら」

「それはいくら何でも……」


 ミナセの言葉を、シンシアのか細い声が遮った。


「できる」

「やっぱりね。本に書いてあった通りだわ」

「……」


 ミナセも黙り込んだ。


「シンシアって、いったい……」


 シンシアを見ながらヒューリがつぶやいた。

 そのつぶやきに、フェリシアが答えてくれるのをヒューリは待つ。だが、それまで流れるように説明をしてきたフェリシアが、何も言わずに黙ってしまった。

 フェリシアは、じっとシンシアを見つめている。

 明らかにフェリシアは、何かを言い淀んでいる。

 ここまで話しておいて今さらだと全員が思ったが、フェリシアのその様子は、答えを促すことを全員に躊躇わせた。

 部屋の中が、不思議な緊張感に包まれていく。


 ふと。


「シンシアは、そのことがみんなに知られても構わないのか?」


 静かにマークが聞いた。シンシアが、ちらりとマークを見る。

 そしてまたうつむき、両手をぎゅっと握ったまま、小さな声で答えた。


「……はい」

「そうか」


 頷いたマークが、フェリシアに向かってはっきりと言った。


「ではフェリシア、教えてくれ」

「……分かりました」


 フェリシアが表情を引き締める。

 全員がフェリシアに注目する。

 フェリシアが、マークを見て答えた。


「シンシアは、精霊使いなんです」

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