平和への祈り

 余興の後、みんなは再び馬車に乗り込んで、昼食を取る予定の草原へと向かった。

 代表選手たちは、みな無口だ。社員たちの力に度肝を抜かれ、マークの言葉に恐れを抱いていた。

 そんな雰囲気をものともせず。


「サイラスさん、私の魔法どうでしたか? サイラスさんと私でパーティーを組んだら、ダンジョン制覇も楽勝ですよね!」


 ミアが、サイラスの腕を握る。褒めてくださいと言わんばかりの、キラッキラな瞳でサイラスを見つめる。


「私、治癒魔法も得意なんです。マジックライトも使えるんですよ! 冒険者の素質、あると思いませんか?」


 前向きオーラ全開のミア。

 そこに、シンシアの冷静な声がした。


「ミア、攻撃魔法使えない。冒険者としては、役立たず」

「はう!」


 痛いところを突かれてミアが頭を抱える。


「攻撃魔法が使えない?」


 サイラスが、驚いたようにミアを見た。


「そうなの。この子、第一階梯の攻撃魔法でさえ使えないのよ。凄いと思わない?」

「フェリシアさん、それ以上は……」


 笑うフェリシアに、ミアが涙目で訴える。


「でも、ミアさんと一緒だと楽しいですよね!」


 リリアの微妙な褒め言葉に、マークは苦笑い。


「そうね。ミアはかわいいものね」


 同じく微妙な褒め言葉に、ミナセは呆れ顔。

 ところが。


「そうです! 冒険には、笑いとかわいい女の子が必要なんです。サイラスさん、やっぱり私、お役に立てると思います!」


 ミアはまったくへこたれていなかった。

 そんなミアを見ながら、サイラスがつぶやく。


「攻撃魔法が使えない……。お前、もしかして」


 真顔でつぶやいて、しかしサイラスは、それ以上何も言うことはなかった。

 そして。


「なんつうか、お前を見ていると」


 笑いながら、サイラスが言った。


「いろいろ考えるのが馬鹿馬鹿しくなってくるな」


 言いながら、ミアの頭をポンポンと叩く。


「むぅ。何だかバカにされてる気がします」


 不満そうにミアが口を尖らせた。

 サイラスが、また笑う。


「違う違う、褒めてるのさ。お前は凄い。本当に凄い。もし、俺がまた冒険者に戻ることがあったら、その時は必ずお前に声を掛けるよ」

「ほんとですか!? やったー!」


 大喜びでミアが立ち上がる。

 そして、幌を支える骨にごつんと頭をぶつけた。


「あいた!」


 うずくまるミアを、みんなが笑った。

 本当に楽しそうにサイラスも笑った。


 御者台からは、ターラを叱るヒューリの声が聞こえる。


「お前は、もっと技を覚えなきゃだめだ。力と速さだけじゃあ、いずれ勝てない敵が出てくるぞ」

「はい! ぜひ、いろいろ教えてください!」


 叱られているというのに、ターラの声はやけに嬉しそう。相変わらずの微笑ましい光景だ。

 カイルは、フェリシアの隣でご機嫌。

 馬車の中が盛り上がってきた。ピクニックらしくなってきた。


 その中で、唯一表情の硬い男がいる。

 短剣は腰に差したままだが、剣は足下に置いていた。先ほどまでと違って、警戒しているという訳ではなかった。


 何をどう警戒しようと意味がない。いやと言うほどそれは分かった。

 何もしなければ、こいつらは敵にはならない。それも分かった。


 それでもリスティは笑わない。

 口を開くこともしない。


 リスティが笑うのは、戦っている時だけだった。

 敵を怯えさせる、狂気に満ちた笑い。


 日常の中でリスティは、笑うことも、誰かと親しく話すことも、もう何年もしたことがなかった。

 床を見つめたまま、リスティは動かない。

 無言のまま、リスティは床を睨み続けていた。


 その顔に、突然にゅっと手が伸びる。


「うがっ!?」


 リスティがおかしな声を上げた。

 とっさに腕を振り上げて、自分の頬をつまみ上げている手を払いのける。

 混乱するリスティの前に、シンシアがいた。

 そのシンシアが言った。


「今日はピクニック。あなたはもっと、笑うべき」


 それに、リスティが意外な反論を唱える。


「お前だって笑ってないだろうが!」


 周りのみんなも驚いていたが、シンシアもかなり驚いていた。


「その反撃は、予想外」


 目を丸くしてシンシアが黙る。

 リリアが笑った。


「そうだよ。シンシアも笑うべきだよ」


 フェリシアが続く。


「リスティさんにだけ笑えっていうのは、不公平よね」


 ミナセが追い打ちを掛ける。


「相手に何かをしてほしければ、まずは自分からだな」

「そうだそうだ!」


 ミアまでが加わってきた。

 困ったシンシアが、マークを見る。マークは、微笑むのみで助けてくれそうもない。

 シンシアがうつむく。凄く恥ずかしそうにうつむく。


「シンシア、笑え!」


 御者台からヒューリにまで言われて、シンシアは、覚悟を決めた。


「私、笑う」


 真っ赤な顔で、シンシアは宣言をした。

 社員たちはニコニコしているが、選手たちはそうはいかない。真剣な顔のシンシアを、緊張しながら見つめていた。


 シンシアが顔を上げた。その目は涙ぐんでいるようにも見える。


「そこまでのことか?」


 カイルのつぶやきがやけに大きく聞こえた。

 みんなの注目を浴びながら、シンシアは……。


「おおぉっ!」

「かわいいじゃねぇか!」


 一斉に声が上がった。


「シンシア、えらい!」


 ミアに言われて、シンシアが慌ててうつむく。

 そして顔を上げ、ずいっと前に出て、リスティに迫った。


「私、笑った。だからあなたも、笑うべき」

「お、俺は約束なんて」


 リスティは明らかに動揺している。

 すると今度は、選手たちから声が掛かった。


「シンシアがあんなに頑張ったんだ。ここは逃げられないと思うぜ」


 カイルがニヤニヤしている。


「カサールを代表して笑ってみろ」


 サイラスが無茶なことを言う。


「笑うしかないと、わしも思います」


 ターラまでが振り返って言った。

 完全に囲まれていた。リスティは追い詰められていた。

 目の前でシンシアが睨んでいる。逃げ場はない。

 リスティは、諦めた。そしてリスティは……。


「おおぉっ!」

「気持ち悪いじゃねぇか!」


 一斉に声が上がった。


「黙れ!」


 リスティが叫ぶ。真っ赤な顔で叫ぶ。

 そのリスティの膝に、手が触れた。

 リスティの膝に手を乗せて、シンシアが言った。


「あなたは、頑張った」


 リスティが横を向く。

 恥ずかしいのか悔しいのか分からない、不思議な顔で、横を向く。


 シンシアが、微笑みながら言った。


「あなたは、えらい」


 リスティが歯を食いしばる。

 リスティはこらえていた。

 ずっと忘れていたもの。”あの日”、その場に置いてきたはずのもの。

 それを顔に出さないように、リスティは、必死になって歯を食いしばり続けていた。


 みんなを乗せて、馬車は走る。やがて一行は草原に到着した。

 心地よい日差しとそよ風の中で、みんなは社員たちの手作り弁当を食べた。

 色鮮やかなサンドイッチと、色とりどりのおかずたち。デザートには、シンシア特製のしっとりクッキー。

 みんなと一緒に、リスティもそれを食べた。うまいうまいと絶賛する選手たちと一緒に、黙々と、リスティもそれを食べていた。


 弁当を食べ終わると、ヒューリはターラに稽古を付け始めた。

 フェリシアは、隣に寝そべるカイルに毛布を掛けている。

 ミアは、サイラスの冒険者時代の話を飽きることなく聞いている。

 ミナセは、みんなのカップにお茶を注いでいる。

 少し離れたところでは、シンシアが、リリアと一緒に馬の餌やりをしていた。


 その姿をリスティが眺める。少し驚きながら、リスティはシンシアを見ていた。

 そのリスティに、マークが話し掛けた。


「シンシアのご両親は、シンシアの目の前で、盗賊たちに殺されたんです」

「!」


 リスティが激しく振り向いた。


「それ以来シンシアは、笑うことも、喋ることもできなくなりました。そのシンシアを救ったのが、リリアです。リリアも大変な苦労をしてきたのですが、シンシアも、悲惨な過去を乗り越えてきたんです」


 リスティの目は、大きく広がったままだ。


「フェリシアも、心が壊れたっておかしくないような歳月を過ごしてきた。ミアも、命懸けの試練を乗り越えてきた。そうしてみんなは笑っている。時々立ち止まったり、うつむいてしまうこともあるけれど、それでもみんなは進んでいる。前に向かって歩いているんです」


 そしてマークが言った。

 晴れやかな顔で、嬉しそうに言った。


「みんなはね、俺の、自慢の社員たちなんです」


 リスティがマークを見つめる。その隣で、そっと微笑むミナセを見る。

 そしてリスティは、もう一度シンシアを見た。

 シンシアも笑っていた。リリアと一緒に馬の餌やりをしながら、とても自然に笑っていた。


 自分の周りに溢れる笑顔。

 様々なことを乗り越えてきた笑顔。


 リスティは、なぜだか突然、ある人の姿を思い浮かべた。

 リスティは、なぜだか突然、笑った顔が見てみたいと思った。

 そしてリスティは、なぜだか突然、アルミナの町に戻りたいと、そう思った。

 


 空がかすかにオレンジ色を残す頃、一行はアルミナの町に帰ってきた。

 別れ際に、マークが選手たちと握手を交わす。


「また遊びに来てください」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 サイラスが笑う。


「俺たちは、コメリアの森の平和を望んでいます。何かあれば連絡をください。必ず力になりますから」

「ありがとうございます!」


 ターラが感激する。


「ロダン公爵によろしくお伝えください」

「了解だ」


 カイルが大きく頷く。

 最後にマークが、リスティに握手を求めた。

 戸惑い、うつむき、それでもリスティは、マークの手を握った。


「いつかまた、お会いしましょう」

「……」


 無言のリスティに、マークが笑顔を向ける。

 その手を放して、リスティは、とても小さく頷いた。


 四人に向かって社員たちが声を掛ける。


「今日はありがとうございました」

「お疲れ様でした!」


 社員たちに手を振られながら、選手たちは帰って行った。

 それぞれの思いを抱きながら、選手たちは帰って行った。


 そのすべての背中が見えなくなったのを見計らって、フェリシアがヒューリに言った。


「それにしても、あなたたち楽しそうだったわね」

「そ、そんなことはないぞ! そう言うフェリシアだって、団長に言い寄られて満更でもなさそうだったじゃんか!」

「あら、そんなことないわよ。だって私は……」


 真っ赤な顔でヒューリが反論する。

 フェリシアがほんのり頬を染める。


「リスティさん、もっと笑えるようになれたらいいね」

「あの人は、大丈夫」


 リリアの言葉にシンシアが答える。


「私、サイラスさん大好きです!」

「その好きって、クッキーが好きとどう違うんだ?」

「え? 違いますよ!」

「だから、どう違うんだ?」

「えっと……」


 珍しくミナセがミアをからかっている。

 楽しそうな社員たち。楽しそうに笑っている社員たち。


 そんな社員たちを、マークが見つめている。

 マークが言い出した突然のピクニック。それに社員たちは、準備も含めて結構な時間を割いてくれた。文句も言わず、マークに応えてくれた。


 マークが笑う。とても嬉しそうに笑う。


「さて、夕飯でも食べに行くか。今日は俺のおごりだ」

「はい!」

「やったー!」


 社員たちが盛り上がる。


「肉が食べたいな」

「お酒も欲しいわね」

「クッキーが食べたいです!」

「じゃあ、ミアだけ別の店な」

「えぇー!」


 夕暮れの町は人が多い。

 人々の注目を浴びて、みんなは歩く。楽しそうに笑いながら歩いていく。

 そのみんなの後ろで、マークがそっと目を閉じた。


 この平和な日常が、ずっと続きますように


「社長、何してるんですか。置いてっちゃいますよ!」


 ヒューリの声で、マークは目を開けた。


「悪い、今行く」


 答えてマークは歩き出す。

 振り向いて待っている六人に笑顔を見せて、力強くマークは歩き出した。




「この度の働き、見事だった」

「はい」


 片膝をついて、男が頭を垂れる。


「で、おぬしの見立てではどうじゃ? あの国に、付け入る隙はありそうか?」


 身を乗り出して、王が聞いた。


「軍人として経験の浅い私が、正確に答えられるか分かりませんが」

「構わぬ。申してみよ」


 促されて、男は答えた。


「あの国には、化け物がいます」

「化け物? それは、おぬしといい勝負をしたという女のことか?」


 帰国した随行団からすでに報告は受けていた。各選手の実力も、警備の様子も、そのほか様々な情報も王は知っている。

 男が顔を上げた。王の目を見て、男が言った。


「その女を含めて、あの国には、化け物が六人います」

「六人!?」


 王と重臣たちが目を見開く。

 そんな報告は誰も聞いていなかった。同席している随行団の面々も、初めて聞く話に驚いている。

 その全員をゆっくりと見渡して、男が続けた。


「仮に十万の軍を派遣したとしても、あの六人が出てくれば、数日で軍は壊滅するものと思われます」

「なんじゃと!?」


 王が腰を浮かせた。


「私がそのうちの一人を押さえたとしても、残りの五人はどうすることもできません。もし六人全員を相手にすることになれば、私でも一分とはもたないでしょう」

「おぬしで一分……」


 どよめきが広がった。


「あの国を刺激してはなりません。そして、隣接するコメリアの森にも手を出してはなりません。森も、あの者たちの庇護を受けております」


 謁見の間が静まり返った。

 男が、はっきりとした声で言った。


「間違っても、あの化け物たちを敵に回すことなどお考えになりませんように。敵に回したが最後、この国は、滅びます」


 男が繰り返す。


「あの者たちを、敵に回してはなりません」


 一礼して、男は立ち上がった。

 何かを言い掛ける王と、唖然とする重臣たちを置き去りにして、男は謁見の間を出て行った。


 扉を守る兵士に軽く頭を下げて、男は歩き出す。

 兵士から十分距離を取ってから、男がつぶやいた。


「軍に入ったのは失敗だったかな。自由に動けなくなっちまった」


 ふぅ


 小さく息を吐き出す。


「ま、軍に入ったからこそ、あいつらに会えたってのもあるんだけどな」


 男は苦笑い。

 そして、小さな声で自分に問い掛ける。


「やっぱり、冒険者に戻るか?」


 問い掛けてから、気が付いた。

 周りに人がいないことをもう一度確認して、男が言う。


「やっぱり、そうだよな」


 男は笑っていた。とても晴れやかに笑っていた。

 その男が、突然立ち止まる。


「あ、やばい。報告間違えちまった」


 振り返って、謁見の間の扉を見る。


「化け物は六人じゃねぇ」


 扉に向かって戻り始める。


「化け物は、七人だ」


 一歩踏み出し、そこでしばらく考えて、しかし男は、踵を返してまた歩き出した。


「ま、いっか。説明するのも面倒だし」


 そう言って、男は軍服のボタンを外した。

 渡り廊下を風が駆け抜ける。風を切って、男は歩く。


「あいつ、今頃何してるかな」


 弾ける笑顔を思い出して、男が、また笑った。




 第十四章 了

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