隠密魔法
「悪かったな、つまらない話で」
「何言ってるのよ。大事なことでしょ」
「これからは遠慮するなよ」
三人が、話をしながら戻ってきた。途端に空気が華やぐ。
「ご馳走様。うまかったぞ!」
空になったお皿を見せて、ヒューリが言った。
「まだスープは残っています。おかわりはどうですか?」
「いや、いいよ。うまいものは、ちょっと食べるのがいいんだ」
素早く立ち上がった若い男にヒューリが答えた。
「私もいい。腹八分目が大事だからな」
「私も結構よ。最近ちょっと、太っちゃって」
ミナセとフェリシアにも言われて、若い男は明らかに落胆していた。
三人の食事は終わった。つまり、男たちが焚き火を囲んでいる理由もなくなった。
三人が食器を片付け始めると、ほかの男たちもごそごそと動き出す。その動きには、残念さが滲み出ている。
「……寝るか」
見張り当番を残して、男たちは早々に眠りについた。
風もない静かな夜。獣除けの小さな焚き火がパチパチと音を立てている。
その焚き火の音が、途絶えた。
「ミナセさん、起きてください」
夕飯を作った若い男が、ミナセを軽く揺する。しかし、ミナセはぐっすり眠っていて起きなかった。
「ヒューリさん、起きて」
隣のヒューリの肩を叩くが、ピクリともしない。
「フェリシアさん」
今度は頭をつついてみるが、やはりフェリシアも起きる気配はなかった。
三人が眠っていることを確認すると、今度は周りで寝ている男たちを乱暴に蹴って歩く。見張り当番だった二人を含め、全員が眠っていることを確かめた男が、小さくつぶやいた。
「まったく、焦らせやがって」
ミナセたちを一瞥して、男は懐中電灯を取り出した。そして、それを森に向かって明滅させる。
しばらくすると。
「よくやった」
森から現れた十人ほどの男たち。その首領らしき男が言った。
「やっとこの仕事も終わりですね。今回は長かったなぁ」
答えた若い男が、思いっ切り背伸びをして、思いっきり脱力する。
「でも、ちゃんと演じてやりましたよ」
顔は好青年のままだが、その目つきは別人のように鋭い。
「じっくり時間を掛けて信用させましたからね。傭兵団の連中も、ヒューリとフェリシアって女も、俺のことをただの料理がうまい好青年だって思ってたんじゃないですか?」
ヒューリの体を軽く足蹴にしながら、得意げに男が言う。
「ミナセって女だけはなんかイヤな感じがしたんですけど、結局大したことなかったですね。いくら剣の腕前があったって、ちょっと頭を使えば楽勝ってことですよ」
男はよく喋った。
純情そうな好青年という印象は、すでにない。
「アウァールスは、これで解散でしょ? 最後の仕事ですからね、気合いを入れて……」
「もう黙れ」
まだ何か言おうとする男を、首領が遮った。
「アルミナにいる三人の女も、仲間が始末したはずだ。とっとと片づけて、俺たちもやつらと合流するぞ」
「へいへい、分かりましたよ」
子供のように口を尖らせて、だが男は素直に返事をした。
「それにしても、もったいないよねぇ。俺、この女なんか結構好みなんだけどなぁ」
そう言いながら、フェリシアの髪を優しく撫でる。
「殺しちゃう前に、ちょっと楽しんじゃおうかなぁ」
男の手が、フェリシアの頬を伝う。その手が首筋へと下りていく。
月明かりに照らされて、艶めかしく浮かび上がる白い肌。その肌の吸い付くような感触。
男の視線がフェリシアの全身を舐め回す。その手が、首筋からさらに下へと下りていった。
肩から二の腕へ、そして肘へ。そこからゆっくりと肩まで戻ってきた手が、興奮したように一度震えたかと思うと、そのまま双丘の間へと向かっていく。
その時。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」
突然、不機嫌な声がした。
「!」
乾いて張り付いていた喉は、声を出すこともできない。心臓をビクンと脈打たせて、男はその場から飛び退いた。
同時に、仲間の男たちが一斉に武器を構える。
「寝ている女に手を出すなんて、最低ね」
美しいその手で胸元をポンポンと払いながら、フェリシアがゆっくりと立ち上がった。
男たちが、フェリシアと、そしてミナセとヒューリからも距離を取る。戦闘態勢を取りながら、横になったままの二人をじっと見つめる。
その様子を見たフェリシアが、意外なことを言った。
「その二人は眠ってるわよ」
「眠っている?」
「そう。私の魔法でぐっすりと」
フェリシアが得意げに笑う。
その笑顔を忌々しげに睨み付けて、若い男が聞いた。
「貴様も眠っていたんじゃないのか? 起きている状態で、魔力反応があんなに小さいはずは……」
男は、三人に声を掛ける前に索敵魔法で確かめていたのだ。
その時は、間違いなく三人の魔力反応は非常に小さかった。まさに眠っている状態だった。
「あらいやだ。隠密魔法を調節すれば、眠った振りをするなんて簡単じゃない」
「隠密魔法、だと?」
フェリシアの言う通りだ。男もその技術は持っている。
だがフェリシアは、以前仕事で一緒だった時に言っていたのだ。
「私、索敵魔法は自信あるんだけど、隠密魔法は全然なのよねぇ」
フェリシアの索敵範囲を聞いたのもその時だ。傭兵団の連中からも裏は取っていた。
索敵範囲は、半径百五十メートル。そしてフェリシアは、隠密魔法を使わない。
「貴様、まさか最初から俺のことを……」
動揺を隠し切れない男に、フェリシアが答える。
「この間会った時は、ただの料理が上手な人ってくらいにしか思わなかったわよ」
「それなら、どうして隠密魔法のことを傭兵団にも黙っていた?」
「私ね、入社してすぐヒューリに言われたのよ。”そのあり得ない索敵範囲も、バカみたいな隠密魔法のことも言わない方がいい”って。だから、シュルツさんたちにも本当のことは言っていないの」
男が悔しそうに唇を噛む。
「バカみたいな隠密魔法って、ひどい言い方だと思わない?」
口を尖らせるフェリシアを、男が睨んだ。
「今回の作戦は、どうやって見破った?」
絞り出すように質問を重ねる。
フェリシアは、それにも即答した。
「私の索敵に、そこの人たちが引っ掛かってたのよ。お食事の前からずっと。それとね、あなたが演技をしてるって、ミナセが気付いたの」
「演技に、気付いた?」
「そうよ。ついでに言うと、あなたのスープ、何だかイヤな感じがしたってヒューリが言ってたわ。だからね、あのスープは三人とも飲まなかったの」
男は言葉を失った。
長い時間を掛けて信用させてきた。必要な情報もきっちり手に入れた。作戦決行には何の問題もないはずだった。
そう思っていたのに。
唇をワナワナと震わせる男の目の前で、フェリシアが、ミナセとヒューリに右手をかざした。
直後、二人は背伸びをし、あるいはあくびをしながらゴソゴソと起き上がってくる。
「んー、よく寝たな」
「起こされたってことは、私たちの出番なのか?」
見知らぬ男たちに囲まれて、だが二人は暢気にフェリシアを見た。
「そう、出番よ」
「そうか。じゃあフェリシア、後はよろしく」
「分かったわ」
意味不明な会話だ。出番だと言われた二人は、剣を取ろうともしない。
そしてなぜか、フェリシアの魔力が上昇していった。
「行ってくるわ」
「おお」
フェリシアの体が、ふわりと浮き上がった。
そして。
ボオッ!
急激な気圧の変化で風が巻き起こる。一気に加速したフェリシアは、男たちがやってきた側と反対の森目がけて、猛烈な速度で飛んでいった。
男たちの目が大きく開いていく。
その目の前で、ミナセとヒューリが肩を回し、指の関節を鳴らしながら言った。
「さて、やるか」
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