二人の師

「私は、伝統にも性別にも縛られるのが嫌だったのだ」


 話を終えたミズキが、すっかり冷めてしまった雑炊を見つめる。


「だから、私は旅に出た。そして、この町の宿屋であの剣に出会った」


 ウィルが、それを黙って聞いていた。


「魔法で刀を強化する方法も学んだ。アダマンタイトの特性もだいぶ分かってきた。あと何年かすれば、私はきっと素晴らしい刀を打つことができるだろう」


 ミズキが顔を上げる。


「私は、おかしいのだろうか?」


 その目がウィルを見つめる。


「もうすぐ二十五にもなるというのに、鉱石を掘り、こんなところに一人で籠もって刀を打っているような女は、やっぱりおかしいのだろうか?」


 黒い瞳が揺れている。

 その瞳を真っ直ぐ見つめ返して、ウィルが答えた。


「少なくとも、一般的ではないでしょうね」


 ミズキが目を伏せる。

 両手がお椀をぎゅっと握る。


「でも」


 明るい声がした。


「おかしくはないと、俺は思いますよ」


 少しだけ、ミズキが顔を上げる。上目遣いの視線の先で、ウィルは微笑んでいた。

 ウィルが、静かに話し出す。


「俺は、小さい頃から剣士になるのが夢でした。でも、農家だった両親は、くだらない夢なんか見てないで家の仕事を手伝えとしか言わなかった。だから俺は、十才で家を飛び出したんです」

「十才で!?」


 ミズキが驚いて声を上げた。


「そうです。そして、武者修行中だった、俺の最初の師匠に拾われました」

 

 昔を思い出すように、ウィルが語った。



 ウィルの最初の師匠だった旅の剣士は、「お前の目が気に入った」と言ってウィルを弟子にした。

 その腕は確かだった。道場破りを繰り返し、荒くれ者たちに何度打ち掛かっていっても、決して負けることはなかった。

 だが同時に、その気性は荒かった。

 あちらこちらで無謀な喧嘩を仕掛けては、その度に危険な目に会う。ウィルもその度に巻き込まれ、何度も死を覚悟した。

 そしてウィルが十五才の時に、五十人の山賊に真正面から向かっていって、死んだ。


「五十人……」


 思わずミズキがつぶやく。

 苦笑しながら、ウィルが続けた。


 その場から何とか逃げ延びたウィルは、一人で旅を続ける。

 無謀な修行のおかげで、荒削りながらも、ウィルの強さは相当なものになっていた。そんなウィルは、十八才の時、秘剣が手に入るという上級ダンジョンにたった一人で挑む。

 その最深部の手前で、ウィルは力尽きた。魔物たちに囲まれて、死を覚悟する。


「師匠に負けず劣らず、無謀だったのだな」


 呆れ顔のミズキに、やっぱり苦笑しながらウィルは答えた。


「まったくです。じつにバカでしたね。でも俺は、そこで次の師匠、俺の最後の師匠に出会うことができたんです」


 冒険者のパーティーに助っ人として同行していたウィルの二人目の師匠は、魔物に殺され掛けていたウィルを助けた。

 そしてそのまま自分の道場に連れて帰り、無理矢理ウィルを弟子にした。


 逃げ出そうとするウィルの首根っこを掴み、暴れ出すウィルをねじ伏せながら、徹底的にウィルを鍛え上げる。

 剣士として、人間として、とことんまでウィルを鍛え上げた。


「師匠は、すでに五十を超えていました。その残りの人生と、残りの命のすべてを使って俺を導いてくれたんです」


 ランプの炎が揺れる。

 黙ってミズキが待つ。 


「その師匠は、俺が二十五才の時に、道場を俺に託して亡くなりました」


 ウィルが再び語り始めた。


 師匠の突然の死。

 だが、その死を悼む間もなく、道場の経営という現実がウィルに迫ってきた。

 教えられる側から教える側にならなければならない。金を稼ぎ、弟子を養うという役割を担わなければならない。

 ウィルは混乱した。それでも、ウィルは折れなかった。そんなウィルを、町の人々が支えた。


「大変だったんだな」

「必死でしたね。あの時は、自分でもよくやったんじゃないかって思います。それなのに」


 自嘲気味に、ウィルが笑った。


「道場が落ち着いてきた頃、どうしてもあの国に行きたくなって、修行の旅に出たんです。それが、二十八の時でした」


 ウィルは、師匠が大切にしてきたものを大切にした。それは、絆。弟子たちとの絆。町の人たちとの絆。

 町を襲った盗賊団を撃退し、英雄のように扱われても、ウィルは慢心することなく人々と接した。そのおかげで、道場の経営も安定してきた。

 それなのに、人々が泣いて引き留めるのを振り切って、ウィルは修行の旅に出た。


「ずいぶんと思い切ったことを……」


 感心したようにミズキが言う。


「ほんとですよね。門下生にも、町の人たちにも止められました。それでも俺は、みんなに頭を下げてこの町を出たんです。絶対に帰ってくると約束をして」


 窓の外に目をやり、しばらく黙っていたウィルが、ミズキに向き直る。


「俺は、三十三になる今まで、強くなることばかりを考えていました。町の人たちから結婚を勧められても、それを断って修行の旅に出てしまうくらい、剣のことしか考えていませんでした。だからね」


 ウィルが、ミズキを見て言った。


「ミズキさんがおかしいなんてことになったら、俺は、それに輪を掛けておかしいってことになっちゃいます」


 真っ直ぐにミズキを見て言った。


「だから、ミズキさんは絶対におかしくなんかないです」


 爽やかにウィルが笑う。

 町の女性たちを魅了してきた、ちょっとステキな笑顔でウィルがミズキを見た。

 そんなウィルを、ミズキが見つめ返す。


「こう言っては何だが」


 真顔で、ミズキが言った。


「私の人生の方が、まだまともだな」

「えぇっ!」


 ウィルが大きな声を上げた。

 ウィルとしては、ちょっと思い切ってみたのだ。いいことを言って、いい雰囲気にしたつもりだったのだ。


「ここは、ありがとうとか言って、恥ずかしそうに微笑む場面じゃないんですか!?」


 ミズキの予想外の反応に、照れ隠し半分、不満半分でウィルが睨む。

 ミズキより年上のウィルが、まるで少年のように口を尖らせている。


「フフッ」


 思わずミズキは笑ってしまった。


「ちょっと、笑うってどういうことですか!?」


 不満顔のウィルに、ミズキが言う。


「いや、すまない。でも……フフッ」


 笑いをこらえるミズキにウィルが迫る。


「納得がいきません! ミズキさん!」

「フフッ、フフフフ……」


 頬を紅潮させてムキになるウィルの前で、ミズキは、いつまでも楽しそうに笑っていた。

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