ゴート

 町の中心から少し外れた静かな地域。その中にある一軒の平屋の前に、ヒューリは立っていた。

 石造りのその家には、何となく重たい空気がまとわりついている。

 と、ヒューリは感じてしまう。


「そうさ。べつに殺される訳じゃない。ただ、ちょっといろいろ言われるだけだ」


 小さくつぶやいて、深呼吸をする。

 気合いを入れて、ヒューリは扉をノックした。


 ドンドンドン


 薄っぺらい板でできた扉が、やけに大きな音を立てる。


「うるさい、誰だ!」


 うわぁ、いきなりかよ


 引き攣る頬を手のひらでほぐし、努めて明るい声で、ヒューリは返事をした。


「こんにちは。エム商会から来ました、ヒューリです」


 ……


 反応なし。


 じじいめ!


 心の中で悪態をつきながら、ヒューリはそっと扉を開けた。


「あのぉ……」


 途端に怒鳴り声がする。


「勝手に入ってくるな! 礼儀知らずめ!」


 かぁーっ、腹立つー!


 こみ上げる怒りを抑えて、ヒューリは謝った。


「すみませんでした」

「ふん、まあいい。ぼさっと立ってないで、さっさと入れ」


 蹴りたい! 蹴っ飛ばしてやりたい!


 家の中に入るという、たったそれだけのことで、すでに精神力の半分を持っていかれた気分だ。


「まずは部屋の掃除だ。それが終わったら、買い物に行ってこい」


 サラさんのおじいちゃん、ゴートが、台所のイスに座ったままいきなり指示を出し始める。


「分かりました」


 沸騰寸前の感情を抑えて、ヒューリは仕事に取り掛かった。


 ゴートは足が悪い。歩くには杖が必要だ。

 だが、それ以外は特に持病がある訳でもなく、年の割には健康と言えた。


 アルミナ近郊の村で農家をしていたゴートには、妻と三人の子供がいた。

 長女は結婚して遠くの町へ行き、長男は、商人になって国中を旅している。

 次女も結婚してアルミナの町で暮らしていたのだが、娘のサラが十五才になって間もなく、夫共々事故で亡くなっていた。


 ゴートは、妻と二人畑を耕しながら質素に暮らしていたが、その妻にも先立たれ、自身もちょっとした事故で足を悪くしたことをきっかけに、孫のサラが住むアルミナの町に移り住んできていた。

 サラは未婚。住み込みで働いていて、ゴートを養うことはできない。

 ゴートは、土地を売ったお金で借家を借りて、一人暮らしをしている。サラが時々面倒を見に来てはいるが、やはり手が回らないため、定期的にエム商会に家事手伝いの依頼をしていた。


 ヒューリが、窓を全開にして部屋の掃除を始める。

 ハタキを掛け、箒で掃き、雑巾で拭く。それほど広くない部屋の掃除は短い時間で終わった。

 だが。


「何だこれは! 埃が積もっとるじゃないか!」


 窓辺の花瓶の縁を指でなぞって、ゴートが大きな声で言った。


「すみません、すぐやり直します」


 ヒューリが花瓶を拭き直す。


「これでいいでしょうか?」

「ふん、まあいいだろう。次は買い物だ。ここに書いてある物を急いで買ってこい」

「……分かりました」


 ヒューリは、ゴートからメモとお金と買い物かごを受け取って、家を出た。


 肩を怒らせ、ドスドスと音を立てながらヒューリは歩く。


「あのじじいっ、いつかぶっ飛ばす!」


 やり場のない怒りを体中から溢れさせ、前方を睨み付けながら店に向かった。

 途中、正面から来たやくざ風の男が道を空けろと凄んできたが、ヒューリの目を見た瞬間、「ごめんなさい!」と叫んで走り去っていった。

 店に着いたヒューリは、その勢いのまま買い物を始める。そして、ビクビクしている店の主人に代金を渡して帰路についた。

 買い物かごの中身は、食材だ。


「言っとくけど、私は料理なんてできないからな! たとえできたとしても、うまい料理なんか作ってやるもんか!」


 すれ違う人をことごとく怯ませながら、ヒューリはゴートの家まで戻った。


「戻りました」

「遅い!」

「くっ!」


 第一声がそれか!


 ヒューリが拳を握り締める。


「すみませんでした」


 それでもヒューリは、どうにか耐えた。


「買ってきた物をテーブルに置いて、そこの食器を洗え」


 どうやらゴートは、ヒューリが買い物に行っている間に食事をしていたようだ。

 買い物かごをテーブルに置くと、ヒューリは黙って洗い物を始めた。


 こんにゃろ! こんにゃろ!


 自然と洗い物にも力が入る。

 ヒューリは、皿が削れるんじゃないかと思うくらい物凄い力を込めて洗った。

 と、その時。


「何じゃ、この人参は? 先っぽが折れてるじゃないか!」


 ゴートが、一本の人参をヒューリに突きつけて文句を言った。


 それくらいどーでもいいだろっ!


 ヒューリが心の中で叫んだ。

 その瞬間、皿が、パキッという音を立てて割れた。


「あ……」


 左手に残った皿の一部を、ヒューリが呆然と見つめる。


「貴様、何をしとる!」

「すみません!」


 さすがにこればかりはヒューリも謝るしかない。


「ちょっと力が入ってしまって……」

「貸せ!」


 ゴートは、びっこを引きながら流しまでやってきて、皿の破片をヒューリから奪い取った。


「もういい、この役立たずが! とっとと帰れ!」


 破片を握り締めてゴートが怒鳴る。


「すみません! お皿は弁償します!」

「もういいと言っとるだろ、帰れ!」

「でも……」

「いいから帰れ!」


 ゴートは、ヒューリの背中を杖で小突いて、無理矢理玄関の外へと押し出した。


「あのっ!」


 バタン!


 扉が勢いよく閉じられる。


 ドンドンドン!


「すみません、ゴートさん!」


 ドンドンドン!


「あのっ!」


 声を掛け、扉を叩くが返事はなかった。

 ヒューリも、これはまずいと思ったのだろう。しばらくそこで粘っていたが、まったく反応がないその扉に、やがて諦めて、トボトボと歩き出した。

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