私らしく

「これは、ロダン公爵からの手紙だ」

「ロダン公爵から?」

「私なんかが持って来たんじゃあ信用できないかもしれないけど、いちおう本物だから」

「いえ、信用します!」


 相変わらずの素直な反応に、ヒューリが笑う。


「いわゆる密書ってやつだからな。扱いには気を付けてくれ」

「はい!」


 姿勢を正して、ターラはその手紙を受け取った。緊張しながら封を切り、緊張しながら読み進めていく。

 読み終えたターラは、手紙を見つめたままじっと考え込んだ。しばらくすると、もう一度最初から手紙を読み始める。

 二度目を読み終え、やはりじっと動かずにいたターラが、やがて顔を上げた。


「承知しました、と、公爵にお伝えください」


 真っ直ぐにヒューリを見てターラが言った。

 ヒューリもターラを見つめる。引き締まったその顔と、迷いのないその目をヒューリはじっと見つめていた。


 初めて会った時から、ヒューリとターラは姉御と子分のような関係だった。

 ヒューリにイジられてターラが慌てる。ヒューリに叱られて、神妙に、あるいは嬉しそうにターラが頷く。武術大会の期間中も、ピクニックの時もそれは変わらなかった。

 しかし今は。


 父上も、こんな目をしていたな


 そんなことを、ヒューリは思った。


 背負うことを決めた、男の目だ


 そう思って、なぜかヒューリは慌てる。

 咳払いをしてから、ヒューリが答えた。


「分かりました。間違いなくお伝えします」

「よ、よろしくお願いします」


 突然敬語になったヒューリに、ターラがびっくりしながら頭を下げた。

 同じくびっくりしながら、ヒューリが視線をそらした。

 気まずさをごまかすように、ヒューリがカップを持つ。それを一気に飲み干して、もう一度咳払いをする。そして、おもむろに鞄に手を入れると、そこから別の手紙を取り出した。


「じ、じゃあ次。これは、うちの社長からだ」


 ヒューリが、目をそらしたままでそれを渡す。


「はい」


 手紙を受け取って、ターラがまた読み始めた。

 公爵の手紙と同じように、背筋を伸ばしてそれを読む。一度読み終えて、もう一度最初から読み直す。

 二回読み、少しの間考えていたターラが、顔を上げて言った。


「分かりました。手紙のこと、間違いなく協力させていただきます」


 人懐こい笑顔を浮かべながら、はっきりとターラが答えた。

 あまりの即決に、ヒューリがちょっと心配そうに聞く。


「えっと、それなりに危険を伴う話だと思うんだけど、そんなにあっさり決めちゃっていいのか?」


 ヒューリの知る限り、森の統治は合議によって行われていた。国に王はおらず、部族の代表による話し合いによって物事が決められていく。森全体に関わる問題は、国の代表者が集まってその解決策が話し合われた。


 最初に渡した公爵の手紙は、言わば公爵からの意思表明だ。ターラが関係者に伝えればいいという内容。話し合う必要はたしかにない。

 しかし、マークからの手紙は依頼だ。しかも、ヒューリが言った通りそれなりに危険を伴う。部族のみんなと相談してもよい内容のはずだった。

 それなのに。


「大丈夫です」


 迷いなくターラが答えた。


「みんなには、わしが話をします。だから大丈夫です」


 笑顔の中に強い意志を感じて、ヒューリが微笑む。


「そっか、分かった」


 微笑んで、大きく息を吸って吐き出して、その顔が、突然姉御のそれに変わった。


「悪いけど、よろしく頼む。じゃあ、私はこれで」


 軽やかにヒューリが立ち上がった。


「えっ、もう帰っちゃうんですか!?」


 慌てて立ち上がるターラは子分の顔だ。


「すぐ戻らないといけないんだよ。こう見えて、私も忙しいのさ」

「そう、なんですか」


 残念そうなターラにヒューリが言った。


「森を引っ張る男が、そんな顔しない!」


 バチン!


 大きな背中をヒューリが叩いた。

 大きな背中がピンと伸びた。


「今度は、仕事じゃなくて遊びで来るよ。その時は、ぜひ森を案内してくれ」

「はい!」


 嬉しそうなターラにお茶の礼を言って、ヒューリは扉へと向かう。

 急いで扉を開けに走るターラを見ながら、ヒューリはふと考えた。


 この先しばらくは忙しくなる

 でも、それが全部片付いたら……


 何の意味もなく、丸太みたいな腕をバシバシ叩いてヒューリが笑う。

 驚くターラを放置して、ヒューリが早足で歩き出す。

 またまた慌てて玄関の扉を開けるターラに、「じゃっ!」と言って、ヒューリは外に出た。

 そしてヒューリは、挨拶もそこそこに繋いであった馬に飛び乗ると、あっという間に東へと駆けて行った。


 呆然とターラが佇む。

 やがて、ターラが叫んだ。


「ヒューリさん! わし、頑張ります!」


 その声は、間違いなくヒューリに届いていない。それなのに、視界の彼方でヒューリが片手を上げたような、そんな気がした。



 国境を越えた商隊は、小川のほとりで野営をしていた。明日はいよいよ危険な地域に入る。落ち着いて野営ができるのは今夜までだ。

 焚き火の周りでは、ファルマン商事の社員と護衛の男たちが、一緒になって食事をしていた。


「うまいな!」

「うん、うまい」

「ほんとにうまいな!」

「うん、ほんとにうまい」


 男たちは、夢中でスプーンを口に運んでいる。


「まだたくさんありますから、皆さんよかったら……」

「おかわり!」

「おかわり!」

「俺も!」


 リリアが声を掛けた途端、一斉に皿が差し出された。

 ニコニコ笑いながら、リリアが一つずつ皿を受け取って、一つずつそれを返していく。

 護衛の一人がリリアから皿を受け取った瞬間、大きな声がした。


「あっ、今お前、わざと手に触っただろ!」

「そ、そんなことするはず……」

「いーや、今のは絶対わざとだ!」


 子供みたいなやり取りを見て、リリアが笑った。

 あまりのやかましさに、シュルツが怒鳴る。


「うるせぇ! 食事は静かに食うもんだ!」


 シュルツの一喝で、場が静かになった。

 それを見て、リリアが感心したように言う。


「シュルツさんって、ちゃんとしてるんですね!」

「え? いや……」


 シュルツが目を泳がせる。

 部下たちがシュルツを睨む。

 社員の一人が、小さな声で言った。


「俺も、ちゃんとしよ」



 シュルツに力を抜けと言われたリリアは、御者台に座ることをやめて、みんなのいる荷台に移った。

 男たちが空けてくれた隙間に座ったリリアは、ふとマークの言葉を思い出す。


「リリアはリリアらしく。それで大丈夫だよ」


 初めての護衛の仕事。初めての、社員以外の人間との旅。

 不安いっぱいのリリアに向かって、微笑みながら、マークはそう言った。


「私らしく」


 リリアが小さくつぶやく。


「よし!」


 そしてリリアは、リリアらしく行動を開始した。


 休憩中の男のシャツを見て、リリアが声を掛ける。


「ボタン、取れ掛けてますよ。そのまま動かないでいてくださいね」

「は、はい!」


 器用にボタンを付け直すリリアを、男が緊張しながら見つめる。


 片手をかばう社員に気が付いて、リリアが駆け寄っていく。


「指、腫れてますね。荷物の積み替えの時ですか?」

「えっ? たぶん、そうかな」

「私、治癒魔法が使えるんです。ちょっとじっとしていてくださいね」


 優しく指を包まれて、男が幸せそうに目を閉じる。


 リリアは、本当によく気が利いた。

 リリアは、驚くほどみんなことを見ていた。


 私らしく


 護衛の仕事を知らないリリアは、護衛という範疇を大きく超えて、商隊のために一生懸命働いた。

 馬の世話をし、荷物を整理し、装備品の手入れを手伝う。

 料理を作り、お茶を振る舞い、服の綻びを直す。


「あの子が嫁に来てくれたら、俺はその場で死んでもいい!」

「それじゃあ意味ないだろ」

「でもそれ、俺も分かる」


 クルクルと働くリリアを目で追いながら、男たちはにんまりと笑うのだった。



 北のウロルに続く広い街道。商隊は、その街道から西へ逸れて森の道に入った。

 道沿いには、ぽつりぽつりと建物がある。ところどころに集落のようなものもある。

 しかし、どの建物にも人は住んでいない。十年前の戦争の時、森の奥へと逃げた住人たちは、今なおそこから戻ってこられずにいた。


「ここから警戒区域だ。索敵、気を抜くなよ!」

「はい!」


 シュルツの声で、商隊の緊張が高まっていく。この辺りから人の住む最初の町までの間が、この旅でもっとも危険な区域だった。

 放置された建物を見て、リリアがつぶやく。


「あれじゃあ、人は住めないですね」


 見える範囲にある建物は、そのほとんどがボロボロだ。とても人が住める状態ではない。

 しかし、残念ながら、その建物を利用している連中がいた。


「前方に反応!」


 索敵担当が鋭く叫ぶ。

 商隊が止まった。守る者も守られる者も、速やかに体制を整えていく。

 どうしていいのか分からないリリアは、とにかく馬車を飛び降りて、剣の覆いを外し始めた。

 すると。


「お前はここにいろ」


 リリアの肩に手を置いて、シュルツが言った。


「でも」


 戸惑うリリアに、護衛の男たち全員が振り向いて笑う。


「大丈夫だ」

「リリアちゃんは、そこで見ていてくれ」


 そう言って、男たちは前を向いた。

 剣を抜き、槍をしごき、魔力を練り上げながら歩き出す。

 男たちの士気は高い。男たちの心に、恐れなど微塵もない。


 あの子は俺が守る!

 指一本触れさせねぇ!


 燃え上がる闘志と燃え上がる瞳。


「野郎ども、ここが見せ場だぞ!」

「おおっ!」


 シュルツの謎の掛け声に、大きな声で部下たちが応えていた。


 壁が崩れた建物。屋根が落ちている納屋。それらの中から感じる怪しい気配。

 どう考えてもそこにいる。かなりの数の魔力反応がある。安全を考えるなら、迂回もあり得る状況だ。

 それなのに。


「盗賊ども、出てきやがれ!」

「俺たちが鉄槌を下してやる!」


 護衛の男たちが口々に叫んだ。

 男たちが、闘志満々で宣戦布告をしていた。


 建物の中の気配が動き出す。物影からギラギラした目が這い出してくる。

 相当な数の盗賊たちが、あちらこちらから湧いて出てきた。

 そのうちの一人、体の大きな首領らしき男が、にたりと笑って言った。


「こんだけの数を目の前にして、いい度胸……」

「突撃!」

「は?」


 首領がセリフを言い終わる前に、護衛の男たちが走り出した。


「ちょっとま……」


 目を丸くする首領に向かって、先制攻撃とばかりに魔法が放たれる。


「ファイヤーボルト!」

「うわっ!」


 首領が慌ててそれを避けた。

 後ろにいた子分が、直撃を受けて悲鳴を上げる。


「いけぇ!」

「うおぉぉっ!」


 もの凄い勢いで護衛の男たちが迫ってきた。

 燃える男たちが、猛烈な勢いで襲い掛かってきた。

 それを見た首領が、うわずった声で号令を掛ける。


「に、逃げろー!」

「まじっすか!?」


 驚く子分たちを置き去りにして、首領はさっさと逃げ出した。


「卑怯者!」

「逃がすか!」


 男たちが追い掛ける。

 盗賊たちが右往左往する。


 戦いになどならなかった。盗賊たちはいきなり総崩れだ。

 逃げる盗賊と追う男たち。

 この旅最初の戦いは、護衛側の完全なる勝利で終わった。


「くそ、逃がした」

「次は全滅させてやる」


 鼻息荒く戻ってくる男たちを、リリアが出迎える。


「皆さん、お疲れ様でした」


 そしてリリアが、感心したように言った。


「皆さんお強いんですね。凄いです!」


 シュルツが、剣をビュンと一振りして鞘に収める。


「これくらい、どうということはない」


 続けて、部下たちも口々に言う。


「あんなの朝飯前だ」

「大したことないさ」


 男たちが胸を張る。

 そんな男たちに、リリアが聞いた。


「ケガはありませんか?」


 男たちが答えた。


「あの程度の戦いでケガなどせん!」

「そうだな。ケガなんてするはずがない」


 男たちがさらに胸を張る。

 その時、一人の男が小声で言った。


「俺は、ちょっと手を……」


 タタタッ


 リリアが素早く駆け寄っていく。


「どこですか? まずは傷を洗わないと。その後で私が魔法を……」


 手の甲のちょーっとしたかすり傷を、リリアが真剣な顔で見ていた。

 手を握られながら、男がだらしない顔でリリアを見ていた。


「あ、じつは俺も……」

「貴様!」


 盗賊たちとの戦いよりも熾烈な戦いが、突如勃発した。

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