幕間-ド素人-
初めての護衛
「東から馬が一騎来るぞ!」
「一騎? 伝令か何かじゃねぇのか? そんなの襲ったって……」
「ばーか、乗ってる人間をよく見てみろ。すげぇいい女だ」
「なにっ!」
男たちが色めき立つ。
「ほんとだ!」
「こりゃあ久し振りに」
「待てっ!」
首領の鋭い声が、男たちを黙らせた。
「あれは……やばい!」
「何がです?」
子分に答えることなく首領が叫んだ。
「野郎ども、隠れろ!」
身を隠しながら、首領が言った。
「エム商会の赤髪だ!」
「えっ!」
男たちが慌て出す。藪に飛び込み、木の陰にぴたりと張り付いて呼吸を止める。
そこにいる全員が、冷たい汗を流しながら己の無事を祈っていた。
エム商会の赤髪。
イルカナや周辺地域において、その存在を知らぬ盗賊はいない。
息を潜める男たちの前を、一頭の馬が駆け抜けた。手綱を握るのは一人の女。赤い瞳と赤い髪の美しい女。
遠ざかっていく蹄の音に胸を撫で下ろして、首領が藪から首を出す。
「触らぬ神に祟りなしだ」
体をブルリと震わせて、首領が小さくつぶやいた。
「ほんとに大丈夫なんですか?」
「大丈夫だろ。……たぶん」
答えるシュルツは、隣の部下の目を見ない。部下が不満いっぱいの目で自分を見ているのは分かっていたが、どうにもその目を見ることができなかった。
かわりにシュルツは、御者台に座って前を睨んでいる一人の少女を見る。
少女は、布にくるまれた得物を抱えていた。それは、少女の体にはどう考えても不釣り合いで、どう考えてもまともに扱えるとは思えない大きさだった。
剣だと言っていたそれを、少女は片手で軽々と持って馬車に乗り込んできている。
木か?
それとも竹?
金属でできているとは思えないそれを、シュルツが見つめる。部下の視線から逃れるように、シュルツはじっとその剣を見つめていた。
シュルツたちが護衛しているのは、今回もファルマン商事の商隊だ。行き先は、コメリアの森。
コメリアの森には、国と呼ぶにはあまりに小さい、それでも自治を保っている小国が五つあった。互いに争うことも干渉することもなかったそれらの国が、十年前の戦争をきっかけに、緩やかながらも同盟関係を結んだ。
それが最近になって、さらに強固なつながり、すなわち連邦国家の樹立を目指している。
その動きの中心にいるのが、武術大会にも出場していた森の戦士、ターラだ。
そのターラを、ファルマン商事が密かに支援していた。
大会以降、森に向かうファルマン商事の商隊が増えた。南のエルドアや東のカサールに行くことの多かったシュルツたちにも、森行きの護衛の話が来るようになった。
シュルツが森に行くのは、今回で二度目だ。今回は、選りすぐりの部下を揃えている。
前回は苦戦したからな
苦い記憶を思い起こして、シュルツが小さく顔をしかめた。
元来、コメリアの森は治安がよい。住人たちは素朴で親切。地域の絆も強く、玄関に鍵を掛ける習慣がないほどだ。
しかし、街道筋には悪党が多かった。そのほとんどが、他国から流れ着いたお尋ね者や、食うに困って悪に身を落とした者たちだ。
しっかりとした統治機構の存在しないコメリアの森では、賊を討伐する機会が少ない。ゆえに、賊は野放しになる。
強くはないが、数が多い。
何度追い払っても、またしつこくやってくる。
昼夜関係なく襲ってくる連中に、シュルツたちは手こずったのだった。
だから、今回は優秀な部下を揃えた。
さらに、念には念を入れて、エム商会にも応援を依頼した。
しかし。
「やって来たのが、ミナセでもヒューリでもフェリシアでもなく、あの女の子。護衛経験のないド素人。いくらエム商会の社員だからって、俺はどうかと思いますがね」
「……」
視線は外すことができても、耳を塞ぐことはできない。
不満の止まらない部下に、シュルツはもはや返す言葉がなかった。
本当に大丈夫なのか?
御者台に座るその背中を、シュルツもまた不安そうに見つめていた。
「大変申し訳ありませんが、ミナセもヒューリもフェリシアも別の仕事で出払っていて、今回は担当することができません」
ファルマン商事で行われた事前の打ち合わせ。マークの言葉に、ファルマン商事の社長とご隠居、そしてシュルツが肩を落とす。
「俺たちだけで何とかするしかないか」
難しい顔でシュルツがつぶやいた。ファルマン商事の社長も、残念そうに目を閉じる。
すると。
「もしよろしければ、料金は結構ですので、うちの社員を一人、同行させてはいただけないでしょうか」
にこやかにマークが言った。
「その方は、護衛経験があるのですか?」
「ありません」
社長にマークがきっぱり答える。
「そいつは強いのか?」
「はい。それは保証します」
シュルツの問いに、マークが自信満々で答える。
目の前の三人を見ながら、マークが続けた。
「先程も申し上げましたが、料金はいただきません。ですが、賊に襲われた時には、その者も全力で商隊をお守りします。もし足手まといになるようでしたら、その場でおっしゃってください。そこから一人で帰らせますので」
堂々と言い切るマークに、社長もシュルツも言葉がない。どうしたものかと、腕を組んで考え込んだ。
すると。
「よいのではないかな」
ご隠居が言った。
「この男がこれほどまでに言うのだ。問題はないじゃろうて」
ほっほっほ
相変わらずの細い目が、マークを見ながら楽しそうに笑った。
「まあ、親父がそう言うなら」
社長が頷く。
「皆様がよろしいのであれば」
シュルツも同意する。
「ありがとうございます」
微笑みながら、マークが頭を下げた。
打ち合わせでのやり取りを思い出して、シュルツがため息をつく。
あの子、ほんとに護衛経験がないんだな
自分はここでいいからと言って、少女は自ら御者台に座った。その背中は、まだ町の中だというのに緊張で張り詰めている。
その少女のことは、アルミナの酒場でよく話題になっていた。
気立てが優しくて機転が利く。
いつもニコニコしていて、見ているだけで癒される。
その子の作る料理は最高にうまいらしい。
「あの子が嫁に来てくれたら、俺はその場で死んでもいい!」
「それじゃあ意味ないだろ」
「でもそれ、俺も分かる」
美人揃いのエム商会。その中の、嫁にしたい候補ナンバーワン。
栗色の髪の美少女、リリア。
ふぅ
もう一度ため息をついて、シュルツが立ち上がった。荷台の前へと移動して、力が入りまくっているその肩をポンと叩く。
「まだ町を出ていないんだ。もっと力を抜け」
びっくりしたように、リリアが振り向いた。
「それと、お前が全部背負う必要はない。俺たちもいるんだ。一緒に頑張ろうぜ」
笑いながら、シュルツが言った。
リリアが目を丸くする。
リリアがうつむく。
リリアが、ゆっくりと息を吐き出していく。
そして。
「ありがとうございます!」
リリアが答えた。
「そうですよね。私、ちょっと気負い過ぎてました」
恥ずかしそうに頬を染める。
「何にも知らないくせに、バカみたいですよね」
「あ、いや、そんなことは……」
リリアの言葉に、シュルツが少し慌てた。
そのシュルツに、リリアが言った。
「私、勉強します。いろいろ教えてくださいね、シュルツさん!」
可愛らしい顔で、リリアが笑った。
「も、もちろんだ。いろいろ教えてやる」
なぜかシュルツが目を泳がせる。
瞬間、背中に視線を感じた。振り返ると、部下たちがシュルツを睨んでいる。
「いや、いろいろと言っても、それは護衛の心得とかそういう意味で……」
「?」
リリアが首を傾げる。
シュルツが焦る。
男たちが睨む。
「私、頑張ります。皆さん、よろしくお願いします!」
頭を下げるリリアに向かって、一斉に返事が返ってきた。
「喜んで!」
「任せろ!」
リリアがニコニコと笑い、男たちがニヤニヤと笑う。
「まあ、あの子がいても、いい、かな」
不満を言っていた部下が、にやけた顔で、こっそりつぶやいていた。
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