闇の拍動

 扉から出てきたミナセが小さく頷いたことを確認して、一行は宿の中に入った。

 途端、フェリシアが声を上げる。


「カイル! あなたどうして!?」


 目を丸くするフェリシアに、「よっ!」と片手を上げたカイルが、アルバートに軽く頭を下げて、背を向けた。

 カイルを追って二階に上がった一行は、導かれるまま廊下を歩く。右に折れてさらに進み、突き当たったその場所で、カイルが立ち止まった。


 トントントン


 迷いなくカイルが扉を叩く。


「俺だ。お連れした」


 声に反応して、扉が開く。


「どうも、お久し振りです」


 知性を湛える穏やかな目が出迎えた。


「副団長!」


 予想はしていたが、やはりミナセは驚いてしまう。

 その反応を楽しそうに見てから、アランが言った。


「どうぞお入りください。ただし、扉を閉めるまでは絶対に声を出さないように」


 真顔で言われてミナセが頷く。

 フェリシアも、ほかのみんなも頷いた。


 扉が開かれていく。

 アランがみんなを導き入れて、扉を閉める。


 そしてミナセは息を止めた。

 フェリシアも動きを止めた。


 テーブルの向こうに男がいた。その隣には、十才くらいの男の子。

 男が、テーブルを回り込んで一行に歩み寄る。

 男の子が、それに従うように続く。

 男が言った。


「お初にお目に掛かります、アルバート様」


 恭しく膝をつき、堂々とした声で、男が名乗った。


「イルカナの軍事を統括しております、ロダンと申します」


 イルカナ三公爵の一人、ロダン公爵がそこにいた。


「ロダンの息子、ロイと申します」


 公爵の斜め後ろから、ロイも名乗った。

 剣士と魔術師、そしてクロエが慌てて膝を折る。ミナセとフェリシアも、一歩下がって膝をつく。

 驚く一行の中で、アルバートだけが落ち着いた声で言った。


「あなたのことは、”影”から聞いています。イルカナで何かあった時は、あなたを頼るようにと」


 突然の出来事にも動じた様子はない。

 堂々としたその姿に、ロダン公爵が微笑む。


「まずはお掛けください。お供の方も、どうぞ奥へ」


 立ち上がって、公爵がアルバートにイスを勧めた。アランが素早く動いて、クロエたちのイスを用意する。

 訳が分からないままに、ミナセとフェリシアも立ち上がった。その二人に、ロダン公爵が言った。


「ミナセ殿、フェリシア殿、ここまでご苦労だった。すまないが、二人はすぐアルミナに戻ってくれ。マーク殿が待っている」

「社長が?」


 目を見開く二人の肩を、カイルが叩く。


「そこまで送っていくよ。歩きながら話そう」


 もはや言われる通りにするしかない。

 アルバートが、二人に微笑んだ。


「二人とも、ここまで本当にありがとう」

「いえ……」


 曖昧な微笑みを返し、公爵親子と剣士たちに頭を下げた二人は、カイルに続いて部屋を出ていった。



「何なの? いったい何があったの?」


 宿屋を出るなり、フェリシアがカイルに詰め寄った。


「お前に言い寄られるのは嬉しいんだが、そういうのは人目のないところで頼むぜ」

「もう!」


 楽しそうに笑うカイルをフェリシアが睨む。だが、たしかにカイルの言う通りだ。間違いなく、それは町の中で話してよい内容ではない。

 フェリシアも、そしてミナセも、大きな疑問を抱いたまま黙ってカイルの後について歩いた。


 西側から町を出たところで、ようやくカイルが話し始めた。


「今俺たちは、国内を巡察するロダン公爵のお供をしているところだ。見聞を広めるために、今回はロイ様も同行している」


 カイルの指さす先には、草地に陣を張る軍隊があった。見れば、兵の中には見知った顔がいくつかある。

 イルカナの正規軍。もと漆黒の獣の兵士が大半を占める、ロダン公爵直轄の精鋭部隊だった。


「公爵親子は、明朝この町を出発して西へと引き返し、アルミナを素通りして国境付近まで行くことになっている」

「じゃあ……」

「そうだ。さっきも言ったが、ここからは俺たちがアルバート様の護衛を引き継ぐ」


 フェリシアが大きく目を見開いた。

 カイルたちばかりでなく、ロダン公爵が、それもロイを連れてアルバートたちの護衛をする。なぜそんな状況になったのか、さっぱり理解できない。


「でも、コメリアの森にイルカナの軍は入れないのでは?」


 ミナセが、フェリシアとは別の疑問をカイルに聞いた。

 にこりと笑ってカイルが答える。


「その通り。だから、国境からはさらにバトンを引き継ぐことになる」

「さらに?」

「そうだ。国境からは、ターラたち森の一族が護衛をしてくれる」


 ミナセも、そしてフェリシアもそれには驚いた。


「コメリアの森へは、おたくらの社長が話をつけてくれているはずだ」

「社長が?」


 驚きっぱなしの二人にカイルが言った。


「とにかく、二人は急いでアルミナに戻ってくれ。公爵がおっしゃっていた通り、社長が待ってるからな」

「えっ? 説明は何もないの?」

「ない」

「……」


 黙り込む二人をカイルが見る。


「じつは、俺もよくは知らないんだ。だが」


 小さな声で、カイルが言った。


「エルドアを混乱に陥れている怪しい教団。その背後に、おそらくとんでもない後ろ盾がいる。だから、ロダン公爵はエルドアの内政に首を突っ込む覚悟を決めた」


 二人は目を見開き、そして表情を引き締める。


「下手をすると、周辺諸国を巻き込んだ大事件に発展するかもしれない。とにかく急げ。俺よりも、社長の方が詳しく知ってるはずだからな」

「分かりました」

「分かったわ」


 二人が頷く。

 そして、ミナセが言った。


「戻る前に、私たちからも話があります」


 ミナセが、カイルに一歩近付いて小声で話し始めた。

 一行を追ってきた魔物たち。魔物を操っていた一人の男。


「分かった。公爵に伝えておこう」

 

 目を見張りながら、だが静かにカイルは答えた。


「フェリシア」

「了解よ」


 差し出すミナセの手をフェリシアが握る。


「風除けのシールドは不要だ。全力で頼む」

「任せて!」


 二人が浮いた。


「では、失礼します」

「後は頼んだわよ」

「おう、任せろ」


 手を振るカイルを振り返ることなく、二人は飛んだ。

 前を睨み、険しい表情のままで、西に向かって二人は猛烈な速度で飛んでいった。




「ワイバーンたちが、たった一人にやられたというのか?」

「はい」

「ヘルハウンドはどうしたのだ?」

「おそらく、地上にいた別の人間に……」


 頭を下げたまま、掠れた声で男が答える。床を見つめるその瞳は、怯えるように震えていた。


「ワイバーンを倒した人間を、お前は見ているのだな」

「は、はい。紫の髪をした、美しい女でございました」

「紫の髪の女?」


 首を傾げて仮面が考える。


「あの女かもしれぬな」

「は?」


 思わず顔を上げた男に、仮面が言った。


「まあよい。お前は一旦教祖のもとに戻れ。北東地域への布教を急ぐのだ」

「はっ! その、私のお咎めは……」

「魔物はいくらでも作れるが、優秀な部下は簡単には手に入らんのだ。これからも励め」

「はっ! ありがとうございます!」


 もう一度深く頭を下げ、顔を紅潮させながら、男は下がっていった。

 ただ一体戻ってきたワイバーンの頭を撫でて、仮面が笑う。


「最後の実験は、やつで行うことにしよう。今回の罪は、その体で償ってもらえばよいわ」


 笑いながら、踵を返す。


「紫の髪、覚えておるぞ。苦労して育てたヒュドラを倒した女だな」


 初期の頃の試作品の一体。

 初めて成功した大型種の事例。


「今となってはヒュドラの一体や二体、どうでもよいのだが」


 当時の苦労を懐かしむ。


「しかし、あれほどの魔力の持ち主は滅多におらぬ。もしかすると、あの女なら……」


 言い掛けて、ふいにその足が止まった。

 仮面を撫でるように、不思議な風が吹き抜けていく。


 あなたのことも、ダナンのことも、私は大好きよ


「フェリ、シア?」


 霧の向こうの記憶の欠片。

 心地よい声と美しい笑顔。

 淡い感情と、そして……。


「……ふん、気持ちが悪い」

 

 軽く頭を振って、何事もなかったように仮面は歩き出した。


「神の石といい紫の女といい、この世界には興味の対象が多くて困る。だが、残念ながら、今は計画を優先せねばなるまいな」


 顔を上げて、不気味に笑う。


「まずは東、その後に北か。まったく、忙しくて仕方がないわい」


 そう言いながら、フードを被って仮面は部屋を出ていった。




 第十五章 了

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