入社希望

「ミア、どうかしたのか?」


 声を掛けられたミアは、しばらくミナセの顔を見つめていたが、やがて決意したように話し始めた。


「私、本当はもう、孤児院を出て行かなきゃいけない年齢なんです。でも、働くのも、シスターになるのも何だかピンと来なくて、我が儘言って、まだ孤児院にいさせてもらってるんです」

「そうなんだ」


 フローラから聞いて知ってはいたが、ミナセはおとなしく相づちを打つ。


「私、どうしたらいいか分からないんです。何かしなくちゃ、何か見付けなきゃって思うんですけど、結局何にもできなくて」


 フローラがいたら、きっとイライラしたに違いない。ミアの話は、脱線したまま行き先不明になっている。


「私、どうしたらいいんでしょう?」


 それでも、ミアはミアなりに真剣だ。その目は真っ直ぐミナセを見つめていた。

 そういう目を、ミナセは嫌いではない。


 ミナセは考えていた。

 なぜマークが、ミナセたちの仕事を調整してまで今回の依頼を引き受けたのか。


 一つは、困っている教会を助けるため。もう一つは、いるはずのない魔物がいる理由を探るため。

 そして、もう一つ。それは、ミアに”きっかけ”を作ってあげることなのではないだろうか。


 マークは、フェリシアがミアに魔法の勉強を勧めたことを知っている。

 フェリシアが認めるほどの魔力の持ち主。そのミアが、力を発揮することなく日々を過ごしている。それを、マークはもったいないと思っているのではないか。だから、ロロの実の採取に、シスターではなくミアを指名したのではないか。

 マークは、いつも人が成長するきっかけを与えてくれる。

 だから、きっとミアにも……。


 ミナセは、ミアときちんと話をしてみようと思った。


「ミアは、シスターになる気はないのか? 大好きだった院長先生の意志を継ぐには、いい選択だと思うけど」


 ミアを見つめ返しながら、ミナセが聞く。

 すると、迷うことなくミアが答えた。


「シスターはダメなんです」

「どうして?」

「私、家族が欲しいんです」


 ミアは、自分が不幸だと思ったことはほとんどなかった。それでも、欲しいものはやっぱりあった。

 それが家族。愛する夫と愛する子供。

 それだけは、ミアがはっきり心に描いていることだった。


「なるほどね」


 ミナセは納得する。

 シスターになれば、一般的に家族は持てない。


「じゃあ、働くのは?」


 ミナセがさらに質問する。


「うーん、そうですねぇ」


 少し考えてから、ミアが答えた。


「私、人の役に立ちたいんです。でも、商売として人を助けたりするのって、何だか違うような気がして」


 これにはミナセも黙り込む。

 報酬を得ずに人を助けるというのであれば、やはりシスターになるのが一番現実的に思える。ただ、そのシスターであっても、お金を得るということからは逃れられない。

 ミアも、生きていくためにお金が必要なことくらい分かっているだろう。お嬢様育ちとは対極に近い位置で育ったのだから。


「だったら、お金を稼ぐことと、人を助けることを分けて考えてみたら?」


 ミナセは提案してみる。

 ミアは、また少し考えてから答えた。


「それも、ちょっと抵抗があるんです。お金を稼ぐって、綺麗事じゃないでしょう? 誰かがイヤな思いをするって分かってても、そうしなきゃいけないことがあったりして。だから、仕事以外で人を助ける機会があったとしても、胸を張って生きてるっていう感じじゃないと思うんです」


 ……手強い。


 ミアも、いろいろ分かってはいるんだろう。そして、自分が矛盾していることも、たぶん分かっている。

 要するに、折り合いの付け方が分からないのだ。


 世の中は、善と悪、勝ちと負け、自分の思いと他人の思いが混ざり合ってできている。

 完全な善も、完全な悪も、完全な勝ちも負けもない。百対ゼロということはほとんどないのだ。

 五十対五十なのか、十対九十なのか。時と場合に応じて折り合いをつけながら、人は生きている。


 そんなことは当たり前だと、人は言うかもしれない。だが、折り合いの付け方というのは、様々な経験の中から見付けていくものだ。

 百対ゼロで勝とうとして何かを失ったり、五十対五十の引き分けだったのに、負けたような気がして相手を憎んだり。

 そういう経験を通じて、納得できる基準、身を引くことができるラインを見付けていく。

 

 教会という場所で育ち、まだ社会をほとんど知らないミアは、理想と現実は違うということが素直に受け入れられないのかもしれない。

 つまり、ミアに足りないのは……。


 話を続けようとミナセが口を開いたその時、ミアが話し掛けてきた。


「ミナセさんは、今の仕事に、誇りとかそういうのを持っているんでしょうか?」


 ミアが真剣な目で聞いてくる。


 まじめなんだな


 ミナセは思った。

 ミアには、ちゃんと答えてあげたい。

 しばらく考えたミナセが、やがて答えた。


「正直に言うと、誇りを持っているかどうかなんて、考えたことはないかな」

「そうなんですか?」

「うん。そういう風には考えたことがない。ただ」


 ミナセが、笑って言った。


「今までしてきた仕事を思い起こしても、間違ったことをしたって思えるものは、一つもないな」

「一つも?」

「ああ、一つもない」


 きれいな笑顔だった。それは、ミナセが美人だという意味ではない。

 その笑顔には、一点の曇りもなかった。一切の迷いがなかった。


 ミアは思い出す。大好きだった、院長先生の笑顔。

 近寄り難いほどの悪臭を放つ浮浪者にも、明らかに死期が近い病人にも、同じように向ける曇りのない笑顔。


 自分も、いつかあんな風に笑ってみたい。

 そう思った笑顔が、今、目の前にあった。


 理屈ではなかった。それは直感。

 運命の女神が、ミアに優しく微笑む。

 ミアの中に熱い感情が込み上げてくる。


 私の探していたものは、ここにあった!


「ミナセさん!」


 ミアが突然立ち上がる。お茶がちょっぴり飛び跳ねる。

 そんなことにはお構いなく、驚いて自分を見上げるミナセに、大きな声でミアが言った。


「私、エム商会に入りたいです!」

「……えっ?」


 固まったままミナセがミアを見つめていると、ちょうどそこにヒューリとフェリシアが帰ってきた。


「ただいま! 二人とも寂しくなかった……」

「ヒューリさん!」


 ミアが振り向きざま叫ぶ。


「お、おう」


 続いてフェリシアに強い視線を向ける。


「フェリシアさん!」

「な、何かしら?」


 ミアの勢いに、二人は思わず後ずさった。

 その二人に向かって、ミアが大きな声で言った。


「私、エム商会に入りたいです!」

「……えっ?」


 しばらくミアを見つめていた二人が、その後ろで固まっているミナセに聞いた。


「何が、どうなっているのかな?」



「なるほどね」


 ミナセの話と、時々割り込みを掛けてくるミアの熱い言葉で、二人は状況を理解した。


「私はいいと思うわ」


 フェリシアが最初に賛意を示す。


「だってミア、可愛いもの」


 そこか?

 

 ミナセが呆れ気味にフェリシアを見た。


「私もいいと思うぞ」


 ヒューリも賛成のようだ。


「ほんとですか! ありがとうございます!」


 ミアは心底嬉しそうだ。


「ミナセはどうだ?」


 ヒューリに聞かれて、ミナセは考える。


 ミナセも、ミアを嫌いではない。

 ちょっと行動が読めないところはあるが、そこにはまったく悪意や害意がない。頑固だったり優柔不断だったりするが、根はいたってまじめだ。

 フェリシアに魔法を習えば、優秀な魔術師になる可能性もある。


 ただ、ミアには少し足りないものがあると思うのだ。

 とは言え、強く反対するほどのことではない気もする。


 ミナセが答えた。


「特に反対する理由はないな」

「やったぁ!」


 ミアが喜びの声を上げる。


「ともかく、帰ったら社長に伝えてみよう。どっちにしても、私たちで決められることじゃないからな」


 ミナセの言葉にみんなは頷いた。

 こうして、ロロの実の収穫任務は予想外の結果を残して終了したのだった。

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