温もり

 見張りの声を聞いた直後から、フェリシアは部屋の扉を少しだけ開けて、索敵魔法で家の中を探っていた。

 魔力反応がいくつか消えた。一階の物音も消えた。

 はっきりとは分からないが、侵入者が一階を制圧したようだ。


「なかなかやるわね」


 侵入してから、まだ二分も経っていない。

 ここにいた連中は、間違いなくプロだ。それをこんなに短時間で制圧するとは。


 フェリシアは、いつでも魔法を撃てるよう、そしていつでも窓から飛び出せるように用心しながら、二階に上がってくる四つの反応に集中する。


 トントントン


 扉がノックされた。当然フェリシアは返事などしないが、構わず扉が開いていく。

 扉を押し開く腕が見えた。その腕の下を掻い潜るようにして、小柄な影が部屋に駆け込んできた。


「フェリシア!」


 大きな声と共に、その影がフェリシアの胸に飛び込んでくる。


「シンシア!?」


 驚きながら、フェリシアがその体を受け止めた。


「うぅ、うぅ……」


 フェリシアの胸に顔を埋めてシンシアが泣く。

 扉からは、続けてエム商会のみんなが入ってきた。


「フェリシア、迎えに来たぞ」


 ヒューリがニコニコしながら声を掛ける。

 フェリシアは、目を丸くしてみんなの顔を見つめている。


 その表情が、急激に険しくなった。


 フェリシアは、シンシアを胸から強引に引き剥がして、みんなの側へと強く押し返す。

 シンシアが、呆然としながら後ずさった。


「何をしに来たの?」


 氷のような声と、正視できないほどの冷たい視線。


「悪いけど、私はもう面接は受けないし、この町に留まるつもりもないわ。帰ってちょうだい」


 強烈な拒絶だった。

 何者をも寄せ付けないその言葉に、部屋の空気が凍り付く。


 どうしていいか分からずに、みんなは黙ってフェリシアを見つめた。

 口を閉ざしたままで、フェリシアがみんなを睨んだ。

 その重い沈黙を、マークが破った。


「フェリシア。悪いが、俺たちは手ぶらで帰るつもりはない」


 四人の後ろから進み出て、マークがフェリシアの前に立つ。


 フェリシアさんではなく、フェリシア。


 その顔は、いつもの穏やかなものではない。

 その瞳は、暗がりの中でもはっきり分かるほどの強い光を放っている。

 強靱な意志を湛えたその瞳が、フェリシアを真正面から見据えた。


 フェリシアの瞳が、わずかに揺れる。


「そんなに凄んでも無駄よ。私はもう、あなたたちとは関わらない」


 フェリシアがマークを睨み返す。

 二人の睨み合いとなった。


 再び沈黙が訪れる。


 やがて、フェリシアが苛立ったように言った。


「早く行きなさいよ。あなたたちが倒した連中に、まだ仲間がいるかもしれないのよ。そいつらが帰ってきたら、面倒なことになるわ」


 声を荒げるフェリシアに、マークが答えた。


「そんなことは、どうでもいい」

「どうでもよくないわよ!」


 フェリシアが叫ぶ。


「あいつらの雇い主は、カサールの有力貴族よ。しかも、黒い噂の絶えない面倒な奴だわ。こんなことをしたのがあなたたちだって分かったら、絶対にただじゃ済まされない。だから早く……」

「その心配は無用だ」

「……どういうこと?」


 マークの言葉に、フェリシアの思考が止まる。


 心配無用?


 戸惑うフェリシアに、マークではなくヒューリが答えた。


「まあ、心配無用っていうより、心配する意味がないってことかな」


 心配する意味がない?


 ますます分からなくなったフェリシアに、今度はミナセが話し掛けた。


「下の連中は、死んでいない。縛ってあるから動けないけどね。それに、首領っぽい男には全員顔も見られているし、おまけに社長が、丁寧に名乗っていたから」


 連中を殺していない?

 顔を見られている?

 そして、名乗った?


「な、何を言っているの?」


 事態はフェリシアの理解を超えていた。


 みんなが私を迎えに来たというのは、何となく分かる。どうしてここが分かったのかなど、疑問は多々あるが、エム商会のみんなならやりかねない。


 そんなみんなだから、私は……


 だけど。


「あなたたち、いったい何をしているのか分かっているの? そんなことをしたらあなたたちが……」


 フェリシアは動揺していた。

 自分の命が危険に晒されることなどどうでもいい。だけど、みんなの命は、みんなの人生は守らなければならない。


「連中を殺してくるわ」


 そう言うと、フェリシアは足早に部屋を出ていこうとする。

 その肩を、マークががっちりと掴んだ。


「奴らを殺しても、問題は解決しない。ガザル公爵は、そんなことでお前を諦めることはしないだろう」

「だから私は!」

「聞け、フェリシア。下の連中には、俺たちが尋常な相手でないことを見せつけた。その報告を聞けば、公爵もお前に手を出すことを躊躇うはずだ」

「それは甘いわ! あの男は、欲しいものを絶対に手に入れる。下の連中がダメなら、もっとやっかいな連中を寄越すに決まってる」

「それならそれで、また追い払うまでだ」

「そんな!」


 フェリシアが絶句する。


「お前を狙ってくる奴らは、全部俺たちが追い払う。公爵が諦めるまで、何度でも追い払ってやる」


 マークが、断固とした意志を示した。

 言葉を無くしてフェリシアが黙った。


 マークの瞳が圧力を増していく。


「お前にこんな悲しみしか与えられない男に、お前は渡さない」


 神秘的な瞳が輝きを放つ。


「お前のことは、絶対に俺たちが守る」


 肩が痛くなるほどその手に力がこもる。


「何があっても、絶対に守ってみせる。だから」


 マークが言った。


「フェリシア、俺たちのところに来い!」


 世界が震えるほどの強い声で、マークが言った。

 フェリシアの心が、大きく揺らぐ。


「だって私は……」


 弱々しい声がする。


「もう無理だって……」


 力なく訴える。


 あんなに悩んで決めたのに。

 あんなに悩んで諦めたのに。


「私は、きっとみんなに迷惑を……」

「そんなことは絶対にない!」


 強烈な声がフェリシアを打った。


「どうして……」


 フェリシアの声が震えた。


「どうしてそんなに強引なのよ」


 フェリシアの心が震えた。


 視界が少しずつ歪んでいく。


 限界だった。

 込み上げてくるものを、もう止めることができない。


 フェリシアの過去が溶けていく。

 フェリシアの想いが膨らんでいく。


 揺れる視界の中で、マークが言った。


「フェリシア、来い!」


 マークの声が、フェリシアの仮面を打ち砕く。

 扉を押し開けて、フェリシアの感情が溢れ出していく。


 素顔のままで、フェリシアが答えた。


「……はい」


 笑いながら、フェリシアが答えた。

 そのつもりだったが、自分がどんな顔をしているのか自信はない。


「フェリシア!」


 シンシアが抱き付いてくる。リリアがフェリシアの手を握り締める。

 ミナセとヒューリは、嬉しそうに笑っていた。そう見えたけど、やっぱり自信はない。


 フェリシアには、何も見えていなかった。


 確かなのは、肩に感じる暖かな温もりだけ。

 それだけは、間違いなくそこにあった。

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