休日の結末

 午後も二人は聞き込みを続けた。少年は、相変わらず無口なままだ。


「この辺りでは情報がないな。もっと町の東に行ってみるか」


 何の手掛かりも得られない状況に、ミナセが提案してみる。

 すると、少年は少し慌てたように答えた。


「あ、いや、そっちは俺、散々聞いて回ったから」


 何だか歯切れの悪い感じだったが、素直にミナセは従った。


「そうか。じゃあ、もうちょっとこの辺りで頑張ってみよう」


 二人は、町の中心部周辺を情報を求めて歩き回る。

 しかし、やっぱり何も得られないまま辺りが暗くなり始めた。


 うつむきがちに少年は歩く。

 その拳が、突然ギュッと握られた。

 顔を上げて、ミナセに声を掛ける。


「なあ、姉ちゃん」

「ん? 何だ?」


 ミナセが振り向いた。

 その時。


「あれ、お前、こんなとこで何やってんの?」


 一人の男が、突然少年に話し掛けてきた。


「あっ!」


 少年が声を上げる。

 その顔は、明らかに狼狽していた。


「またお前、そのガラクタ持って剣士の真似事か? そんなことやめろって、お前の父ちゃんに言われてただろ……って、もしかしてミナセさん!?」


 そばにいるミナセをチラッと見た途端、男の声が裏返った。


「黒髪に黒い瞳の美人剣士! あの、エム商会のミナセさんですよね!」

「えっと……そう、です」


 ミナセも驚いていたが、少年はもっと驚いていた。


「この姉ちゃんのこと、知ってんの?」


 視線を二人に行ったり来たりさせながら、少年が男に聞いた。


「知ってるっていうか、最近酒場でよく話題に出るんだよ。エム商会はすげぇ美人揃い。でもって、エム商会の護衛は絶対に失敗しないってな」


 ミナセを前にして、男は興奮気味だ。


「黒髪のミナセか赤髪のヒューリが護衛につけば絶対安心だって、ベテランの傭兵連中も言ってるくらいだ。山賊なんて、何人いようが一瞬で倒しちまうってな」


 少年の口が、ポカンと開く。


「いやあ、噂通りの美しさ。お会いできて光栄です!」

「ど、どうも」


 ナンパされるとか、喧嘩を売られるとかなら簡単に追い払えるのだが、こういう風にこられると、どう対応していいのか分からない。

 言葉も表情も曖昧なまま、ミナセは困ったように立ち尽くしていた。

 すると、男は急に厳しい表情になって、少年を問いただす。


「お前、ミナセさんに何か迷惑掛けたんじゃないだろうな?」

「え……」

「いや、そうじゃないんです」


 少年が答える前に、ミナセが男に言った。


「この少年が柄の悪い男にからまれていたところに、偶然通り掛かって……」

「こいつを助けてくださったんですか?」

「まあ、そうですね」

「そうですか。それはありがとうございました」


 表情を和らげて、男はミナセに頭を下げた。


「こいつ、うちの近所に住んでる悪ガキでして」


 そう言いながら、少年に向き直って、やっぱり厳しい声で言った。


「そんな剣持ってウロウロしてるから危ない目に会うんだ。おばさんが朝からお前を探してたぞ。頼みたいことがあるのに今日も逃げられたって、プンプン怒ってた」


 少年の額を小突きながら、呆れたように言う。


「まったく、あんまり親に心配掛けんなよな」


 そう言うと、男はミナセに会釈をした。


「本当にすみませんでした。じゃあ、俺はこれで」


 早く帰れよ、と少年の肩を叩いて、男が去っていく。


 町のざわめきの真ん中で、二人の周りだけが静かになった。

 ミナセも少年も黙ったままだ。


 地面を睨み付ける少年と、黙って少年を見つめるミナセの横を、人々が怪訝な表情で通り過ぎていく。


「お前……」

「ごめん!」


 突然大きな声を上げて、少年は倒れ込むように土下座をした。


「全部ウソだったんだ!」


 少年が、額を地面にこすりつける。


「俺、剣士になりたかったんだ。でも、父ちゃんにも母ちゃんにも反対されて……。それで、姉ちゃんにいろいろ言われた時、思わずウソ言っちゃったんだ」

「じゃあその剣は……」

「これは、俺が入り浸ってる武器屋のおじさんが、いらないからってくれた剣なんだ。親の形見でも何でもない、ただのガラクタなんだ」

「……」

「勢いで言っちゃったことを姉ちゃんが真剣に受け止めてくれたから、その、なかなか言い出せなくて」


 地面にへばりつくように、少年は土下座を続ける。


「全部ウソなのに、あんなに一生懸命に付き合ってくれて、あんなに真剣に話してくれて」


 その声は震えている。


「俺、嬉しかった。本当に嬉しかった。でも」


 涙が地面を濡らした。


「ほんとにごめん!」


 後悔、慚愧、そして、心からの謝罪。


 少年は、ミナセに怒鳴られるかもしれないと思った。

 もしかしたら、ミナセに斬られるかもしれないと思った。

 それでも仕方がないと、少年は思った。

 

 周りに人がたくさんいるはずなのに、町の喧噪が遠く聞こえる。

 少年は、ミナセの反応を、ミナセの言葉を待った。


 やがて。


「そうか、よかったよ」

「えっ?」


 驚いて、少年が顔を上げた。


「ご両親は健在なんだな?」

「う、うん」

「そうか。よかったな」


 ミナセは微笑んでいた。

 その顔は、穏やかで、やっぱり優しかった。


「私が余計なおせっかいを焼いてしまったんだな。すまなかった」

「違うよ! 姉ちゃんは悪くない!」


 少年は、ミナセの言葉を必死に否定した。


 悪いのは自分なんだ

 絶対絶対、自分なんだ!


 その姿を見たミナセが、片膝をつく。


「お前は優しいな」


 少年の肩にそっと手を置く。


「剣士になりたいっていうお前の想いは、捨てる必要なんてないよ。でも、その前に、ご両親の言うことはちゃんと聞くんだ。ちゃんと聞いて、ご両親の気持ちを分かった上で、お前の気持ちを伝えてみろ。そうすれば、ご両親だってちゃんとお前の話を聞いてくれるさ」

「姉ちゃん……」


 少年の目から涙がこぼれる。

 ぽろぽろ、ぽろぽろと、止めどなく涙がこぼれる。


「ごめん、ごめん」


 正座をしたまま謝り続ける少年を、ミナセが柔らかく引き起こした。

 そして、両手でその手を握る。


「帰る場所があるっていうのは、幸せなことなんだ。さあ、ご両親のもとに帰りなさい」


 少年が、強く手を握り返す。


「ごめん。姉ちゃん、ごめん」


 少年は、いつまでも謝り続けた。

 ミナセは、手を握ったまま、穏やかに少年を見つめていた。



 泣き止んだ少年が、何度も何度も振り返りながら帰って行くその姿を見送って、ミナセがつぶやく。


「さて、どうしようか」


 歓迎会にはまだ間に合うが、手の込んだ料理を作っている時間はなさそうだ。


「仕方がない。途中の店に売っているもので、何かを作ろう」


 会社までの最短経路と、その途中にある食料品店を思い浮かべながら、帰宅を急ぐ人々の間をミナセは足早に歩いていった。



「遅かったですね」

「ごめん。ちょっといろいろあってね」


 リリアに軽く返事をして、ミナセは台所に立った。リリアとシンシアの料理は、もうほとんどでき上がっている。

 ミナセは、買ってきた材料を袋から取り出すと、エプロンも付けずに急いで料理を始めた。



「では、フェリシアの入社を祝して、乾杯!」

「かんぱーい!」


 六つのグラスがカチャンと音を立てる。


「みんな、これからよろしくね」

「こちらこそ、よろしく!」


 フェリシアが笑う。みんなも笑う。

 それを見ながら、ミナセは思う。


 やっぱり、この会社はいいな


 フェリシアの入社で、また仲間が増えた。

 一緒にいたいと思える仲間。

 一緒に泣いたり笑ったりできる仲間。


 そして、尊敬すべき社長マーク。


「味はどうですか?」


 リリアがマークに聞いている。

 マークは、その料理を少しだけ間を空けた後に口へ運び、飲み込んだ後、少しだけ目を細めて言った。


「うん、美味しいよ」

「ほんとですか? よかったぁ」


 リリアが嬉しそうに笑う。

 ミナセが、それを見てそっと微笑んだ。


 マークは、どんなものでも美味しそうに食べる。それが手料理の時には、より一層美味しそうに、嬉しそうに食べる。

 きっと、今日ミナセが作ったものも美味しいと言って食べてくれるに違いない。

 だけど。


 社長の好きなものを、作ってあげたかった……


 今日はフェリシアの歓迎会。だから、ミナセもちゃんと笑っている。それでもミナセの表情には、料理をしている時から、どことなく沈んだものが混じっていた。

 それにリリアは、たぶん気付いている。いつもよりシンプルなミナセの料理。いつもと少しだけ違う、ミナセの笑顔。

 だからなのだろう。いつもなら、どの料理を誰が作ったのかリリアが発表するのだが、今回はそれがなかった。


 心配させたらいけないな


 リリアの心遣いに、ミナセは心で手を合わせる。気を取り直して、ミナセは背筋を伸ばした。

 その時。


「今日のメインディッシュ担当は、ミナセだっけ?」


 大きな声で、ヒューリが聞いてきた。


 ピキッ!


 そんな音が、聞こえたような……。


「……ああ、そうだ」


 ミナセが答えた。

 心配そうなリリアをちらりと見た後、ヒューリに向かって、ぎりぎり笑って答えた。


 悪意ゼロの笑顔でヒューリが言う。


「うまそうだな。私これ、大好きだ!」

「……そうか。よかったよ」

 

 まあ、仕方ない


 ミナセがこっそりため息をついた。

 再度気を取り直して、ミナセが右手でグラスを持つ。だがそのグラスは、残念ながら、そこから持ち上がることはなかった。


「これ、ミナセさんが作ってくれたんですね?」


 マークが聞いた。

 マークまでが、ミナセにそう聞いた。


「……そうです」


 答えて、ミナセは視線を落とす。グラスを持っていた手を引っ込め、両手を膝の上に置いてうつむいてしまった。

 その視界の片隅で、マークがメインディッシュの皿を引き寄せているのが見えた。

 マークが、ナイフとフォークを握る。付け合わせの野菜を少しよけて、フォークで”それ”を押さえる。


 そしてマークは、右手のナイフで、コロッケを、一口大に切り取った。


 今日に限って、どこのお店も棚は空っぽだった。肉屋には、かろうじて挽き肉が少し。八百屋には、タマネギが一つとジャガイモがいくつか。

 作るのはメインディッシュだ。それなりの見た目とボリュームが欲しい。

 この材料で、ハンバーグは作れない。焦る気持ちの中で思い付いたのは、コロッケ。ジャガイモとタマネギと挽き肉だけしか入っていない、あまりにもありふれた、あまりにも普通のコロッケだった。


 コロッケは、すでにリリアが何度か作っている。種類を変えて、リリアが何度かパーティーに出していた。

 ミナセは、その度に確認している。マークがそれを食べるところを、ミナセはしっかりと確認していた。

 そしてミナセは、結論を出している。


 コロッケは、社長の好物でない


 そのコロッケを、マークがフォークで持ち上げる。

 それをマークが食べるところを、今日は見たくない。


 そんなことを考えるミナセの目の前で、マークがコロッケを口元へと運んでいく。

 

 見たくない

 でも、やっぱり気になる……

 

 うつむいたままのミナセの視線は、結局その動きを追っていた。


 コロッケが、マークの口元で、予想通り一旦止まる。手料理の時の動作だ。

 コロッケが、そのままマークの口の中へと運ばれる。そしてマークはそれを……。


「えっ?」


 突然、ミナセが小さく声を上げた。

 顔を上げて、マークをはっきりと見つめる。


 目の前で、マークがコロッケを味わっている。

 いつもよりもゆっくりと、味わうようにコロッケを噛みしめている。


 ミナセの目が徐々に開いていった。


 あり得ない

 だって、社長が食べているのは……


 マークがコロッケを飲み込んだ。

 マークが、目を細めた。

 マークが目を、いつもよりもさらに細めた。


 そして言った。


「美味しい」


 満足げに、嬉しそうにマークが言った。


「ミナセさんの作ってくれる料理は、どれも美味しいですね」


 ガタンッ!


 突然ミナセが立ち上がる。


「ちょっと、外に出てきます。すみません」


 そう言ってスタスタと歩き出し、扉を開けて、ミナセは部屋から出ていってしまった。


「何だ? フェリシアの真似か?」


 後ろ手に閉めた扉の向こうからヒューリの声が聞こえるが、そんなことはどうでもよかった。


 目を閉じて、両手で胸を押さえる。

 心臓が、びっくりするくらいドキドキしていた。


「シンシア、追い掛けないと」

「行かない。だってそこ、台所」


 誰かが何かを言っているが、ミナセには聞こえない。


 どうして?

 コロッケは、違うはずなのに

 リリアが作ったコロッケは、違ったはずなのに


「どうしたのかしら?」

「ミナセー、戻ってこーい」


 外野の声も、今のミナセには届かない。

 ミナセに聞こえているのは、マークの声。鼓膜の奥で繰り返される、初めて聞いた、マークの言葉。


「ミナセさんの作ってくれる料理は、どれも美味しいですね」


 目尻がなぜか下がっていく。

 頬が勝手に緩んでいく。


 ミナセは、慌てて両手で頬を挟んだ。

 熱くなった自分の頬を押さえながら、ミナセはそこから動けずにいた。

 そうしていないと、頬が落っこちてしまいそうで、心配でたまらなかった。



 ミナセの休日 了

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