第六章 ブロンドの問題児

アルミナ教会

 惣菜屋のミゼットの店の前には、行列ができている。

 店の前には、エプロン姿がやけに艶めかしい一人の美女がいた。


「お待たせしてごめんなさい」

「こちらでよろしいですか?」

「うふふ。ありがとうございました」


 慣れているという訳ではないようだが、その手際は悪くない。注文を聞き、商品を渡して代金をもらう。その一連の動きに無駄はなかった。

 それなのに、なぜか行列の進みが遅い。


「あの、それ、贈答用の紙で包んでください!」


 女が渡そうとする商品に、客の男が要望した。


「えっと、これ、お弁当ですけど」


 女が、不思議そうな顔で確認する。

 だが、男は気合いの入った声で答えた。


「いえ、いいんです!」


 そこまで言われれば仕方がない。

 女は、包装用の紙を取るために棚の上に手を伸ばす。


 ミゼットの店は、普通の惣菜屋だ。贈り物を買いに来る客などまずいない。

 それでも、念のため包装用紙とリボンは置いてあるが、滅多に使わないので、箱に入れて棚の一番上にしまってある。その箱は、女が手を伸ばし、背伸びをしてもわずかに届かない高さにあった。

 女が箱を取るために、軽くジャンプする。


 ぴょん

 ぶるん!


 もう一回ジャンプする。


 ぴょん

 ぶるん!


「でへへ」


 男は、女が跳ねるたびに跳ね回る、たわわに実ったそれを見てだらしなく目尻を下げていた。

 どうにか箱を手にした女は、中から包装紙とリボンを取り出すと、男が買ったお弁当を丁寧に包む。そして、艶やかな笑顔を浮かべながら男にそれを差し出した。


「お待たせしました」


 ちょっと違う世界に行っていた男は、慌てて代金を渡そうとして、お金を落としてしまう。


「あら、大変」


 女が、素早くかがんでお金を拾った。その姿に、男の視線が釘付けになる。

 視線の先には、深い谷間。目をそらすことなど決してできない、それはそれは甘美な光景。


 女が立ち上がる。男の目が谷間を追う。

 女がお金を数える。男が谷間を凝視する。


 代金を差し引いて、残ったお金を男に見せながら、女が言った。

 

「はい、おつりです」


 言われた男は、そこで意識を取り戻した。

 男が女からおつりを受け取る。続けて、丁寧に包まれたお弁当を受け取る。


「ありがとうございました」


 女が微笑んだ。

 大きな声で、男が言った。

 

「こちらこそ、ありがとうございました!」


 自分が何を買ったか覚えていないであろうその男は、とっても幸せそうな顔をしながら、フラフラと店から離れていった。


 店の奥に、ミゼットと主人の姿はない。

 足りなくなった食材と、補充など一度もしたことのない包装用紙とリボンを買いに、二人は仕入先まで走っていた。

 今日の行列は、閉店まで続くのではないだろうか。



 そんな店の様子を、少し離れた物陰から見つめる数人の男女がいた。


「何というか、凄いですね」


 男が、何を意味しているのか分からないことを言う。


「羨ましい」


 少女の一人は、羨望の眼差しで見つめている。


「あんなの邪道だよな!」


 赤髪の女が、鼻息荒く隣の少女に同意を求める。


「あれは、気持ちがいい」


 女を見もせずに、少女が謎の言葉をつぶやいた。


 その中で、一人だけ、落ち着かない様子で周囲を警戒している女がいる。


「おかしい、いつもなら……」


 その女の耳に、行列の中から聞き慣れた声が飛び込んできた。


「おい、そこ! 包んでもらうのはなしだ。この行列が目に入らないのか!」

「あっ、お前! 今わざとお金落としただろ、ずるいぞ!」


 そこには、行列に並びながら怒鳴っている雑貨屋の主人がいた。


「おじさん……」



「あの様子なら、大きな問題はないでしょう。行きましょうか」


 マークがみんなに声を掛ける。


「そうですね」


 リリアが代表して答え、五人はその場から離れていった。



 事務所に戻る途中、シンシアが、マークの袖を引っ張った。


「私の、時も、見てた?」


 ちょっと上目遣いでシンシアが聞く。


 マークは悩んだ。

 シンシアに対しては、どう答えるのがベストなのか。


 何となく、救いを求めるように、マークがリリアを見る。

 するとリリアが、マークにかわって明るく答えてくれた。


「社長はね、シンシアのこと、すごく気に掛けてくれてるんだよ。だから、あの時もそっと見守ってくれてたんだ。嬉しいよね!」


 おおっ、リリア!

 ありがとう!


「そう、なんだ」


 リリアの言葉を聞いて、シンシアがうつむく。そしてチラリとマークを見た。

 その顔は、嬉しそうな、ちょっと恥ずかしそうな、可愛らしい微笑みだった。

 マークが思わず顔をほころばせる。


 微笑むシンシアの手を取りながら、リリアが言った。


「私たち、ここから仕事に行きます」


 二人は、仲良く手をつなぎながら角を曲がっていく。


「私も、仕事行ってきます!」


 ヒューリも、それだけ言って走り出した。

 フェリシアの”仕事振り”を見ていた時から、やけに機嫌が悪い。


 負けるな、ヒューリ!


 心の中でエールを送った後、マークは隣を歩くミナセを見る。

 さて、今日のミナセは……。


「女の魅力って……」


 ブツブツ、ブツブツ


「やっぱりそうなのか……」


 ブツブツ、ブツブツ


 マークの存在などそこにないかのように、何かをブツブツつぶやきながら、そのままミナセは人混みに消えていった。

 その背中を見送って、マークが小さくため息をつく。


「すみません。俺にできることは、何もありません」



 その日の夜、エム商会の事務所では打ち合わせが行われていた。


「フェリシア、今日はお疲れ様」


 マークがねぎらう。

 フェリシアが、肩をトントンと叩きながら笑顔で答えた。


「跳ねたりしゃがんだりでちょっと大変でしたけど、でも、楽しかったです」


 その様子がよく分かるみんなが、微妙な表情で頷いている。

 その時、ヒューリがそっと手を挙げた。


「ちょっと、いいかな」


 遠慮がちにみんなを見回している。


「みんなに、お願いがあるんだけど」


 何事かという視線がヒューリに集まった。

 その視線に一瞬たじろいだ後、頬をポリポリかきながら、ヒューリが話し出した。


「じつは私、毎週、教会の手伝いに行ってるんだよね」



 この町の中心には、長い歴史を持つ大きな教会がある。

 教会の名は、アルミナ教会。もともとこの町は、教会を中心に発展してきた宗教都市だった。


 数百年前、地域の有力な部族の一つがアルミナの町に攻め込んできた。町の人々を守るため、教会は侵略者への恭順を誓う。

 教会を支配下に置いたその部族は、武力と、そして教会の影響力を使い分けながら、徐々に版図を広げていった。やがて部族の長が王となり、アルミナを王都としてイルカナ王国を興した。

 王家は、国内を安定させるために教会を利用し、その結果、教会は王国において独自の地位を確立していくことになる。


 教会は、国民の精神的な柱として長きに渡り国の安定と発展に貢献してきたが、今から百年ほど前、その影響力を恐れた当時の王が、教会を”中立な存在”として定め、政治から切り離した。

 現在では、教会に対する王族や貴族からの寄付が一切禁止され、教会を利用することも、教会が政治に関与することもできないよう法律で規制がされている。

 大口の寄付と政治的影響力を失った教会に、かつてのような栄華はない。それでも教会は、この町の象徴的存在として、今でも変わらず人々の信仰を集めていた。


 その教会で、毎週日曜日に炊き出しが行われている。

 治癒魔法の施術が無料で受けられることもあって、スラム街の住人だけでなく、一般庶民も数多く集まってくる、ちょっとしたイベントになっていた。

 ヒューリは、そこに毎週ボランティアとして参加していたのだ。


「何て言うか、罪滅ぼしみたいな感じでね」


 相変わらず照れくさそうなヒューリに、シンシアが言った。


「ヒューリ、えらい」


 シンシアがヒューリを褒めるのは、非常に珍しい。

 やっぱりポリポリと頬をかきながら、ヒューリが続けた。


「でね、今度の日曜日、人手が足りないんだよ。だから、できたらみんなに手伝って欲しいなって、思うんだけど」


 アルミナ教会には孤児院がある。その運営も含め、教会の資金繰りはなかなか厳しかった。

 そこで何人かのシスターが、寄付を募るために国内を巡ることになったのだ。今度の日曜日に人手が足りないのは、そんな事情があった。


「教会も大変なんですね」


 リリアが、ちょっと悲しそうに言った。

 アルミナで育ったリリアにとって、教会はそこにあって当たり前の存在。その教会が、じつは資金繰りに苦労しているというのは寂しい話だ。


「私はいいわよ」


 フェリシアが真っ先に賛同する。”罪滅ぼし”というヒューリの言葉がフェリシアの心に響いていた。孤児院育ちということもあって、フェリシアはすでに行く気満々だ。


「私もいいぞ」


 ミナセも手を挙げる。


「私もです!」


 リリアが続いた。


「行く」


 シンシアも頷く。


「じゃあ、みんなで行きましょうか」


 マークも笑いながら言った。


「みんな、ありがとう」


 ヒューリが、立ち上がって頭を下げる。

 こうしてエム商会は、全員揃って教会に行くことになったのだった。

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