第十三章 シンシアの秘密

見つめる少女

 じー


 その瞳は、まるで澄んだ月明かりのように神秘的な輝きを放っていた。


 じー


 その顔は、名工が作り上げた人形のように美しく整っていた。


 じー


 空色の髪は嘘みたいにサラサラで、嘘みたいにキラキラしている。


 じー


 儚げ、可憐、繊細。どう表現しても、きっと誰もが頷くことだろう。

 そんな少女が。


 じー


 ここ三日ほど、店の外から、ガラス越しに店内をじっと見つめていた。三日間とも時刻はバラバラで、ふと気が付くと少女はそこにいる。

 気が付いてしまうと、もうダメだった。


 ここはお菓子屋。この世界において、菓子作りは男の領域。売場を担当するのは若い弟子たち。つまりは、若い男たち。

 店の外ばかり気にしているので、客の話は聞いていないしお釣りは間違えるしで、クレームになることもしばしば。人気店だから、客足が途切れることがない。外の少女に話し掛けるチャンスがない。


「あの子、いったい何なんだ?」


 仕事の合間に、仕事が終わった後に、弟子たちは少女の話で大いに盛り上がるのだった。

 そして四日目、事件は起きた。


「石だよ、石! これが中に入ってたんだよ!」


 指で摘んだ小さな石を突き付けながら、男が怒鳴り散らす。


「そんなはずは……」


 若い店員が否定するが、こういう場合、否定は返って逆効果だ。


「ああ? 俺が嘘ついてるって言うのか? 俺がいちゃもんつけてるって言うのか!?」


 ますます男のボルテージが上がっていく。


「いえ、そういう訳では……」


 店員が必死に応対する。

 ほかの客は、いつの間にかいなくなっていた。もともと客層は、金持ちか上流階級の人たち。トラブルには慣れていないし、トラブルに巻き込まれるのも避ける人たちだ。

 奥から別の店員たちも出てきて、男に詫びる。


「申し訳ありませんでした。すぐに同じ商品を……」

「同じ商品だぁ? ふざけんな! この店で一番高いやつを持ってこい! それで手を打ってやる」


 どうやら男は、悪質なクレーマーのようだ。その上、どう見ても一般人ではない。その筋の人の、しかも、そこそこの地位にある人。

 つまりは、とてもタチの悪い人種だった。


「あいつはな、ここのクッキーが好きだって言ってたんだ。だから買った。で、試しに俺が食ってみたら、こんな石が入ってやがった。このままあいつに渡してたら、あいつがこの石を食っちまってたかもしれねぇんだぜ」


 女へのプレゼントにするつもりだったのだろうか。そうだとすれば、男の気持ちも分からなくはないが、クッキーはもっとも安い商品の一つだ。それを一番高い商品に変えろというのは、さすがに無理がある。

 石のことも、もしかすると自作自演なのかもしれなかった。


「申し訳ありません。ですが……」

「ですが、何だってんだ? ああ?」


 凄みのある声で、恐ろしい形相を浮かべて男が店員に迫る。

 その時。


「てめぇみたいなのは客じゃねぇ。とっとと出て行け!」


 男とは別の、凄みのある声が男を怒鳴り付けた。


「店長!」


 店員たちが、ホッとしたように声を上げる。体格のいい男が、店の奥から出てきて仁王立ちをしていた。白いコックコートにコック帽。格好はいかにも菓子職人だが……。

 髭面の強面。腕まくりをした腕は、丸太みたいに太くて毛むくじゃら。眼光鋭く男を見下ろすその姿は、菓子職人のイメージからはほど遠い。どちらがその筋の者だか分からないほど、店長は迫力に満ちていた。

 しかし、そういう面構えにはやはり慣れているらしい。


「てめぇが店長か?」


 怯むどころか、男はにやりと笑って店長に向き直った。


「ここのクッキーに石が入ってた。だから、詫びの意味を込めて、一番高い商品を俺に寄越す。当然だよなぁ」


 余裕の表情で、勝手な主張を繰り返す。


「ダメだって言うなら仕方がねぇが、そうするとよぉ、この店に客が寄り付かなくなっちまうかもしれねえぜ」


 言外に嫌がらせをほのめかして、男がにやにやと笑う。本当に最悪の客だった。

 店長が、男の言葉に答えることなく無言で一歩前に出る。


「おっと、俺の体に触るなよ。こう見えて、俺は体が弱いんだ。簡単に骨が折れちまうかもしれないぜ」


 ゆすりたかりはお手の物ということなのだろう。何をしても男の思い通りになるように、シナリオは組まれていた。

 すると。


「要するに、お前がここで死んじまえばいいってことだろう?」


 店長が言った。


「死人に口なし。お前を殺してうちの庭にでも埋めちまえば、誰にも分からないからな」


 表情一つ変えることなく店長が言い放った。


「て、てめぇ、何言ってやがる」


 この店長の反応はシナリオになかったらしい。言い返す男の声に、さっきまでの威勢のよさはない。


「俺はな、もと傭兵だ。今さら一人くらい殺す人間が増えたって、どうってことはないんだよ」


 ドスの利いた声と、ギロリと見下ろす大きな目。その様子は、とてもハッタリとは思えない。

 さすがの男もこれには降参する、かと思いきや、意外にも、体制を立て直して堂々と店長に言い返した。


「悪いが、俺はもと冒険者だ。でもって、現役のヤクザだ。はるか昔に引退したじじぃなんかに、負ける気は全然しねぇぜ」


 こちらもまたハッタリではない。もと冒険者という真偽はともかく、現役のヤクザというのは間違いなさそうだ。


「ふん、若造が調子に乗りやがって」

「はん、じじぃが無理してんじゃねぇよ」


 両者の間に火花が散る。殺気がぶつかり、空気が震える。

 戦いとは無縁で育ってきた店員たちは、顔面蒼白で、ただ成り行きを見守るしかなかった。


「殺す!」


 店長が吼えた。毛が逆立ち、筋肉が盛り上がっていく。

 店長は、完全に頭に血が上っていた。男の挑発で理性が飛んでしまっている。


「やれるもんならやってみな」


 男は、逆に冷静だ。さすが現役と言ったところか。

 互いに武器は持っていない。戦いは体術勝負となりそうだ。


 バチバチと音が聞こえてきそうな空気の中で、店長が呪文を唱え始めた。それは、身体強化魔法。もともと体格では勝っているのに、それをさらに強化しようとしている。

 店長は、やはり本気だ。


 対する男は、にやりと笑うと、やはり呪文を唱え始めた。男の魔力が高まっていく。その手には、小さな炎の玉が出現していた。


「貴様!」


 それを見た店長が、初めて動揺を見せる。その顔を見て、男が得意げに言った。


「俺はもと冒険者なんだぜ。ファイヤーボールくらい使えて当然なんだよ」


 攻撃魔法の代表格、ファイヤーボール。戦場や魔物狩りにおいて、非常によく使われる魔法の一つだ。

 放たれた炎の玉は、何かに当たると爆発する。その威力は術者の魔力に比例するのだが。


「直撃してもよぉ、体を強化済みのてめぇは死なないだろうよ。だが、周りの店員はどうかなぁ。店はどうなっちまうのかなぁ」


 不気味に笑いながら、男がなおも魔力を引き上げていく。

 炎の玉の直径は、すでに三十センチ近い。それは、熟練魔術師が使うレベル。見掛けによらず、男は優秀な魔術師のようだった。


「やめろ」


 呪文を解除して、店長が言った。


「弟子と店が……」


 青い顔をしてつぶやく。

 だが、男の殺気は消えなかった。間違いなく、容赦なく、男はファイヤーボールを撃ち込んでくる。

 残念ながら、店長にはそれが分かってしまった。


「もう遅いんだよ。かわりの菓子も、詫びもいらねぇ。この店を滅茶苦茶にする。それが今の、俺の望みだ」


 ニタァ


 男が笑った。悪魔が笑っていた。


「頼む」


 店長が跪く。


「頼むからやめてくれ」

「久し振りの全力ファイヤーボール、いってみようか!」


 男が叫んだ。


「くたばれじじぃ!」

「やめろー!」

「ひえぇー!」


 雄叫びと悲鳴。

 阿鼻叫喚の地獄絵図がそこに現れる。誰もがそう思った、その時。


「あれ、消して」


 可憐な声がした。

 次の瞬間。


 ヒュン……


 男の手を離れようとしていたファイヤーボールが、忽然と消えた。

 掻き消すように、男のファイヤーボールが消えた。


 目を限界まで開いて男が立ち尽くす。言葉もなく、目の前の空間を見つめ続ける。

 店長が、恐る恐る目を開けた。店員たちが、ショーケースの影から顔を出す。頭を庇っていた両腕をそっと下ろす。

 そして、店長たちも目を見開いた。

 立ち尽くす男の後ろに、一人の少女がいた。

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