静止した水のように
「俺の勘は、見事に外れたな」
つぶやくストラースの表情に、余裕はない。
想定外の展開だった。先読みを凌駕する速さと力でミナセを圧倒するはずだったのに、信じられない剣技で逆に圧倒されている。
自分を見るミナセは、変わらず静か。
その体にも、その心にも、一切の乱れがない。
どうする?
ストラースは考えた。
どうればいい?
そしてストラースは、答えを出した。
「俺の主義には合わないが」
大きく息を吸い込んで、それを吐き出す。
「どうやら、これしかないらしいな」
そう言ってストラースは、まとっていた闘気を収めた。その体に満ちていた魔力も消えていく。
「……どういうことだ?」
ミナセが怪訝な顔で聞いた。それに、ストラースは答えない。
答えるかわりにストラースは、ミナセの目の前で、ゆっくりと、柔らかく剣を構え直した。
その身体には一切の力みがなく、その心には、一切の乱れがない。
まるで、静止した水のよう。
「バカな!」
ミナセの目が広がった。
限界にまで開いたその目で、ミナセはストラースを見た。
「俺には、流派の神髄を極めることはできなかった」
ストラースが静かに言う。
「だけどな、先生の足元くらいには辿り着きたかったんだよ。だから俺は、修行を続けた」
思ってもみなかった言葉。
「いちおう、これでも師範代だったからな」
自嘲気味に、ストラースが笑う。
「師範の娘と、もと師範代。どっちが強いか、決着を着けようか」
そして、ストラースは前に出た。
流れるように、なめらかに前に出た。
「!」
驚くミナセに大剣が迫る。
一直線に迫ってくる剣先の狙いは、ミナセの左胸。と見せ掛けて、剣は右に軌道を変える。
ミナセが右に避けることを想定して、剣は動く。
ミナセはそう読んだ。
だからミナセは、後ろに避けた。
それなのに。
「なに!?」
剣は、真っ直ぐに伸びてきた。
後ろに跳んだミナセを、剣が追う。
間に合わない!
瞬間ミナセは、体をひねった。
ヒューリとの修行で鍛えられた瞬発力で、ミナセは素早く体をひねって剣をかわした。
ところが。
その目が、信じられないものを見る。
ストラースの剣が、縦に向いていたはずのその刃が、横を向いていた。
「くっ!」
ミナセの真横を剣が駆け抜ける。
ひねった勢いで体を回転させながら、ミナセが跳ぶ。
「はあ、はあ……」
ミナセの息が荒い。
胸から血は流れていない。ミナセの反射神経が、剣の速さをわずかに上回っていた。
それでも。
「どうして貴様が……」
戦いはまだ始まったばかりだ。それほど激しく動いている訳ではない。
しかし、ミナセの呼吸は乱れていた。
ミナセの頬を、汗が伝って流れ落ちる。
ミナセの攻撃を再現したかのようなストラースの攻撃。
だが、本質的にそれは違った。
ミナセの攻撃は、ヒューリとの修行で身につけた剣技だ。剣を回して敵を欺くのも、刃の向きを変えて敵を切り裂くのも、敵の動きに反応して繰り出す技だ。
しかし、ストラースの攻撃は違った。
ミナセが後ろに跳ぶことを読んで、剣の軌道を変えなかった。
ミナセが体をひねることを読んで、刃の向きを変えた。
本来ならミナセが行うべき先読み。それを、逆にストラースが使っていた。
ミナセは焦る。
その動揺を、ストラースは見逃さない。
「行くぜ!」
続けざまに攻撃を仕掛けてきた。
大剣が唸る。
ミナセがそれをギリギリでかわす。
大剣が走る。
ミナセがそれを、刀で受け流す。
高度な攻防。
達人同士の戦い。
だが、ミナセは感じていた。
このままではいずれ……
ミナセは、完全に防戦一方だ。
出し惜しみなどしていない。全身全霊、全力で戦っている。
それでもミナセは、反撃の機会を見出すことができなかった。
勝てるというイメージが、まるで浮かんでこなかった。
ミナセの心が乱れる。
ミナセの動きが乱れた。
そこに。
「もらった!」
ストラースが剣を振り下ろす。
ミナセの足が動き終えた直後の、最も踏ん張りが利かないタイミング。
体をひねっても避けられない、軸の中心を狙った振り下ろし。
決して避けることのできない、決定的な一撃だった。
それにミナセは、刀を向ける。
避けることができない以上、刀で受け止める以外に方法はない。
「あの時と同じだ! 人が作った刀なんかじゃあ、この剣は防げない!」
刀ごとミナセを両断せんと、大剣が唸りを上げる。
刀の背に左手を添え、柄を強く握ってミナセが大剣を受ける。
キィーン!
鋭い金属音が響き渡り、ストラースの大剣が、ミナセの刀にぶち当たった。
「!」
ミナセの刀は、大剣をがっちりと受け止めていた。
ストラースが、剣を引いて間合いを取る。
「そいつはいったい、何だ?」
ストラースが聞いた。
ミズキが、アダマンタイトで刀を作っていたのは知っていた。
だが、自分の大剣もアダマンタイトでできている。しかもそれは、ダンジョンの奥深くで手に入れた秘宝。どうやって作られるのかまったく不明の、人では決して作ることのない秘剣だ。
重量、厚みは、ともにこの剣のほうがはるかに上。
それなのに、この剣が受け止められた?
戦いは、ストラースがミナセを完全に押している。現状ではストラースが有利だ。
しかし、叩き折るつもりだった刀が、刃こぼれ一つせずに健在であるという事実がストラースの動きを止めた。
一方ミナセは。
お母様に救われた
あれだけの衝撃を受けながら、この刀は刃こぼれ一つしていない。普通の武器ではあり得ないことだ。
武器は互角と言える。
さらに、ミナセは感じていた。
奴と私の先読みの精度は、それほど変わりがない
それでもミナセが押されているのは、速さと力でストラースがミナセを上回っているからだった。
技という意味では、ミナセが優っているかもしれない。
だが、ミナセの技は読まれてしまうのだ。
どんなに変則的な技であろうとも、人間が繰り出す以上は予測ができる。高度な先読みの技術で、それを読むことができるのだ。
だからミナセは、ヒューリに勝てる。
ゆえにミナセは、ストラースに、勝てない。
「先生もお前も、大したものだと思ったが」
ストラースが、ミナセを見る。
「お前の母親も、まったく大したものだな」
その刀を見て、ストラースが言った。
「ほんとに大したもんだよ。だから」
その目が鋭く光る。
「三人まとめて、斬る」
激しい言葉とは対照的に、その姿は変わらず静か。
心は静止した水のように。冷静に、集中して相手に向かい合う。それが常にできなければ、次には進めません。
ウィルに言われた言葉。
尊敬していた師の言葉。
ストラースは強くなっていた。
ミナセが強くなったのと同じように、ストラースもまた、強くなっていた。
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