炎と水

 夜明けの空気は硬い。

 河川敷に着いたミナセは、大きく息を吸い込んで、それをゆっくりと吐き出す。

 そして、真正面を見た。


「誰だ、そいつは?」


 低い声が問うた。

 先に来ていたストラースが、怪訝な表情でこちらを見ている。


「俺は、ミナセさんの会社の社長で、マークと言います。この戦いを見届けるために、ミナセさんに無理を言ってついてきました」


 ミナセが反応するよりも先に、マークが答えた。

 ストラースが、警戒するようにマークを見る。


「手は出さないってことで、いいんだな?」


 探るように聞く。


「戦いに参加するようなことはしません。ミナセさんを励ますことくらいは、させていただくかもしれませんが」

「お前が手を出さないのなら、それでいい」


 ストラースが念を押すように言った。何を考えているのか、じっとマークを見ている。

 やがて、その視線がミナセに移った。


「じゃあ、始めようか」

「ああ、そうしよう」


 ストラースの言葉にミナセが応じる。

 マークが、ミナセに声を掛けることなく黙って距離を取る。

 マークも、そしてミナセも、ここに来るまでに覚悟は決まっていた。


 ストラースが大剣を抜く。

 ミナセも刀を抜いた。


「それは、太刀か?」

「そうだ」

「お前の母親が打ったものか?」

「そうだ」


 短いやり取りの後。


「そうか」


 そう言うと、ストラースは大きく剣を振り上げた。


「ならば、その太刀ごとお前を叩き斬ってやる!」


 叫ぶと同時にその闘気が膨張していく。

 炎を背負っているかの如き強烈な気を身にまとい、全身に魔力をみなぎらせて、ストラースは戦闘態勢に入った。


 対して。


 無言のまま刀を構えるミナセは、静か。

 常人なら顔を背けたくなるほどの気迫を浴びながら、静かに立つ。

 その身体には一切の力みがなく、その心には、一切の乱れがない。


 まるで、静止した水のよう。


 その姿を見たストラースが、にやりと笑う。

 そして。


 シュッ!


 風を切り裂く音がした。ストラースが一気にミナセとの距離を詰める。

 驚異的な速さだった。

 大剣がミナセの頭上から襲い掛かる。

 それはミナセは。


 ふわり


 分かっていたかのように、柔らかく左にかわした。


 ところが。


 かわされた大剣が、弾かれたように跳ね上がった。諸刃の反対側の刃が、ミナセの右から迫る。

 あり得ない動きだった。あの速さで振り下ろされた剣が、この速さで戻ってくることなどあり得ない。


「俺の剣は、先読みの上を行くんだぜ!」


 ストラースの叫びと共に、剣が斜めに振り上げられる。

 その剣は、しかし今度もミナセを捕らえることはできなかった。

 ミナセの体は、大剣と同じ速度で移動していき、それをかわしたところで、やはりふわりと止まった。


「貴様……」


 ストラースが目を見開く。


「どこまで読んでいるんだ?」


 本気で驚いている。

 ウィルでさえ、ストラースの初撃は全力で避けていた。三年前に一度見られているとは言え、ミナセが実際にこの剣を受けるのは初めてのはず。

 それをミナセは、余裕を持ってかわした。


 間合いを取って警戒するストラースに、ミナセが言う。


「非常に残念な話なのだが」


 かすかに笑いながら言った。


「私は毎日、私よりも速い相手と戦っている」


 直後。

 今度はミナセが出た。

 流れるように、なめらかに前に出る。


「なめるな!」


 真正面からの攻撃に、ストラースが吠えた。

 ミナセの刀が、ストラースの心臓目がけて真っ直ぐに突き進んでいく。

 そこに大剣が振り下ろされた。


「そんなもの!」


 ミナセが刀を取り落とすほどの強い力で、ストラースは上から叩いた。

 そのはずだった。


「!」


 ストラースの手には、何の手応えもない。

 その目の前でミナセの刀は、手首を中心にくるりと縦に一回転をして、時間差で再びストラースの心臓を狙っていた。


「バカな!」


 信じられなかった。そんな技、ウィルには教わっていない。過去のどんな相手も、そんな技を使う者などいなかった。


「うおぉぉぉっ!」


 猛獣のような咆哮を上げ、すべての力とすべての反射神経を使ってストラースが体をひねる。


 紙一重でかわせる!


 確信したストラースの目が、またもや信じられないものを見た。

 ミナセの刀が、下を向いていたはずの刃が、ストラースの側を向いていた。


 ストラースの胸の肉を切り裂いて、刀が一直線に駆け抜ける。

 鋭い痛みに顔をしかめながら、ストラースは横に跳んだ。


「はあ、はあ……」


 ストラースの息が荒い。

 胸からは血が流れ出している。

 傷は、致命傷ではなかった。ミナセの刃は、鍛え抜かれたその胸筋をわずかに裂くのみで、骨にも達してはいない。

 だが。


「今の技は、何だ?」


 ストラースの頬を、汗が伝って流れ落ちる。その声が掠れている。

 先ほどよりさらに間合いを取って警戒するストラースに、ミナセが言う。


「私も最近知ったんだが」


 わずかに笑いながら言った。


「相手に剣が二本あると、懐に飛び込むのさえ難しいんだよ」


 相手の動きを読む。相手の心の動きを読む。

 それをもとに、剣の軌道を、体のさばき方を予測する。

 その予測を超える、その予測の斜め上をいく攻撃と防御。


 ヒューリの動きは、時にミナセの予測を超えた。

 ヒューリの双剣は、時にミナセの想像を超えて、ミナセを追い詰めた。


 ヒューリの双剣をどうかわすか。

 ヒューリの動きをどう越えるか。


 負けず嫌いのヒューリは、研鑽を惜しまず日々成長していった。

 そんなヒューリに追い付かれまいと、ミナセも必死に修行を重ねた。


 ゆえにミナセは強くなった。

 ミナセは、三年前とは比較にならないほど強くなっていた。

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