第五章 孤独な魔術師
シンシアの威力
惣菜屋のミゼットの店の前には、長蛇の列ができている。
その列の先頭、店の前には、二人の少女がいた。
一人は、栗色の髪に茶色の大きな瞳が印象的な、おひさまを連想させる美少女。エプロンと三角巾がとてもよく似合っている。
その少女は、明るい笑顔を振りまきながら、次々とお客を捌いていた。
「はい、お待たせしました!」
「こちらとこちらでよろしいですね?」
「ありがとうございました!」
その手際は、見ていて惚れ惚れするほどだ。
もう一人は、きれいな空色の髪にブルーの瞳が印象的な、月明かりを連想させる美少女。付け慣れていないのか、エプロンと三角巾を時々気にしている。
その少女の接客は、もう一人の少女とは対照的に、とても危なっかしい。
たどたどしく惣菜を包み、おずおずと客に渡す。お釣りの計算が苦手らしく、頭の中で一生懸命考えているのが分かる。表情も硬い。
そして、終始無言だ。
その少女に、突然客の男が聞いた。
「お嬢ちゃん、これって何の漬け物?」
少女は、とっさに何か言おうとして口を開いたが、言葉は出ない。かわりに、ポケットからメモ帳とペンを取り出して答えを書いた。
カブです
「そうなの?」
答えが意外というより、少女の行動が意外だったようで、その男は、少しの間少女を見つめていた。
すると、横からもう一人の少女が説明する。
「すみません! その子、うまく喋れないんです」
「あ、そうなんだ」
男は納得したようだ。
喋れないと言われた少女が、頭を下げる。
「いいよいいよ。喋れないのに聞いちゃった俺が悪いんだし」
男の言葉で、少女は顔を上げた。
すぐに答えられなかった不甲斐なさからだろうか。上目遣いに男を見るその目は、少し潤んでいるようだ。
「可愛い……」
無意識に男がつぶやいた。
名工が作り上げた人形のように美しく整った顔立ち。その顔が、悔しげに、悲しげに自分を見上げている。
健気で可憐。
儚げで繊細。
もしもこの子が妹だったら、俺はこの世の男をすべて敵と見なしてしまうかもしれない。そして俺は戦うのだ。世界中の男たちと、この子の幸せを賭けて……。
そんなどうでもいい妄想が頭の中で進行していく。
頬が緩む。思考が別の世界へ飛び立っていく。男は、ちょっと気持ち悪い顔をしたままじっと少女を見つめていた。
その男の目に、突然動揺が走る。
まずい!
男は慌てた。
変な顔で睨み続けていたせいか、目の前の少女が怯えているように見えた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「おぉぉぉぉっ!」
男が叫んだ。
びっくりして目を丸くする少女の前で、男は天を仰いでいた。
何てことだ!
俺はこの子を泣かせちまったっていうのか!
「ごめん!」
男が謝った。
「君を泣かせるつもりなんてなかったんだ! 君があんまりにも可愛かったから、だから、その……。ほんとにごめん!」
男が頭を下げる。腰を直角に曲げて全力で謝る。
そのままの姿勢で、男は待った。罪を犯してしまった自分への、少女から下される審判をひたすら待った。
すると。
ちょん
肩に感じた柔らかな感触で、男は顔を上げる。
そこに、少女はいた。首をゆっくり左右に振って、少女が深く頭を下げる。そしてゆっくり体を起こすと、少女は小さく微笑んだ。
名工が作り上げた人形のように美しく整った顔立ち。その顔が、はにかむように微笑んでいる。
男は、じっと少女を見つめた。先ほどとはまるで違う、真剣な表情で少女を見つめる。
健気で可憐。
儚げで繊細。
男の胸に、小さな炎が生まれた。
これは、運命だ
炎がめらめらと燃え広がっていく。
この子は、守らなければならない
炎が全身を包み込んでいく。
俺は、この子を守らなければならない!
ふつふつと湧き上がる英雄的本能。心が燃え上がるような熱い使命感。
高揚する気持ちのまま、男は叫んだ。
「俺に、君を泣かせちまったお詫びをさせてください!」
そして、気迫溢れる表情で宣言した。
「俺、お店を手伝います!」
「えっ!?」
栗色の髪の少女が、驚いて声を上げた。
その少女に向かって男が言った。
「俺、この子をサポートします! いや、この子の分も俺が働きます! ぜひ、俺に働かせてください!」
こうして、本日三人目の臨時店員が誕生した。
店の奥では、ミゼットと主人が次々やってくる”新人”たちを指導している。新人たちが店の役に立っているかどうかは、甚だ疑問ではあるが。
そんな店の様子を、少し離れた物陰から見つめる数人の男女がいた。
「これは想定外ですね」
男が腕を組んで唸る。
「あんなの反則じゃないか?」
赤い髪の女が、口を尖らせながらつぶやく。
「お前も、だいぶ反則気味だったと思うけどな」
もう一人の女が冷静に突っ込んだ。
次の瞬間、突っ込みを入れた女が素早く後ろを振り向く。
そして、得意げに笑って言った。
「フッ。おじさん、もう奇襲は食らいませんよ」
雑貨屋の主人が、呆れながら言う。
「ミナセちゃん。問題はそこじゃないでしょ」
「……」
ミナセが、顔を赤くしてうつむいた。
「それはともかく」
主人が長蛇の列を眺める。
「今日は過去最高の入りだね。しかも、やってくる客をその場で店員にしちまうとは。大したもんだ」
「まあ、計算通りでしたね」
マークが自慢げに答えた。
社長、さっき、想定外って言ってましたよね?
「それにしても」
主人が、リリアとシンシアを見ながら言った。
「あの二人、見ていて何とも微笑ましいねぇ」
主人の顔には、言葉通りの微笑みが浮かんでいる。
シンシアが、一生懸命接客をする。
リリアが、それを一生懸命フォローする。
そんな二人を、並んでいる客も、買い物を済ませた客も、通り掛かりの人たちまでもが微笑みながら見つめていた。
「あの二人のことは俺も時々見とくから、みんなは仕事に戻りな。今度こそ、誰かが衛兵に通報しちまうかもしれないからな」
にかっと笑って、雑貨屋の主人が言った。
「じゃあお言葉に甘えて、行きましょうか」
マークが二人に声を掛ける。
「はい。おじさん、また」
三人は、リリアとシンシアに見付からないように、そっとその場を離れていった。
事務所に戻る途中、ヒューリがマークに質問する。
「社長。私の時も、あんな風に見てたんですか?」
その質問に、マークはちょっと考えた後、答えた。
「まあ、そうだね」
マークは前を向いたままだ。
すると、ヒューリが笑って言った。
「なんだ、いたんですか? 声掛けてくれたら、コロッケサービスしたのに」
「ヒューリ、それはやっちゃだめだぞ」
あっけらかんと言い放つヒューリを、ミナセがすかさずたしなめる。
言われたヒューリは、ちょっとだけ舌を出して、前を向いた。
「今度はちゃんと声掛けてくださいよ! じゃあ私、ここで!」
そう言いながら、ヒューリは人混みに向かって走り出す。
見事なフットワークで通行人を避けながら、あっという間に見えなくなってしまった。
「さすがヒューリだ」
ぽつりとマークがつぶやく。
そして、さりげなくミナセを見た。
ミナセの表情は……
……普通だった。
あれ、今日は反応なし?
「何か?」
ミナセがマークを見る。
「いえっ、何でもないです!」
慌てるマークに首を傾げながらも、ミナセはいたって普通に言った。
「じゃあ私も、このまま仕事に行ってきます」
普通に歩いていくミナセの背中を見ながら、マークがつぶやく。
「俺には、ミナセさんが分からないです」
マークは小さく息を吐き出すと、事務所に向かって歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます