隠し事

 事務所に戻ると、マークが一人で待っていた。リリアとシンシアはどこかに出掛けているようだ。

 二人は、ちょっと緊張しながらマークに結果を報告した。特にミアは、かなりビクビクしていたのだが。


「大変だったな、お疲れ様」


 貴族を怒鳴りつけてしまったことについて、マークは一切怒らなかった。それどころか、マーク自らお茶を入れて、二人の労をねぎらってくれる。


「これからプランを作って、明日持って行くんだろう? 連勤になるけど大丈夫か?」


 気遣うマークに、フェリシアが答えた。


「はい、問題ありません」

「私も大丈夫です!」


 ミアも慌てて続く。


「体調を崩してしまったら元も子もないんだ。多少の無理は仕方がないが、無茶はするなよ」

「はい」

「仕事は抱え込むな。厳しいと思ったら、俺かミナセに必ず相談しろ」

「はい」

 

 しっかりと頷く二人をマークが見つめた。

 そして。


「この件は、二人に任せる。大変だと思うけど、頑張ってくれ」


 マークが笑った。


「はい!」

「頑張ります!」


 二人も笑った。

 立ち上がったマークが、二人の肩をポンと叩く。


「一段落ついたら、好きなものをご馳走しよう。ボーナスのかわりだ」

「はい!」

「やったー!」


 二人の肩をもう一度叩いて、マークはそのまま事務所を出ていった。


「ミア、やるわよ!」

「はい、やりましょう!」


 二人はやる気全開。

 カレンダーと自分たちのスケジュール表を睨みながら、ひと月半で結果を出すためのプランを真剣に練り始めた。



 翌日二人は、再びカミュ公爵邸を訪れた。

 侍女の視線は相変わらずだったが、特に何かを言われることもなく、あっさりイザベラに取り次いでくれる。イザベラもすぐにやってきて、二人のプランを、こちらもあっさりと了承してくれた。

 ちょっと拍子抜けしながらも、二人は早速その日から活動を開始する。イザベラは何も言わなかったが、ひと月半というのは、間違いなく娘の結婚式に合わせた期限に違いない。二人は、気合いを入れてイザベラのダイエットに臨んでいった。



 ダイエット開始から一週間。グラフに線を引くミアが言う。


「さすがにまだ効果は出ないみたいですね。夫人、もう少し頑張りましょう」

「そうね」


 相変わらず無愛想なイザベラに、ミアが明るく声を掛ける。侍女の冷めた視線を無視して、ミアはイザベラに笑ってみせた。



 ダイエット開始から二週間。グラフに線を引くミアが言う。


「なかなか難しいですね。でも、ここで諦めてはいけません。夫人、一緒に頑張りましょう!」

「そうね」


 まったく笑わないイザベラに、あえてミアが大きな声を掛ける。冷ややかな侍女の視線を感じながら、ミアは元気に笑ってみせた。



 ダイエット開始から、三週間。グラフに線を引くミアが、黙る。


「本当に大丈夫なのですか?」

「大丈夫です!」


 嫌みたっぷりな侍女の言葉に、ミアが答えた。イザベラは何も言わない。フェリシアが、ミアの隣で難しい顔をしていた。


 その日の夕方。


「おかしいわね」


 エム商会の事務所でフェリシアがつぶやいた。


「三週間経っているのに、あんなに成果が出ないなんて」


 眉間にしわを寄せるフェリシアの横では、ミアがソファに背を預けて、ボーッと天井を眺めていた。


「ちゃんと運動はしてるんだよな?」

「それは間違いないわ。私たちと一緒にしてるんだもの」


 ヒューリにフェリシアが答える。


「食事の仕方が間違っているとか?」

「料理人にはちゃんと説明したし、何よりあの侍女がついているんだから、間違えることはないと思うわ」

「そうですか」


 聞いたリリアが考え込む。ほかのみんなも、リリアと同じように考え込んでいた。

 すると。


「夫人が特殊な病気だということも、あり得ない話じゃないけど」


 マークが話し出した。


「大抵は、本人が隠し事をしている場合が多いだろうね」

「隠し事?」


 ミアが、体を起こしてマークに向き直った。


「そうだ。可能性としては、間食かな」

「間食?」

「侍女は、夫人のダイエットに協力しているんだろう?」

「はい。いくら私たちが気に入らないからと言って、夫人のためにならないことを、あの人がするとは思えません」

「ということは、寝る前とか夜中とか、そういう時に、部屋でこっそり何かを食べてしまっているのかもしれないね」

「そんなこと……」


 反論し掛けて、しかしミアは黙ってしまった。


「それはないんじゃないでしょうか?」


 かわりに、フェリシアがマークに言った。


「お嬢様の結婚式まで日がありません。痩せることを前提に、ドレスだって用意してあるはずです。だから……」

「強い動機があるからと言って、その通りにはできないことも、人にはあるんだよ」


 マークがフェリシアを見る。


「特に、空腹というのは想像以上に苦しいものだ。罪悪感に苛まれながら、涙と共に食べ物を口にしてしまう人がいるという話も聞いたことがある」


 事務所の中が静まり返った。


「もしかしたら、夫人は苦しんでいるのかもしれない。だけど、一緒に住んでいる訳でもない俺たちにできることは……」


 ガバッ!


 突然ミアが立ち上がった。


「ミア?」


 見上げるフェリシアも、みんなの視線も全部無視して、ミアが大きな声で言う。


「私、行ってきます!」


 そしてミアは駆け出した。玄関を開けて、あっという間に事務所から出て行ってしまう。


「ちょっと!」


 フェリシアが慌てる。みんなが呆然とする。

 その中で、マークが微笑みを浮かべながら、ミアの出て行った玄関を静かに見つめていた。

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