ファルマン商事
連勤したのだから二日休んでいいとマークには言われたのだが、ミナセは、一日だけ休みをもらって休息に充てた。
慣れない仕事で疲れていたのだろう。昨日はじつによく眠った。おかげで、今朝は心身ともにスッキリしている。
入社以来ずっと世話になっている安宿。その食堂で朝食を済ませると、奥の女将に「ごちそうさま」と声を掛けて、ミナセは通りに出た。
店番というのは、なかなか新鮮な体験だったな
輝く太陽を見上げて微笑む。
時々なら、ああいう仕事も悪くない
あくまで、時々はだけど
そんなことを考えながら、ミナセはエム商会へと向かった。
事務所に着くと、マークが何やら書類の整理をしていた。
「おはようございます」
ミナセの元気な声に、マークが笑顔になる。
「おはようございます。疲れは取れましたか?」
「はい、すっかり」
ミナセも笑顔で返した。
入社前に比べると、その笑顔は格段に魅力を増している。
「早速仕事の話ですが」
そう言って、マークが書類をまとめて持ってきた。ソファに腰掛けるミナセの正面に座って、テーブルの上でトントンとそれを揃える。
マークが持っていたのは、仕事の依頼書だった。依頼主や内容、条件などが書き込まれている。
「ミナセさんが頑張ってくれたおかげで、依頼がたくさん来ています」
そう言いながら、最初の一枚をミナセに見せた。
「これは、八百屋さんの店番です。期間は二日間、ミゼットさんのお店の近くですね」
説明しながら、マークがミナセを見る。
「店番、ですか」
ミナセの反応が、あまりよくない。
「これは、やめておきましょうか」
マークが一枚、書類をめくる。
「次は、お肉屋さんの店番です。報酬とは別に、ステーキ肉を二、三枚くれるらしいですよ。太っ腹ですよね!」
説明しながら、マークがミナセを見る。
「……」
ミナセの反応が、ない。
「では、次」
マークが、さらに書類をめくる。
「これは、金物屋さんの店番です。そんなにお客さんが来ないから楽な仕事だよって、店のご主人が言っていました」
マークがミナセを見る。
「……」
その顔から、笑顔が消えていた。
「……次」
プレッシャーを感じながら、マークが依頼書をまためくる。
「これは……店番」
一枚めくる。
「これも……店番」
また、めくる。
「これも……」
「……」
こうしてたくさんあった依頼書が減っていき、とうとう最後に一枚となった。
ミナセの目を、マークはもう見ることができない。緊張感溢れる空気の中で、マークが、その一枚を読み上げた。
「これは、えー、護衛の仕事……」
バンッ!
「それがいいですっ!」
テーブルを叩きながら、ミナセが勢いよく身を乗り出した。
「わ、分かりました」
のけぞりながら、マークが答えた。
依頼主のもとに向かいながら、マークが説明をする。
「依頼主は、ファルマン商事。依頼内容は、現金輸送の護衛です」
ファルマン商事は、この国、イルカナ王国でも有数の大企業だ。流通業としては最大手と言っていい。
国内外に店舗や事務所を持ち、じつに多くの商品を扱っている。王家や貴族とも取引があり、町の運営にも影響力を持っていた。
もとは小さな雑貨屋だった店を、先代の社長が大きく発展させたらしい。すでに引退して息子に会社を任せてはいるが、今でも時々仕事を手伝っているようで、社員や取引先からは”ご隠居様”と呼ばれて親しまれ、頼りにされている。
今回の依頼は、社員が各店舗の売上金を集めて銀行に持って行く時の護衛だ。
「当然今も護衛はついているのですが、南に向かう商隊護衛の人数を増やしたいらしくて、新たに護衛ができる人を探しているとのことです」
この国の南には、エルドア王国がある。最近治安が悪化していると聞いているが、その影響だろうか?
ふとミナセは、あの女の子を思い出した。南から来たという女の子。
あの子は今頃……
「今日は、面接を受けてもらいます。それに通れば正式な依頼となります」
マークの言葉で、ミナセは我に返った。
「面接ですか?」
「はい。ミナセさんなら大丈夫だと思いますので、固く考えずに、楽な気持ちで受けてください」
面接と聞いて少し緊張したが、信頼できない相手に護衛を任せるはずもない。ミナセは、腹をくくってファルマン商事へと向かった。
到着したのはファルマン商事の本店。面接官は、先代の息子、つまり今の社長だった。
「では、早速いくつかお聞きしたいと思います」
挨拶もそこそこに、面接が始まった。
「ミナセさんのご出身はどちらですか?」
「はい、シオンです」
「シオン……ここからずっと東にある国ですね」
大陸の地図を思い浮かべながら、社長が確認する。
「なぜこの国に?」
「はい、その……幼い頃に母を亡くし、父と二人で暮らしていたのですが、その父も亡くなったので、剣の修行を兼ねて旅に出ました。その途中に立ち寄ったこの町でマークと出会って、エム商会に入社しました」
「なるほど」
頷いて、社長がミナセの目を見つめる。
ミナセも、真っ直ぐにその目を見つめ返した。
沈黙が訪れる。
ミナセの緊張が高まっていく。
やがて。
「分かりました」
社長の表情が、緩んだ。
「面接はこれで終わります」
「えっ、もう終わりですか?」
ミナセが驚く。
「そうです。この後は、ミナセさんの実力を拝見させていただきます」
社長が立ち上がり、ついて来てくださいと言いながら歩き始めた。
「じつは、昨日の段階で面接の半分は終わっていたのですよ」
前を向いたまま社長が話し出す。
「マークさんからミナセさんの人柄は聞いていますし、凶悪な男たちを倒した時の様子も教えていただきましたから」
廊下ですれ違う社員に会釈を返しながら、社長が話を続けた。
「それに何より、マークさんのことを信頼できる人だと確信していますから、ミナセさんとの面接は、言わば念のための確認だったのです」
ミナセが再び驚く。
社長のことを、信頼できる人だと確信している?
後ろを歩くマークを思わず振り返ると、いつもの笑顔が返ってきた。
社長さん、この笑顔に騙されてはいませんか?
「ここです」
連れてこられたのは中庭だった。
そこに、一人の男が待っていた。
「この男はシュルツ。うちの商隊の護衛をお願いしている、傭兵団の団長です」
社長が、ミナセに男を紹介する。続けて男にミナセを紹介した。
「こちらが、さっき話をしたミナセさん」
よろしくと言いながら、シュルツが軽く手を挙げた。
「よろしくお願いします」
ミナセは丁寧にお辞儀をする。
「護衛をお願いしている傭兵団はいくつかあるのですが、その中でも、特にシュルツのところには多くの仕事を依頼しています」
社長が補足する。
依頼が多い、つまり、腕も確かなのだろう。
「今回は、シュルツと手合わせをしてもらいます」
そう言うと、社長は用意してあった木刀を二人に渡した。
「相手に有効打を入れたらそれで終わり。続行が危険と私が判断しても、その時点で終わりです」
木刀であっても、当たり所が悪ければ命を落とすこともある。
手合わせとは言っても、真剣勝負に変わりはない。
「では、始めてください」
社長の声で、二人は剣を構えた。
二人とも何も言わない。動くこともしない。
その静かな空気の中で、シュルツは注意深くミナセを観察していた。
そこそこには出来るようだな
ミナセの構えを見て、シュルツは思った。だが、あくまでそこそこという印象だ。
それでも、シュルツは相手をなめて掛かることなどしない。油断が危険を招く可能性のあることは、経験が教えてくれている。
とは言うものの。
女相手に、本気では打ち込めないな
適当に攻めさせて、適当に受けさせて、その後で木刀を叩き落とすか、それが無理でも腕に一本決めるくらいで終わりにしたい。
そんなことを考えながら対峙するが、ミナセの側から攻めてくる様子はなかった。
仕方ない。こっちから行ってみますか!
少し焦れてきたシュルツが、心の中で掛け声を掛ける。
それに反応するように、ミナセの持つ気配が変わった。
直後。
水!?
突然、シュルツの目の前に水面が出現した。それは自分の足元にまで広がっていて、静かに、鏡のようにそこに存在している。
シュルツが、驚いて一歩下がろうとした。
途端、自分の”左足”を中心に波紋が広がっていく。
バカな!
下げようとしたのは”右足”だ。その右足を下げるために、シュルツは左足に重心を移そうとしていた。その動きを事前に知らせるかのように、左足の足元に波紋が起きた。
あり得ない!
慌ててシュルツが瞬きを繰り返す。すると、水は嘘のように消えていった。
長く、深くシュルツが息を吐き出していく。
脅かしやがって
背中を流れる冷たい汗を感じながら、再びシュルツはミナセに集中する。
水面は、もう現れない。
落ち着け、大丈夫だ
心を鎮める。
ただの錯覚だ。気にすることはない
自分に言い聞かせる。
だが、シュルツの意志に反して、体はまったく動いてくれなかった。
強い覇気を持つ相手とも戦ってきた。強力な魔力を持つ相手とも戦ってきた。その時のプレッシャーと比べれば、ミナセの放つそれはまるで大したことはない。
それでもシュルツは打ち込めない。
水の記憶が、体と心を縛り付ける。
静かに構えるミナセの前で、シュルツの息が荒くなっていった。
汗が、頬を伝って顎から落ちる。
これは……勝てない
悔しいが、素直にそう思う。
こいつは、間違いなく俺より強い
素直にシュルツは認めた。
過去に出会った誰よりも、過去に倒してきたどんな魔物よりも、ミナセは間違いなく強かった。
だが、何もせずに終わるのはシュルツの意地が許さない。
せめて一太刀だけでも!
自分の心に鞭を打ち、剣を振り上げようとした、その時。
「そこまで!」
社長とは違う声がした。
「おやじ!?」
「ご隠居!?」
社長とシュルツが同時に叫ぶ。
驚く二人の視線の先に、白髪髭を生やした温厚な顔立ちの老人が静かに立っていた。
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