パン

「リュクス! 女の子の無事を確認させろ!」

「参った……」


 壁に背を預けて座り込み、リュクスは目を閉じる。


「リュクス! 聞こえてるんだろう? 女の子を見えるところに連れてこい!」


 キースの呼び掛けに、リュクスは答えない。

 答えられるはずがなかった。


「もう殺してしまったのではないか?」

「そんなはずはありません!」


 外の会話が聞こえてくる。

 署長の顔が目に浮かぶようだ。


「リュクス! 何をしている!」


 うわずった声が聞こえてくる。

 キースの焦る顔が、目に浮かぶようだった。


「私には人質がいるようには思えんな。時間の無駄だ。突入を……」

「署長!」


 必死の声。


「リュクス!」


 必死の叫び。


「すまない。本当にすまない」


 リュクスが拳を握り締めた。

 その目をカッと見開いて、何かを決意する。


「人質は確認できなかった! 衛兵の面汚しを捕らえる!」


 署長が大声を上げた。


「全員、突入……」


 その時。


 タタタッ


 小さな足音がした。

 リュクスは、飛び上がるように立ち上がってシーツを撥ね除ける。


「待てっ!」


 窓の下に怒鳴ってから、リュクスは階段へと走った。

 部屋の扉を勢いよく開けて、そこで息を弾ませているリリアを片手で抱え上げると、窓辺へと取って返す。


「人質はここだ! 突入すれば、こいつを殺す!」


 腰のナイフを抜き放って、リリアに突きつけた。


「ちっ!」


 署長が小さく舌打ちをする。それを耳に捉えながら、キースが言った。


「と、いうことです。突入はできません」


 忌々しげにキースを睨んで、署長が後方へと下がっていく。


「バカ野郎……」


 誰にともつかない言葉をつぶやいて、キースは大きく息を吐き出した。



「ヒック……ヒック……」


 茶色の瞳にいっぱいの涙を湛え、それでもリリアは泣くのを我慢している。それなのに、後から後から涙が溢れてきて、それはぜんぜん止まってくれなかった。


「ごめん! ほんとにごめん!」


 その目の前で、リュクスが真剣に頭を下げている。


「突入される寸前だったんだ。驚かせちゃって、本当にごめん!」


 必死に謝るリュクスをリリアが見る。喉を引き攣らせ、肩をひくひくさせながら、リリアはリュクスを見ていた。

 やがて、少し落ち着いたリリアが話し始めた。


「おじちゃん」

「な、なんだ?」

「パン、持ってきた」

「パン?」


 こくりとリリアが頷く。


「おじちゃんと一緒に食べようと思って、パン、持ってきたの」

「そうか、それは……」

「おじちゃん」

「なんだ?」

「うぇ……うぇ……」

「お、おい……」

「うわーん、びっくりしたぁ」


 うわーん、うわーん……


 ついにリリアは、声を上げて泣き出した。

 やっぱり我慢できなかったらしい。


「リリア、あの……」


 リュクスは慌てた。手をさまよわせ、オロオロしながらリリアを見る。

 リリアは、その小さな体にはちょっとだけ大きめの、可愛らしいリュックを背負っていた。そのリュックも、手も足もひどく汚れている。

 きっと、あの狭い通路を一生懸命這ってきたに違いない。リュックは、押すか引くかしながら運んできたのだろう。

 光る魔石も首から掛けたままだ。急いでここまで来たことがリュクスにも分かった。


 ウロウロしていたリュクスの腕が、動きを止める。

 その腕が、リリアの両肩を優しく掴んだ。


「リリア」


 泣き続けるリリアを、リュクスが抱き締める。


「ごめんな」


 泣きそうな顔で、リュクスはリリアを抱き締めていた。



 今度こそ落ち着いたリリアの手を、リュクスは魔法の水で洗ってあげた。涙でぐちゃぐちゃの顔も、同じように洗う。

 だが。


「拭くものがないな」


 困ったように、リュクスが言った。

 それにリリアが答える。


「あるよ」

「えっ、あるのか?」

「うん!」


 驚くリュクスの目の前で、リュックの中から、リリアは小さなタオルを取り出した。


「お母さんが入れてくれたの」


 そう言いながら、タオルで手と顔を拭いた。


「ほんと、お前の親に会ってみたいもんだな」


 心の底からリュクスが言った。



 紙に包まれたパンを、リリアがリュクスに手渡す。


「お友達と一緒に食べるって言って、もらってきたの」

「そうか」

「すっごく美味しいよ!」


 得意げに言って、自分の包みを開いていく。


「じゃあ、遠慮なく」


 リュクスも、受け取った包みを開く。出てきたのは、ロールパン。それが二つ入っていた。

 少し潰れていたものの、その感触はふわふわ、表面はつやつや。

 急激に空腹を感じたリュクスは、思い切りパンにかじりついた。ほんのり甘くて柔らかくて、気のせいか、まだ温かいような気がする。


「うまいな」

「ほんと?」


 嬉しそうにリリアが笑う。


「ほんとにうまい」


 リュクスは思った。最高にうまいと、心から思った。


 リリアが持ってきたパンは、全部で六つ。そのうちの二つをリリアが食べた。

 食べ終わったリリアは、包み紙を丁寧に四つ折りにして、リュックにしまう。


「おじちゃん、これでお手て拭いてね」

「お、ありがとう」


 ちょうどいい具合に濡れていたタオルで、リュクスは手を拭いた。

 リリアはそれを受け取ると、自分の手もきちんと拭いて、やっぱりきれいに畳んだ後、リュックにしまう。

 そして言った。


「美味しかったね!」


 天使のような笑顔で言った。


「ああ、うまかった。ありがとな、リリア」

「うん!」


 リュクスも笑う。

 こんな状況だというのに、本当に気持ちよくリュクスは笑った。 

 リリアが楽しげに話し出す。


「お母さんがね、今日はいっぱい食べるんだねって言うからね、男の子と一緒に食べるのって言ったの」

「男の子ね」

「そしたらお父さんがね、どんな子なんだって言うからね、おっきな男の子だよって言ったの」

「で、お父さんはどうしたんだ?」

「そしたらね、お父さんがね、変な顔したの」

「変な顔?」

「うん。それでね、お母さんがね、いいから早く行きなさいって言うからね、いってきますって言って、出てきたの」

「そうか」

「おじちゃん、遅くなってごめんね」


 リリアがリュクスを見つめる。


「うまいパンが食べられたしな。気にするな」


 答えてリュクスは、急に立ち上がった。シーツの端を持ち上げて、外の様子を見る。

 リュクスは、リリアを見ることができなかった。きっと今の自分は、リリアの父親以上に変な顔をしているだろうから。

 

 さて、この後どうするか


 シーツを握り締めたまま、リュクスは真剣に考えていた。

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