約束

 リリアの安全確保は絶対だ

 しかし、署長の悪事も放ってはおけない


 カーテンを握り締め、外の様子を窺いながら、リュクスは考える。

 やがて。


「リリア。そのリュック、ちょっと借りていいか?」

「うん、いいよ」


 リュクスに言われて、リリアは素直にリュックを渡した。


「必ず返すからな」


 リリアからリュックを受け取ると、あの封筒と一緒にそれを持って、リュクスは部屋の扉を開ける。


「おじちゃん?」

「少し待っててくれ。すぐ戻るから」


 にこりと笑って、リュクスは部屋を出ていった。

 ちょうど、その頃。


 ガラガラガラ……


 一台の荷馬車が、廃屋の前に到着した。


「遅いぞ!」

「申し訳ありません!」


 署長に怒鳴られた部下が、怯えたように目を伏せる。


「まあいい。すぐに準備をしろ」

「はっ!」


 数名の衛兵たちが荷台からいくつかの箱を降ろして、そのフタを開けた。

 中に入っていたのは、小瓶。それが数十個あった。


「署長、何ですかあれは?」


 小瓶を持って移動を始めた仲間たちを見ながら、怪訝な顔でキースが聞く。

 表情を変えることなく署長が答えた。


「油だ」

「油? ……まさか、署長!」


 顔色を変えるキースに、やはり変わらぬ顔で、署長が言う。


「安心しろ、脅しに使うだけだ。たとえ万が一のことが起きたとしても、両隣と裏の家は無人。被害は少ない」

「そんな!」


 キースが絶句する。

 そこに、衛兵の一人がやってきた。


「各班配置につきました。魔術部隊の三名もいけます」

「よし」


 満足そうに署長が頷く。


「署長、やめてください!」


 キースが手を広げて署長の前に立つが、署長はもうキースを見なかった。


「魔術部隊、やれ」

「はっ!」


 署長の声で、魔術師の三人が呪文を唱え始める。

 二人が玄関を、一人が一階の窓を睨んでいた。


「お前たち、やめろ!」


 叫ぶキースの目の前で、呪文は完成する。

 そして。


「ロックブラスト!」


 三人の手のひらから、魔力の塊が放たれた。


 ドカーン!

 バリバリバリ!


 それは玄関扉を打ち破り、その内側あった食器棚をも粉砕していた。

 それは窓ガラスを叩き割り、塞いでいた板をも吹き飛ばしていた。


 地の魔法の第三階梯、ロックブラスト。

 魔法の岩を召還して放つ、物理攻撃が可能な魔法だ。


「何だ!?」


 突然の音と衝撃に驚いて、リュクスが二階の部屋へと駆け戻る。


「おじちゃん!」

「じっとしてろ!」


 リリアに言って、リュクスは窓のシーツを撥ね上げた。その目に驚きの光景が飛び込んでくる。

 真正面の家の屋根に、五人の衛兵がいた。衛兵たちは、手に小さな何かを持っている。

 下にいる数人の衛兵も、やはり何かを持って立っていた。


「次!」


 眼下で署長が叫ぶ。

 衛兵たちが、廃屋に向かって一斉にそれを投げつけた。


 ガシャーン!

 パリンパリン!


 廃屋の屋根が、壁が、油にまみれていった。

 破られた一階の玄関や窓にも小瓶が投げ込まれていく。


「くそっ!」


 リュクスが窓から離れた瞬間、シーツを押しのけて小瓶が飛び込んできた。


 パリーン!


 割れた小瓶から油が溢れ出す。


 パリーン!


 二個三個と、続けて小瓶が破片をまき散らしていく。

 突然の襲撃に混乱しながらも、とにかくリリアを部屋の奥へと避難させ、窓の横に戻って、リュクスは外を窺った。

 そこに、聞きたくもない声が聞こえてくる。


「今すぐ人質を解放して投降しろ! さもなければ、その廃屋に火を放つ!」


「署長!」

「ふざけんな!」


 キースとリュクスの怒鳴り声が重なった。

 正気の沙汰ではなかった。衛兵の長たる人間がやることではない。


「三分だけ待ってやる! リュクスメリアン、私は本気だぞ」


 にやりと笑う署長の顔は、まるで悪魔のようだ。

 腰のナイフを握り締めて、リュクスが唇を噛む。


 あの時奴を殺しておくべきだった!


 それでもリュクスは、即座に思考を切り替える。


 署長は、証拠もろとも俺を消す気だ

 ならば!


 リュクスは、決断した。


「リリア、頼みがある」


 リリアの正面に立って、その瞳を見つめる。


「これから言うことを、キースっていう衛兵さんに伝えてほしい」

「キースさん?」

「そうだ。今下にいるから、後で誰だか教えてやる」


 そう言うとリュクスは、リリアに”キースへの伝言”を託した。


「絶対に伝えてくれ。伝える相手はキースだ、間違えるなよ」

「分かった。約束する」

「いい子だ」


 しっかりと頷くリリアの頭を、リュクスが撫でた。


「それと、もう一つお願いがある」


 リュクスが続ける。


「俺は後から行くから、リリアは先に、ここから出てほしいんだ」


 頭を撫でながら、リュクスが言った。

 悲壮な決意を胸に秘め、だがそれを顔には出さずに、リュクスが言った。

 しかし、リリアは今度は頷かなかった。


「おじちゃんはどうするの?」


 茶色の瞳が不安そうに揺れている。

 その瞳が何かを訴えている。


「言ったろう? 俺は後から行く。だから心配するな」


 優しくリリアの肩に手を置いて、リュクスが笑う。

 しかし、リリアは笑わない。


「どうして一緒に行かないの?」

「それは……俺は、衛兵さんとけんかをしてるからな。今はちょっと、出て行きにくいのさ」


 子供だましの言い訳だった。

 そしてやはり、そんな言い訳は、リリアに通用しなかった。


「私と一緒なら、おじちゃんは苛められないんでしょう? だったら私も、ここに残る!」


 真剣な顔でリリアが言う。

 リリアの賢さが、今のリュクスにとっては悲しいほどにつらかった。


「リリアは心配性だな。大丈夫、いざとなったらあの秘密の通路から……」

「うそつき! あそこ、大人の人は通れないもん!」


 小さな右手がリュクスの腕を掴んだ。


「一緒じゃなきゃいや」


 リリアの目に涙が溢れる。


「おじちゃんと一緒じゃなきゃいやだ」


 溢れ出た涙が、頬を伝って流れ落ちる。

 リュクスが揺れた。リリアの優しさ、リリアの健気さが、心をかき乱していく。

 それでも。


「リリア」


 リュクスは微笑んだ。


「俺は、お前のお父さんとお母さんに、パンのお礼を言わなきゃならない」

「パンの、お礼?」

「そうだ。それが大人としての礼儀だ。だから俺は、外にいる衛兵さんたちと話をした後で、必ずお前のご両親に会いに行く」

「ほんと?」

「ああ、本当だ。お店に行って、ちゃんとお礼を言って、今度はちゃんとお金を払ってパンを買う」


 リリアが、左手で涙を拭いた。


「リリアのおすすめのパンは何だ?」


 鼻をすすり、リリアはもう一度左手で涙を拭く。


「私ね、アップルパイが好きなの」

「アップルパイか」

「うん。今日はね、もう無くなっちゃってたんだけど、おじちゃんが来るなら、今度はちゃんと取っとくね」

「それはありがたいな」

「うん!」


 リリアが笑った。


「じゃあおじちゃん、約束ね!」

「ああ、約束する」

「絶対だからね!」

「ああ、絶対だ」


 穏やかな顔で、リュクスが答える。それを見て、リリアは安心した。ぎゅっと握っていたリュクスの腕から、ようやくその右手を、放した。


「リリアのご両親に会うの、楽しみだな」

「お父さんはね、かっこいいんだよ!」

「そうか」


 楽しげなリリアの頭にそっと手を置く。


「お母さんはね、すっごい美人さんなんだ!」

「そいつは是非、お会いしたいものだな」


 柔らかなその髪を優しく撫でる。


「私、お父さんもお母さんも、大好き!」

「……そうか」


 リュクスが一瞬目を閉じた。

 そして。


「リリア、こっちへおいで」


 リリアの手を引いて、リュクスは窓辺に歩み寄る。

 飛び散ったガラスの破片に気を付けながら、リリアを窓辺に立たせてシーツをめくる。


「リリア、下にいる衛兵さんたちが見えるか」

「うん、見える」


 窓枠に手を掛け、ちょっとだけつま先立ちになって、リリアが答えた。


「馬車の横に、緑色の髪をした、俺と同じくらいの年の男がいるだろう? ちょうど今、こっちを振り返った奴だ」

「うん、見えた」

「そいつがキースだ。ここから出た後、そうだな……今日じゃなくて、明日がいい。明日、衛兵の本署に行って、キースに会うんだ。そして、さっきの話をキースに伝えてくれ」

「分かった」

「このことは、お父さんにもお母さんにも内緒にしてほしい。キース以外の衛兵さんにも、誰にも言わないでほしいんだ」

「そうなの?」

「そうだ。約束できるか?」


 リュクスが見つめる。

 穏やかな顔で、真剣な瞳で、リュクスがリリアを見つめる。


 リリアは頷いた。


「約束する!」


 真剣な顔で、リリアは頷いた。


「だから」


 続けてリリアが言う。


「おじちゃんも約束守ってね」


 真剣な顔でリリアが言った。


「……約束する」


 リュクスも答える。

 答えて、リュクスは笑った。リリアも笑った。


「よし、じゃあすぐ一階に……」


 リュクスがリリアの手を握った、直後。


「やれ」


 冷たい声が聞こえた。


「ファイヤーボルト!」


 無情な声が聞こえた。


「止めろ!」


 悲痛な叫びが響き渡った。


 まだ三分は経っていなかった。

 まだリリアは二階にいて、窓から顔を覗かせているのが衛兵たちからも見えていたはずだった。


 それなのに。


 ボワッ!


 一階で火の手が上がる。打ち込まれた魔法が油に引火して、その炎はあっという間に燃え広がっていった。


「くっそー!」


 表情を一変させて、リュクスは下を睨んだ。

 だが、すぐに行動を起こす。


「下へ行くぞ!」


 リリアの腕を掴んでリュクスは駆け出した。


 玄関がだめでも、あの通路からなら……


 扉を蹴破って階段へ。そこを駆け下りようとして、リュクスは止まり、慌ててもとの部屋へと引き返す。

 一階は、すでに火の海だった。階段を激しい炎が噴き上がってくる。

 玄関はおろか、秘密の通路にさえ行けなかった。


「なぜ待たなかったんです!」

「何を言っている? 私の時計ではとっくに三分を過ぎていたぞ」


 炎の弾ける音の合間から、外の会話が聞こえてくる。


「ふざけないでください!」

「黙っていろ。次、二階に魔法を打ち込め!」


 血も涙もない、悪魔の声が聞こえてきた。


「させるか!」


 リリアの手を引いて、リュクスは再び窓辺へと走った。そしてシーツをむしり取ると、姿をさらして下へと叫ぶ。


「キース、こっちへ来い!」


 叫んでリュクスは、リリアの耳元で、小さくささやいた。


「リリア。約束、守ってくれよな」

「おじちゃん?」


 見上げるリリアに、リュクスが微笑む。

 突然、リュクスがリリアを抱き上げた。びっくりしたリリアは、体を丸め、しかし今度は泣くこともなくリュクスを見つめた。


「キース、しっかり受け止めろよ!」


 窓の下のキースに向かってリュクスが怒鳴る。

 次の瞬間。


「ごめんな」


 リュクスはリリアを、窓の外へと、放り投げた。


「なにっ!」


 全員が目を見張る中、リリアの体がふわりと宙に舞う。


「おじちゃん!」


 声を上げながら、リリアが落ちていく。リュクスに向けて両手を伸ばし、微笑むリュクスを見つめながら、リリアが落ちていく。


 バサッ!


 その体を、キースが受け止めた。

 リリアは、無事にキースへと受け渡された。


 それを確認すると、リュクスは一度、顔を引っ込める。そしてすぐにまた窓から顔を出して、声を張り上げた。


「その子は助けろ! かわりに俺は、こいつと一緒に消えてやる!」


 その手には、あの封筒。それを署長に突きつける。署長は、だがリュクスに答えることなく、キースに抱かれるリリアを見た。

 リリアは、何も持っていない。服の下に何かを隠しているようにも見えない。封筒の中身は、この廃屋から出ていない。

 署長がほくそ笑む。たるんだ口元が、気持ち悪く歪んだ。


「くそったれの署長! 地獄で待ってるぜ!」

「ふん、ほざけ」


 署長がリュクスを見上げて、勝ち誇ったように笑った。


 炎が壁を這い上がる。内側からも外側からも、容赦なくその領域を広げていく。


「おじちゃん!」


 キースの腕の中で、リリアは暴れた。


「放して!」

「だめだ!」


 暴れるリリアを押さえ込んで、キースは走る。


「いやー! おじちゃん!」


 泣き叫ぶリリアをその腕にしっかり抱えて、キースは廃屋から離れていった。

 火の勢いはとどまるところを知らない。もう二階に魔法を撃ち込む必要などなかった。


「キース! その子を頼んだぞ!」

「おじちゃん!」


 リリアが叫ぶ。


「リリア! ご両親によろしくな!」

「いやだー! おじちゃーん!」


 リリアが手を伸ばす。


「リリア。お前に会えて、ほんとによかったよ」


 小さな声で、リュクスが言った。

 業火が廃屋を包む。それでも、リュクスの姿はまだ窓辺にあった。


「うそつき! おじちゃんのうそつきー!」


 その声は、リュクスに聞こえていただろうか。


「おじちゃんのばかー! おじちゃんの……」


 その涙は、リュクスから見えていたのだろうか。


 真っ赤に揺らめく炎の中で、リュクスが静かに立っている。

 もはや判然としないその姿が、ふと動いた。左手で、右の腕から何かを剥ぎ取る。それを大事そうに抱き締めながら、その姿は、ゆっくり、ゆっくりと、崩れ落ちていった。


「うそつきー! おじちゃんのうそつきー!」


 キースの腕の中で、リリアは叫ぶ。


「うわーん、おじちゃーん、うわーん……」


 キースの腕の中で、リリアは泣き続ける。

 リリアの泣き声と、燃え上がる炎の音の中で、誰かが小さくつぶやいた。


「俺は、命令に従っただけなんだ……」


 そのつぶやきを、リリアを強く抱き締めながら、キースは虚しく聞いていた。





 木立の間から柔らかな日差しが降り注いでいる。

 穏やかな風が、緑色の絨毯をさわさわと揺らしていた。


「お前みたいな大バカ野郎はそういないと、俺は思ってたんだけどな」


 片膝をついた男が、刻まれた文字を指でなぞる。


「部下にいたんだよ、大バカ野郎が。しかも、一人や二人じゃねぇんだ」


 呆れたような声。


「お前らみたいな奴がいるから、いろいろと予定が狂うんだ。あの時だって、俺はロダン公爵のところに行くつもりなんてなかったんだぜ。それが、勢いであれを持ち込んじまったばっかりに、まさかの辞令が降ってきやがったんだからな。ほんと、迷惑な話だぜ」


 はあ


 ため息。

 そして、苦笑い。


「あの子な、大きくなってたぜ。しかも、すげぇ美少女になってやがった。俺のことは、覚えてなかったみたいだけどな」


 よく磨かれた石が、光を跳ね返す。

 ちょっと眩しそうに、男が目を細めた。


「でも、あの目だけは変わってなかったよ。お前からの伝言を伝えに来た時と同じ、あの目……」


 女の子の声が甦る。


 秘密の通路にある、リュックを探して


 その声が、心をえぐったその言葉が、昨日のことのように甦ってきた。


 友達なのに、どうして助けてくれなかったの?

 

「あの時と同じ目で、俺はまた睨まれちまった」


 はあ


 再びため息。

 そしてまた、苦笑い。


「あの目に、俺は今度もやられたよ。完全にやられた。ま、ダメ押ししたのはあの社長だったけどな」


 フッ……


 自嘲の笑みは、しかしすぐに微笑みへと変わっていった。


「あのくそったれと、そっちではうまくやってるか?」

 

 男が、ガラスの小瓶をポケットから取り出す。

 その栓をキュポンと抜いて、琥珀色の中身を一口飲んだ。


「俺もいずれはそっちに行くだろう。くそったれがもう一人増えちまうけど、まあよろしく頼むぜ」


 手にした小瓶を、男はカタンと石の上に置いた。

 その時。


「たぶん、この辺りだと思うんだけど……」


 木立の向こうから声が聞こえた。その声を聞いて、男は慌てる。


「ちっ、タイミングが悪い」


 乱暴に小瓶を拾い上げ、素早く周りを見回して、男は声と反対側の木の陰に隠れた。そのまま息を殺し、気配を殺してじっと耳を澄ます。


「あ、あった!」


 声が立ち止まった。


「長い、名前」


 もう一つ、声がする。


「でしょ。だから私、ベテランの衛兵さんに聞くまで、じつは名前を覚えてなかったんだ」

「そうなの?」

「そうなの。あの時教えてもらってたはずなんだけどね」


 軽やかな会話。

 それが途切れた。


 静寂が流れる。

 想いが溢れる。


「でも、もう忘れないよ」


 ピピピ……


 小鳥たちの鳴き声で、時間が動き始めた。


「お花、ここでいい?」

「あ、もうちょっと上に置いて。これをお供えしたいから」

「これくらい?」

「うん、大丈夫」


 微かな風が、香りを運んできた。

 花の香りではない。それは、とても優しくて、とても甘い香り。


「どうして、アップルパイなの?」


 小鳥のような声が聞く。

 小さな声が答えた。


「約束、だったから」


 よく、分からない……


 そんな顔で、小鳥が首を傾げている。

 しばらくすると。


「私ね、ちゃんと約束守ったんだよ。お父さんにもお母さんにも言わないで、次の日、ちゃんと伝言を伝えに行ったんだから」


 声は続いた。


「それとね、あの時のこと、全部聞いたよ。私の知らなかったこと、全部」


 誰かに向かって、その声は話し掛けていた。


 怒っているような、泣いているような。

 懐かしむような、悲しむような。


「あの後私ね、お母さんから治癒魔法を教わったの。だけど、そのお母さんと、お父さんも死んじゃって、その後もいろいろあってね、ちょっと大変だった」


 静かな言葉に答える者はいない。

 誰も何も、答えてくれない。


 けれど。


 かわりに寄り添う者がいた。

 手を握ってくれる温もりがあった。


「でもね、今は私、とっても幸せなの。私、すごく幸せだよ」


 声が微笑む。

 微笑みながら、声が言った。


「私、おじちゃんに会えてよかった!」

 

 小鳥がピピピと微笑んだ。

 日差しがキラキラと微笑んだ。

 よく磨かれた石が、笑っていた。


「帰ろっか!」

「もう、いいの?」

「うん。帰ったら、差し入れ作るの手伝って」

「差し入れ?」

「今度はね、署長さんに渡したいの。それでね、ありがとうございましたって、言いたいんだ」

「分かった」

「ちょっと食材奮発しちゃおうかな。とびっきりの差し入れを作らないと!」

「あ、待って!」


 パタパタパタ……


 小鳥たちが舞い立つ。

 声も、聞こえなくなった。


 余韻が残る、静かな空間。

 そこに。


「お前が甘い物好きだったとは知らなかったぜ」


 男が笑う。


「こいつに酒は合わねぇよな? だから、もう少しもらってくぜ」


 そう言って、男は小瓶をあおった。少しと言ったくせに、喉を鳴らしながら、男はそれを美味そうに飲み続ける。

 

「ふぅ」


 小瓶の中身は半分もない。それを、今度こそ男は石の上にカタンと置いた。

 刻まれた文字をなぞり、ポンと石を叩いて、男は立ち上がる。


「また来るよ」


 そう言って、男は歩き出した。


「いい天気じゃねぇか」


 歩きながら、男は空を見上げていた。


「まったく今日は、最高にいい天気だ」


 柔らかな日差しが降り注いでいる。

 穏やかな風が、緑色の髪をさわさわと揺らしていた。


 


 おじちゃん 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る