夜を耐える

 微かに風は吹いているが、寒くはなかった。ところどころに低木が生えているくらいで、見通しもいい。

 拠点作りを終え、一日ゆっくり体を休めた一行は、翌日、訓練の場となる高原に立っていた。


「魔物は、人間と違って心臓がある訳ではないし、血も流れていない。だから、急所も違うし倒し方も変わってくる」


 ミナセが、リリアたちを前に説明を始めた。


「ある程度ダメージを負ってその体が維持できなくなると、魔石を残して消えていくが、タフさは魔物によって大きく変わる」


 旅の途中でも聞いていた内容だったが、三人の目は真剣だ。


「首を落としたり頭を潰せば、例外を除いて大抵は倒せるが、手足を切り落としたくらいでは倒せない奴も多い。逆に、大したダメージじゃなくても、傷を負っただけで逃げ出す奴らもいる。魔物ごとの特徴を把握しておくことが重要だ」

「はい!」


 ミアが力強く答えた。

 そこに、偵察を終えたヒューリとフェリシアが戻ってきた。


「情報通りだ。初級の魔物がほとんどで、マーダータイガーみたいな手強い奴は、奥にあるダンジョンの近くにしかいない」

「高原の手前はゴブリンが多いわね。森の近くはウルフ。ほかにもそれなりにいるけれど、大規模な群はいないから、訓練にはちょうどいいと思うわ」


 話を聞いて、ミナセが頷いた。

 すると。


「助かったよ。二人ともありがとう」


 それまで黙っていたマークが、二人に礼を言った。そして、リリアとシンシアとミアを見る。


「三人には、いよいよ実戦に入ってもらう。ミナセたちがサポートをしてくれるが、最初から頼ろうとはするな。自力で魔物を倒すことを目指してほしい」

「はい!」


 即答したのはミアだけだ。


「……はい」


 続けてリリア。


「……」


 シンシアはうつむいている。

 ヒューリが心配そうにそれを見つめるが、マークは、その視線もうつむくシンシアも無視して言った。


「じゃあ、行こうか」


 先頭に立ってマークが歩き出す。六人がそれに続く。

 ずっとシンシアを気遣ってきたリリアも、今は余裕などない。それぞれの思いを抱えたまま、みんなは魔物のいる場所へと進んでいった。



 ゴブリンまでの距離は、およそ五十メートル。見通しはいいので、すでに向こうからもこちらを認識しているはずだ。

 数は八体。実力で言えば、三人の誰であっても一人で倒せるはず。

 ミナセはそう見ていた。


「ここからはミナセに任せる」

「分かりました」


 マークに答えて、ミナセが三人の前に立った。


「周囲はフェリシアが警戒してくれているし、危なくなったら私とヒューリが助けに入る。三人は、ゴブリンだけに集中して戦うんだ」


 ミアとリリアが頷く。


「今さら何も言うことはない。思いっ切り行ってこい!」

「はい!」

「はい」


 ミアと、躊躇いを残すリリアが返事をした。

 そして二人は走り出す。剣を抜き、メイスを握り締めて、二人は走った。


「ヒューリ、行くぞ」

「……了解」


 ミナセが二人を追う。ヒューリはシンシアを見つめ、その頭をポンと叩いてから、やはり走り出した。

 握った拳を震わせて、シンシアは立つ。その背中を、マークが黙って見つめていた。



 ゴブリンたちが、二人を威嚇するように牙を剥く。


「たあぁぁっ!」


 そこに、ミアが飛び込んでいった。

 メイスが一体のゴブリンに向かって振り下ろされる。ゴブリンが、それを棍棒で迎え撃った。だがミアのメイスは、ゴブリンの少し手前の地面をえぐる。


「いきなり外した!?」


 ヒューリが声を上げた直後。


「やあぁぁっ!」


 思い切り踏み込んだミアが、メイスをそこから振り上げた。

 ゴブリンの顎を、メイスが直撃する。仰向けにぶっ倒れていくその体に、今度こそメイスが振り下ろされた。

 断末魔の声さえ上げることもなく、ゴブリンが魔石へとその姿を変えていく。


「へぇ。考えてるな、あいつ」


 ヒューリがにやりと笑った。

 武術の腕ではリリアやシンシアに及ばないが、実戦での経験と覚悟においては、二人の数歩先にミアはいた。恐れることなく、だが力任せでもなく、考えながら戦っている。

 ヒューリと共にミアの戦いぶりを見ていたミナセは、その斜め後ろで戦うリリアに視線を移して、眉間にしわを寄せた。


 リリアも、一体のゴブリンを相手に戦っていた。ゴブリンが振り回す棍棒を、剣で受け止めることもなくきれいにかわし続けている。それだけを見れば、初めての実戦とは思えないほど見事なものだった。

 だがリリアの剣は、いつまでたってもゴブリンに斬り掛かることなく、刃先を地面に向けたままだ。

 迷っているのは明らか。リリアが恐れているのは、誰の目から見ても明らかだった。


「次!」


 リリアのすぐそばで、ミアの声が響く。気合いとともに、次々とゴブリンを倒していく。


「リリア、倒せ!」


 ミナセが怒鳴った。リリアがピクリと震える。

 リリアが歯を食いしばった。剣を持つ手に力を込めて、目の前のゴブリンを睨む。

 そのゴブリンが、真上から棍棒を振り下ろした。頭上に落ちてくるそれを、リリアがかわして懐に飛び込む。そのまま剣を振り切ればゴブリンを倒せるはずだ。

 確実に仕留められるタイミングだった。

 それなのに。


「できない!」


 リリアが叫んだ。叫んでリリアは、大きく跳んでゴブリンから距離を取る。

 かわりにメイスが、そのゴブリンを叩き潰した。

 ゴブリンが崩れ落ちていく。

 リリアが、剣を握り締めて立ち尽くす。

 それをちらりと見て、ミアは次の獲物に向かっていった。


 特訓初日。ミアの倒した魔物は百体近くに達した。ミナセとヒューリに褒められて、嬉しそうにミアが笑う。

 その横で、涙目のリリアがうつむいていた。リリアの倒した魔物は、ゼロ。その日リリアは、一体も魔物を倒すことができなかった。


 夜。


「明日も今日と同じ場所で戦う。今日一日でゴブリンの動きはだいぶ分かってきたと思うが、調子に乗って油断しないように」

「はい!」


 ミアが答える。


「より無駄なく、より効率よく倒すにはどうするか、考えながら戦うんだ」

「はい!」


 力強い返事がする。


「じゃあ、明日に備えて今日は早めに寝ようか」


 マークの声で、みんなが動き出した。焚き火を消して小屋へと入っていく。

 火が消えても、辺りはそれほど暗くはなかった。季節がいいのか、山岳地帯が近いというのに、ここ数日は昼も夜もずっとよく晴れている。

 今も、月が明るく地面を照らしていた。その明かりを受けて、微動だにしない影が二つ。

 消えてしまった焚き火のそばに、リリアとシンシアが膝を抱えて座っていた。


「頑張らなくちゃって、思ってるんだよ」

「……」

「倒さなくちゃって、私、思ってるんだよ」


 リリアが小さな声で話す。

 シンシアが、埋み火を見つめる。


「あの時はできたのに。悪い人を、ちゃんと倒せたのに」


 リリアが、膝に顔を埋めた。


「やっぱり怖いよ」


 震える声。その横で震えるブルーの瞳。

 同じ苦しみを抱える二人が、夜をじっと耐える。二人は、ただただじっと、その場に座り続けていた。

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