覚醒

 二日目。


「やあぁぁっ!」


 メイスがゴブリンの頭を打ち砕く。


「はあぁぁっ!」


 棍棒をかいくぐって、ミアがゴブリンを打ち倒す。


「意外とやるな、あいつ」

「そうだな」


 戦うミアを見ながら、ミナセとヒューリが言った。


「問題は……」


 二人がリリアを見る。その顔が、曇る。

 リリアもゴブリンと戦っていた。だがやはり、その剣先は今日も地面に向いていた。

 努力しているのは分かる。リリアは何度もその腕を動かそうとしていた。何度も剣を振ろうとしていた。

 しかし、その剣がゴブリンを倒すことは、今日もなかった。


 そのリリアのはるか後方に、シンシアが立っている。リリアを見ることもなく、剣を握ることもなく地面を睨んでいる。

 その背中を、マークが黙って見つめていた。


 夜。


「明日は、午後からウルフがいる場所に行く。野生のオオカミと違って、魔物のウルフは動きが単純だ。真っ直ぐ突っ込んでくることしかしないし、群で狩りをするような習性もない。少ないダメージで倒せる上に、仲間が何匹かやられるとすぐ逃げ出していくから、場合によってはゴブリンよりも楽だろう」

「はい!」


 ミナセの説明に、ミアが返事をする。


「ただし、奴らは動きが速い。そして一斉に襲ってくる。囲まれないように、常に自分の位置を確認するんだ。ウルフが逃げ出したら、それを追わないこと。向かってくる奴だけを相手にしろ」

「はい!」


 ミアが頷く。


「よし、明日も頑張ろう」

「おおぉ!」


 打ち合わせは終わった。


「じゃあ寝ようか」


 マークの声で、みんなが動き出す。焚き火を消して小屋へと入っていく。

 今夜も月が明るい。その明かりを受けて、ぴくりとも動かない影が二つ。


「……」

「……」


 何も言わずに、二人は膝を抱えて座っている。

 森の中から奇妙な声が聞こえてきた。夜行性の鳥の声だとフェリシアが言っていたが、分かっていても、闇に響くその声は不気味だ。

 それでも二人は動かない。


「私、無理かも」


 リリアが小さな声で話す。

 シンシアが、埋み火を見つめる。


「みんな何にも言ってくれないし、何にも聞いてくれない」


 リリアが、膝に顔を埋めた。


「いやだよ。怖いよ」


 震える声。その横で震えるブルーの瞳。

 二人は夜を耐える。二人はただただ、静かに泣いていた。



 三日目。


「ミア、突っ込み過ぎだ! 調子に乗るな!」

「はい!」


 慣れてきたミアが、ヒューリに怒鳴られて位置を下げる。

 午前中の相手は今日もゴブリンだ。ウルフに挑むのは午後からになる。


「たあぁぁっ!」

「グホッ!」


 背骨を砕かれてゴブリンが倒れていく。

 続けて。


「やあぁぁっ!」


 メイスが隣のゴブリンの頭を打ち砕いた。


「あいつには悪いけど、ちょっと予想外だったよ」

「まあ、そうだな」


 ヒューリの言葉にミナセも頷いた。

 旅に出る前のミアは、力任せに木刀を振り、むやみに打ち掛かっていくことが多かった。

 それが今は、いろいろ考えながら戦っているのが分かる。

 一振り一振りは相変わらず全力で、メリハリがあるとは言い難かったが、それでも、無駄な攻撃が少ないせいで体力がすぐ尽きてしまうこともない。


「ミアは大丈夫だな」

「そうだな。問題は……」


 二人は同時にリリアを見る。

 ミアについては予想外だったが、リリアについても予想外だったと、二人は思っていた。

 リリアは優しい。だが、同時にリリアは強い。その状況になれば現実を受け入れる。きっとリリアは変われる。

 そう思っていた。だからリリアのことは、じつは二人とも楽観視していたところがある。

 実際リリアは、すでにインサニアのメンバーと思われる男を倒している。すでにリリアは”経験”をしているのだ。

 にも関わらず、リリアはいまだに一体もゴブリンを倒せていない。日に日に戦意を失い、日に日に臆病になっていくのが分かる。

 今も、二体のゴブリンを相手に攻撃をかわし続けているが、その剣は振られる気配すらなかった。


「シンシアは、まあ予想してたんだけどな」


 ヒューリが後ろを振り返った。シンシアは、今日も地面を睨んだままだ。


「どうしたらいいんだろうな」


 ヒューリのつぶやきに、ミナセは答えない。

 ミナセにも、どうしていいのか分からなかった。


「五つ目!」


 ミアが叫ぶ。


「もう一つ!」


 メイスが唸る。十体いた集団は、四体にまで減っていた。

 残るは、リリアが最初から戦っている二体と、ミアの正面にいる二体のみ。ミアと対峙しているゴブリンは、明らかに怯んでいた。一体が倒されれば、もう片方は逃げていくだろう。

 ミアがゴブリンを睨む。ゴブリンが、後ずさりながら距離を取る。

 それまで休むことなく攻め立てていたミアが、動かなくなった。互いに睨み合ったまま膠着状態となる。

 その時。


「リリア!」


 突然大きな声を上げて、ミアが振り返った。ゴブリンに背を向け、今度はリリアを睨む。

 その目はつり上がっていた。その目は、間違いなく怒っていた。


「いい加減にしなさい!」


 鬼気迫る表情でミアが怒鳴った。その声とその顔に、リリアは驚く。動きを止めてミアを凝視し、慌てて棍棒を避ける。

 驚いたのは、リリアだけではない。ミナセとヒューリも目を丸くしていた。

 三人は、初めてミアの怒る姿を見た。


「あなたはいつまで守ってもらうつもりなの!?」


 ミアの声は続く。


「あなたはいつまで、社長に心配させるつもりなの!?」


 リリアの体が、ビクッと震えた。


「とっとと戦いなさい!」


 背中を見せたミアに、ゴブリンが襲い掛かってきた。素早く振り向いて、ミアが横殴りにメイスを振るう。先頭のゴブリンを叩き潰して、ミアはまた怒鳴った。


「強くなって、社長を安心させてあげなさい!」


 リリアを叱りながら、ミアが八体目のゴブリンを殴り倒す。

 ゴブリンを殴ったそのメイスを、ミアがリリアに突きつけた。

 その声で、その目で、その全身で、ミアがリリアを叱り飛ばした。


「とっとと強くなって、あなたが社長を守れるくらいになりなさい!」


 その直後。


 スパッ!


 二体のゴブリンが、一瞬で真っ二つになる。

 それは、まさに一瞬。斬られた後もゴブリンの体が繋がっているように見えたほど、その剣はあまりに速く、あまりに鋭かった。

 ミナセとヒューリが驚愕の表情を浮かべる。その二人の見つめる先に、少女は立っていた。


「ミアさん」


 少女が静かに言った。


「すみませんでした」


 茶色の瞳が光を放つ。


「私は、守る人になります」


 栗色の髪が緩やかに波打つ。


「私が社長を、守ります」


 強靱な意思、ぶれることのない真っ直ぐな意思が、そこにあった。


 そこにいるのは、少女ではない。

 そこにいるのは、美しい守護者。


 ヒューリが掠れた声で言う。


「新兵が殻を破った時にさ、あいつもやっと一人前になったなんて、よく言ったもんだけど」


 リリアを見ながら、ヒューリが言った。


「リリアの場合は、いったい何て言ったらいいんだ?」


 それに、ミナセが答える。


「覚醒した……そんな感じかもな」


 肩で息をしているミアの前に、リリアは立つ。

 先ほどまでとはまるで別人の、女神の如きオーラを放つ美しい少女が、そこに立っていた。

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