四万リューズ

 リリアは、丈夫な布でできた袋を抱き締めながら、幸せそうに微笑んでいた。

 袋の中には、鉄貨や銅貨がぎっしり詰まっている。銀貨や、ましてや金貨など一枚も入っていない。

 金額は、ちょうど四万リューズ。


「やっと、やっと貯まった」


 毎日毎日、少しずつ少しずつ、四年以上掛けて貯めたお金。

 あのお店で、あのペンダントを見付けてからずっと頑張って貯めていたお金。


「大変だった。でも!」


 ようやく四万リューズを貯めることができた。


「後は、買い出しの時伯父さんと伯母さんに見付からないように外に持って出られれば」


 リリアは、気を引き締めて重たい袋を持ち上げた。

 買い出しに行く時間はいつも決まっている。その時間、伯父さんは厨房で仕込み中、伯母さんは店の前や窓を掃除していることが多い。


 リリアの部屋は二階だ。階段を下りて、厨房の入り口にある買い物かごを手に取り、その中に袋を入れて、裏口から出るまで二人に見付からなければ大丈夫。

 リリアは、心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらい緊張しながら、そっと階段を下りていった。


 厨房から、伯父さんが仕込みをしている音がする。厨房の入り口には、いつも通り買い物かごが置いてあった。

 伯母さんの姿は見えない。店の前か、窓を掃除しているのだろう。

 リリアは、なるべく自然に伯父さんに声を掛けた。


「買い出しに行ってきます」


 すると、厨房の奥からぼそっとした答えが返ってくる。


「早く行ってこい」


 ここまではいつも通り。

 リリアは買い物かごを持ち、その中にお金の入った袋を入れて裏口へと向かった。

 裏口は、店の正面とは反対側にある。この時間なら伯母さんと鉢合わせする可能性は低い。


 大丈夫!


 心の中で呪文のように唱えながら、リリアは裏口のドアノブに手を掛けた。

 その時、ノブがひとりでに動く。

 リリアは、とっさに手を引っ込めてドアから離れようとしたが、少し遅かった。向こう側から勢いよく開けられたドアが、リリアを弾き飛ばした。


「きゃっ!」


 小さな悲鳴を上げて、リリアが後ろに倒れ込む。

 入ってきたのは女将だ。


「リリア? 何やってんだい、邪魔だよ!」


 まったく悪びれることなく、冷たい目でリリアを見下ろす。


「ごめんなさい!」


 リリアが、慌てて体を起こしながら女将に謝った。

 直後。


「リリア、それは何だい?」


 見慣れない物を見咎めて、女将が鋭く問いただした。

 リリアの横に、買い物かごが転がっている。その向こう側に、買い物かごから飛び出したあの袋があった。


「あ、これは!」


 リリアが袋をたぐり寄せようとするが、重たい袋は簡単には動かせない。


「それは何だって聞いてるんだよ!」


 女将がじれて近付いてくる。


「これは何でもないんです!」


 そう言いながら、リリアは袋を抱え込んで床にうずくまってしまった。


「何してんだい! さっさとそれを見せな!」


 女将がリリアの襟首を掴んで引き離そうとするが、リリアは動かない。


「ふざけるんじゃないよっ!」


 リリアの必死な姿に逆上した女将は、容赦なく、リリアを横から蹴り上げた。


「うっ!」


 腹を蹴られて、リリアが呻き声を上げる。

 それでも袋は放さない。


「このっ!」


 女将は完全に頭に血が上っていた。

 リリアの腹を、肩を、蹴り上げ踏みつける。

 亀のように丸まったリリアに、持っていた箒を何度も何度も叩き付ける。

 箒の柄が折れてしまうと、今度はリリアの髪を掴んで無理矢理頭を持ち上げ、顔を拳で殴り付けた。

 衝撃で、リリアの意識が一瞬飛ぶ。

 その一瞬、力の抜けたリリアを、女将が馬鹿力で袋から引き剥がした。


「あっ!」


 リリアの手が虚空をさまよう。

 体がうまく動かない。

 その目の前には、袋を持ち上げて、仁王立ちをしている女将がいた。


「まったく! 何だってんだい!」


 まだ興奮している女将が、ずっしりとした袋を床に置き、何の躊躇いもなく口を開けた。


「これは?」


 女将が、中身を見て驚いている。怒りも一気に冷めてしまったようだ。

 だが、女将はすぐ我に返った。


「リリア! こんな大金どうしたんだい!」


 まなじりを上げてリリアに詰め寄る。


「あんた、まさか店のお金を!」


 ようやく意識がはっきりしてきたリリアは、大きく首を横に振った。


「違います! それは、私がちょっとずつ貯めたお金です! お客さんにもらったチップとか、いろんなお金を貯めた、私のお金です!」


 腫れ上がった顔でリリアが叫ぶ。充血した目を大きく見開いて訴える。

 その形相は、人を怯ませるのに十分な迫力を持っていた。

 しかし。


「ほぉ、自分で貯めたのかい」


 女将は、まったく動じなかった。


「まあたしかに、あんたにゃ店のお金を盗む度胸なんてないだろうからね」

「そうです。悪いことをして貯めたお金じゃありません。だから」


 返して


 そう言い掛けたリリアを踏みにじるように、女将が告げた。


「だからこれは、借金の返済に充てさせてもらうよ」


 にたっと笑いながら、女将が袋を持って立ち上がった。


「そんなっ!」


 リリアが女将の足にしがみつく。


「お願いです! それは私のお金です! 返してっ!」


 痛みも忘れ、渾身の力でしがみつく。


 お願い!

 これだけは! このお金だけは!


「放しな!」


 女将が容赦なく拳を振り下ろした。


 頭を、顔を殴られながら、ふとリリアの脳裏に幼い日の記憶が甦る。

 焼きたてのパンの香り。楽しそうな笑い声。


「しつこいんだよ!」


 腹を、胸を蹴られながら、リリアは昔の光景を呼び覚ます。

 暖かい腕の中から見上げた優しい笑顔。

 その胸に光る、小さな輝き。


「お願い」


 薄れゆく意識の中で、リリアは懐かしい顔を思い出していた。


「お母さん……」

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