愛しています
語り終えたマークが、寂しげに湖面を見つめる。
信じられないような話を聞いて、社員たちは呆然としていた。
「俺は、人であって人ではない。そして、決して償うことのできない大きな罪を背負っている」
小さな声で、マークが言う。
そして、ゆっくりとフェリシアに向いた。
「お前は、自分が穢れていると言っていたが、それは違うと、俺は思う」
フェリシアもマークを見た。
「お前は、幼い頃から過酷な環境にいた。そんなお前が主の命令に従ってきたのは、自分が生きるためだ。生きていくために、お前は命令に従わざるを得なかったんだ」
静かな声が続く。
「だけど、フェリシア」
マークが、強くフェリシアを見た。
「お前は、命令さえなければ、決してそんなことはしなかったはずだ」
フェリシアの目が大きく開く。
「お前の過去の行いに、罪がないとは言わない。お前の過去が清らかなものだとも言わない。それでも、フェリシア。お前は穢れてなんかいない。決して穢れてなんかいないんだよ」
アメジストの瞳から涙が溢れた。
フェリシアが、両手で顔を覆う。
「フェリシアは、前を向くべきだ。幸せに向かって歩くべきなんだ。それを、俺は心から望んでいる」
肩を震わせてフェリシアは泣いた。
リリアが泣く。シンシアが泣く。ミアがボロボロと涙を流す。
やがて、フェリシアが両手を下ろした。
少し恥ずかしそうに顔を上げ、上目遣いでマークを見る。
「ありがとうございます」
小さな声で礼を言い、今度ははっきりとマークを見つめた。
「もし私が許されるのなら、社長も許されてもいいと、私は思います。社長は、その世界に平和をもたらしました。社長がいなければ、今なお人々は苦しんでいたかもしれない。だから……」
「俺は違うんだ」
フェリシアの話を、マークが遮る。
「俺は、大切な人をだまし続けた。多くの人の命を奪ってきた。それは、誰に命令された訳でもない。すべて、俺自身の意思で行ったものなんだ」
マークが、フェリシアから視線をそらす。
「フェリシアと俺は、本質的に違う。罪の重さが違う。犯した罪の質が違うんだよ」
自分を見つめる社員たちに、マークが背を向けた。
「俺は、無数の命を奪い、無数の不幸を生み出した。愛した人にさえ、苦しみを与えることしかできなかった」
苦しそうにマークが語る。
「フェリシアは、決して穢れてなんかいない。だが、俺は心の底から穢れている。俺は、永遠に苦しまなければならない。俺は、永遠に罪を背負って生きていかなければならないんだ」
決して老いることのない体。
しかし、それは不死ではないはずだった。自分の命を自分で絶つことはできるはずだ。
それをせず、ただひたすらに罪を背負って生きていく。
そんな生き方が、幸せなはずがない。
そんな生き方が、苦しくないはずがない。
フェリシアが何かを言い掛けた。
リリアが何かを言い掛けた。
しかし二人も、ほかの社員たちも、何も言うことができなかった。
重苦しい時間が過ぎていく。
時折そよぐ微かな風が、湖畔の葦をさわさわと揺らす。
迷路に迷い込んだみんなの想いが、出口を求めて彷徨っていた。
その時、ふと誰かが動いた。
静かな湖畔にはっきりと足音を立てて、その人物は、マークの前に立った。
「社長は、私たちを救ってくれました」
驚いて顔を上げるマークを、黒い瞳が迷いなく見つめる。
「私たちだけじゃありません。社長は、この国も救ってくれました。エルドアを救い、周辺の国々に平和をもたらし、たくさんの人に平穏な日常を与えてくれました」
フェリシアと同じことをミナセが繰り返す。
マークも、同じことを繰り返した。
「そうだとしても、俺の罪が消えることはない。それに、俺は何もしていないよ。それを成し遂げたのは、俺じゃない。みんながそれを成し遂げたんだ」
「いいえ、社長のおかげです!」
弱々しい声を、強い声が否定した。
強い感情を込めて、ミナセが言う。
「社長がいなければ、私たちは救われず、この国も周囲の国々も救われることはありませんでした。すべての始まりは社長なんです。幸せと平和の始まりは、社長、あなたなんです」
マークが目を見開く。
口を開き掛けてそれを閉じ、ミナセを見つめて、目を伏せる。
そして、うつむいたまま言った。
「そうだとしても、俺が犯した罪が消えることはない。どんなに善行を重ねたところで、絶対に消えることはない。数学みたいに、足したり引いたりできるものじゃないんだ」
百年を超えて背負い続けた罪の意識。それが消えることは、やはりなかった。
どんなに言葉を重ねても、どんなに功績を讃えても、それが消えることはなかった。
目を伏せたままのマークを、ミナセが見つめ続ける。
そのミナセが、突然マークの頬を両手で挟んだ。
強引にマークの顔を自分に向けて、至近距離でそれを睨み付ける。
マークは、声を出すこともできずにミナセを見つめた。
社員たちも、目を丸くして二人を見つめた。
「これだけ言っても、社長が自分を責め続けるとおっしゃるのなら、仕方ありません」
ミナセが言った。
「それなら、私も一緒にその罪を背負わせていただきます」
マークの目が大きく広がった。
「苦しくて眠れない夜は、夜が明けるまで私がそばにいて差し上げます。裏切った女性の顔が消えないのなら、私がその記憶を塗り潰して差し上げます」
黒い瞳が言い放つ。
「あなたが前を向けるようになるまで、私があなたの前を歩きます。これまであなたがそうしてくれたように、これからは、私があなたを導きます」
強烈な宣言。
強烈な、愛の言葉。
マークの顔が歪んでいく。
その瞳に涙が溢れていく。
「だが、俺は同じ場所に長くはいられない……」
「二人でいられるのなら、住む場所なんてどこでも構いません」
ミナセが穏やかに答える。
「俺と一緒にいても、きっとお前は幸せにはなれない……」
「あなたと一緒にいれば、私は幸せです」
ミナセが、マークの頬からそっと両手を離す。
「俺は、十年経っても、百年経っても年を取らない。たとえお前が一緒にいてくれたとしても……」
消えることのないマークの不安。
その不安に、ミナセが答える。
「私の命が尽きそうになって、あなたの罪を一緒に背負えなくなったその時は」
そこまで言って、ミナセは黙った。
震える黒い瞳がミナセを見つめる。
続きの言葉を、怯えるように待つ。
震える瞳に、ミナセが言った。
「私が死ぬ前に、あなたの命を絶って差し上げます」
黒い瞳が限界まで広がる。
「あの世でも、二人で一緒に罪を背負っていきましょう」
ミナセが、穏やかに笑った。
あぁ……
固く閉ざしていたマークの扉。何重にも鍵を掛け、決して開かないように封印を施した大きな扉。
その封印が解かれていく。いくつもあった鍵が弾け飛んでいく。
それに誘われるように、葦の茂みが輝き始めた。
たくさんの小さな命が、殻を破ってその羽を広げ始める。
幻想的な光の中で、ミナセが言った。
「あなたを、愛しています」
ミナセの言葉が、マークの扉を開いていった。
マークの体が崩れ落ちる。
涙にむせぶマークを、ミナセが優しく抱き締める。
湖面を撫でるように風が吹いた。
葦の茂みが揺らめいた。
星屑アゲハの群が一斉に飛び立つ。
溢れる光の中で、顔を上げて、マークが言った。
「俺も、お前を愛している」
マークが笑った。
ミナセも笑った。
フェリシアがうつむいた。
リリアの目に涙が溢れた。
いくつもの想いが光に溶けていく。
新たな物語が始まり、そして、いくつかの物語が終わった。
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