おまじない

「はあああぁっ!」


 シンシアの剣がゴブリンを貫く。左の剣で棍棒を受け止めながら、即座に剣を引き抜いて、真横にいたゴブリンを斬る。

 振り切った剣が、そのまま回転を続けて二体のゴブリンをまとめて両断した。


 肉を斬る感触。

 すぐ近くで聞こえる断末魔の声。


「いや……」


 シンシアは泣く。


「もういやだ!」


 シンシアは叫ぶ。めちゃくちゃに剣を振る。

 怯んだゴブリンの間をすり抜けて、シンシアは逃げ出した。それをゴブリンが追う。


「いやああぁっ!」


 迫るゴブリンを、振り向きざまにシンシアが斬った。

 そして。


「うぅっ!」


 シンシアの膝が崩れ落ちる。ゴブリンの棍棒が襲い掛かる。

 その時。


「おらぁっ!」


 猛烈なスピードで、赤い光が飛び込んできた。雄叫びを上げた双剣が、ゴブリンたちを瞬殺する。

 ミナセが微笑んだ。それは、とても小さな微笑み。だがそれは、じつに何日振りかの微笑みだった。


 その日シンシアは、六回ゴブリンに立ち向かった。

 その日シンシアは、戦いの最中ずっと涙を流し続け、そして一度だけ、ゴブリンの群を、全滅させた。



「走りなさい!」


 シンシアに向かって叫ぶ母。

 鉈を握り締め、盗賊に向かっていく父。

 盗賊たちに取り囲まれ、なぶり殺しにされる、両親の最期。


 これは夢だ


 シンシアには分かっている。


 これは、夢なんだ


 シンシアには分かっていた。だから、その目でその光景を見つめ続けた。


 ふと。


 隣に人がいた。


 その人は、何も言わずに黙ってそこに立っている。

 その人は、自分よりも背が高い。

 その人は、自分よりも年上だ。

 髪は黒くて、瞳の色も、やっぱり黒。


 シンシアの体は動かない。隣を見ることができない。

 だけど。


 その人は優しかった。

 その人は、時々怖かった。

 でもその人は、信じられないくらい、暖かかった。


 シンシアが前を見る。

 盗賊たちは、消えていた。

 父と母は、まだそこにいた。シンシアも、そこにいた。


 しばらく見ることのなかった光景。

 父が笑っている。

 母も笑っている。

 一緒にいるシンシアも、笑っていた。


 ポン


 ふいに、隣の人がシンシアの頭に手を載せた。

 その手がシンシアの頭を撫でる。


 何だか恥ずかしかった。

 何だか気持ちがよかった。

 何だかすごく、嬉しかった。


 シンシアは、ちょっと首をすくめ、だけど、とても幸せそうに、笑った。 



 シンシアが、ゆっくりと目を開く。

 パチパチと薪が弾ける音が聞こえる。今夜も小屋の外で寝ていたことを思い出す。

 そして、シンシアは気が付いた。

 自分を包む毛布と、自分を包みこむ、大きな温もり。

 シンシアは、また目を閉じた。シンシアは、穏やかな顔で眠りに落ちていった。

 


 何度も通った草の道。少し上って、少しだけ下ると、最後に急な上り坂が待っている。それを上り切れば、そこがいつもの高原だ。

 その高原に、シンシアは立っていた。

 隣にはマークがいる。

 それを、後ろから五人が見つめていた。


 前を見ていたシンシアが、隣のマークを見上げた。マークがそれを見つめ返す。

 見つめ返されて、シンシアは慌ててうつむいた。何かを言い掛けて口を開き、口を結んで地面を睨む。両手を開いて閉じて、踵を上げて、下ろす。

 やがてシンシアは深呼吸を始めた。一回、ニ回、三回……。

 そして。


「社長」


 顔を上げ、だけどマークを見ることはできずに、前を向いたまま呼び掛ける。


「なんだ?」


 穏やかな声が返ってくる。

 シンシアは、また深呼吸をした。勇気を振り絞った。


「私に、おまじない、掛けてほしい」


 顔を赤くしてシンシアが言った。


「おまじない?」

「うん」


 子供みたいに返事をした。


「私の頭を、撫でてほしい」


 小さな声でお願いをする。

 マークが驚いているのが分かる。


「それで、頑張れって、言ってほしい」


 そう言って、シンシアはまたうつむいた。

 返事がない。気まずい。

 それでもシンシアは待った。真っ赤な顔で、一生懸命待った。


「シンシア、顔を上げろ」


 声がした。

 言われたから、恥ずかしかったけど、シンシアは顔を上げた。

 そこに。


 ポン


 マークが、シンシアの頭に手を載せた。

 その手がシンシアの頭を撫でる。


「いつだって、俺が隣にいてやる。だからシンシア、頑張れ」


 恥ずかしかった。

 だけど、すごく嬉しかった。


 シンシアは、ちょっと首をすくめ、だけど、とても幸せそうに、マークに見えないように、笑った。 



 双剣を抜き放って、シンシアが前方を睨む。五十メートル先には八体のゴブリン。

 いつもの場所に、いつも通り、いつもの数のゴブリンがいる。


「ヒューリ、気付いてるか?」

「ああ、もちろんだ」


 シンシアから少し離れたところで、二人が言葉を交わす。


「違うな」

「ああ、全然違う」


 二人が見てきた背中。ずっと苦しそうで、ずっと泣いていたその背中。

 それが、真っ直ぐに伸びていた。


 その背中が、無言で走り出す。最初はゆっくりと、だがその走りが徐々に加速していく。

 背中を追う二人が、スピードを緩めた。あえてその背中と距離を取る。


 双剣が煌めいた。

 次の瞬間。


 スパッ!


 二つの首が飛んだ。


 ヒュン!


 回転する剣が、三つの胴体を一気に両断する。


「ギャア!」


 断末魔の声が、続けて一つ、二つ。

 そして。


 ガシュッ!


 二本の剣が一つの体を貫いて、そのままそれを、斬り裂いた。


「……」


 ミナセは無言。


「……」


 ヒューリも無言。

 二人が見つめるその先で、シンシアがゆっくりと息を整えている。そして、両手の剣を、パチンと鞘に収めた。


 シンシアは泣いていない。シンシアは、吐いてもいない。

 振り返ったシンシアに、ヒューリが近付いていく。その顔を見て、ヒューリが言った。


「いい顔、してやがんな」


 直後。


「シンシア!」


 駆け寄ってきたリリアがシンシアに飛びついた。

 

「シンシア! シンシア!」


 ボロボロと泣きながらその名を叫ぶ。

 ちょっと照れくさそうに微笑みながら、シンシアは、リリアを抱き締めた。


「凄いよシンシア!」


 ミアが興奮する。

 フェリシアが泣きながら笑う。

 ヒューリは、くるりと背を向けて空を睨み付けていた。

 その肩を、ミナセがそっと抱いていた。


 シンシアは越えた。

 シンシアは、悪夢を乗り越えた。


 泣いて、叫んで、吐いて、それでも前に進み続けて、シンシアは笑っている。

 その頬を濡らすのはリリアの涙。震えているのはヒューリの背中。

 五人に囲まれたシンシアは、とても嬉しそうだった。


 そのシンシアが、リリアをそっと押し戻す。リリアの涙を指で拭う。

 そしてシンシアは、自分を囲む輪の中から外に出た。

 二歩、三歩と前に進んで、止まる。


「シンシア」


 優しい声がした。


「はい」


 シンシアが答えた。


 ポン


 大きな手のひら。暖かい手のひら。

 シンシアが、やっぱりちょっと、首をすくめる。


「よくやったな。お疲れ様」


 言われてシンシアは、こくりと頷いた。

 頷いて、一歩。

 少し躊躇った後、両手を広げる。そのまま目を閉じて、目の前のその人に、体を預けた。

 両手にぎゅっと力を込める。トクントクンという音が聞こえる。

 大きな手のひらは、まだ頭を撫でてくれている。


 すごく気持ちがよかった。すごく安心できた。

 すごく嬉しくなって、シンシアはまた、両手にぎゅっと、力を込めた。

 

 暖かな光がシンシアを満たしていく。その光が、扉を開いていく。

 固く閉ざされていたシンシアの扉。あの日あの時閉ざされてしまったシンシアの扉。

 その扉が、開いた。大きく開いた扉の向こうから、声が聞こえてきた。


 高原に吹く気持ちのよい風が、シンシアの心を駆け抜ける。

 久し振りに聞く懐かしい声たちが、シンシアを心から祝福していた。

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