戦いなのだ!

「悪い、ちょっと書類を片付けていくから、先に帰っててくれ」


 宿屋組の三人に言って事務所に残り、「先に帰るよ」と声を掛けてきたマークを笑顔で見送って、ヒューリは腕まくりをした。


「リリア先生、よろしくお願いします!」


 ゴートに食べてもらうために、野菜炒めは一度習っている。ただ、あの時は時間がなくて、人間が食べられるギリギリのものを作るまでで終わってしまった。

 実際、ギリギリだった。


 だが今回は、本番前に二日間練習ができる。そして、食べてもらう相手はマーク(と仲間たち)だ。野菜炒めと同じレベルという訳にはいかない。


「気合いだ!」


 雄叫びを上げるヒューリを、リリアが笑った。


「ヒューリさん、戦いに行くんじゃないんですから」

「いや、これは戦いなのだ! リリア、私のことは遠慮なくシゴいてくれ!」

「……とりあえず、エプロンをしましょうか」


 苦笑するリリアに、呆れ顔のシンシア。

 朝の修行の時と変わらない気を放ちながら、ヒューリはたどたどしくエプロンを装着した。


「最初は、包丁の使い方のおさらいです」


 リリアがヒューリに包丁を渡す。


「まずは、練習で人参を切ってみましょう」

「分かった」


 ヒューリが、右手に包丁を持って、まな板の上の人参に向き合った。

 肩幅程度に足を開き、右足を引いて半身になる。

 右腕は軽く脇を締め、そして左腕は、なぜか正面に向かって力強く突き出されていた。


「ヒューリさん、相手は人参ですから」

「むっ、そうだった」


 力を抜いて、左手を人参に添える。


「足はそのままで、体はまな板と平行に……そうです。そうしたら、包丁を軽く押すようにして切ってみてください」

「こ、こうか?」


 ザクッ、ザクッ


 人参が、力強い音を立てて切れていく。


「右肘を下げて、脇を締めてください」


 自然と上がっていく右肘に、リリアがそっと手を当てて下に戻した。

 すると、今度は左肘が自然と上がっていく。


「ヒューリ、面白い」


 後ろで見ていたシンシアが、ぼそっと言った。


「くっ!」


 ヒューリは何か言いたげだったが、言葉を飲み込んで人参に集中する。


「ゆっくりでいいですから、できるだけ薄く」

「分かった」


 ザクッ、ザクッ


「もっと薄く」


 ザクッ、ザクッ


「もっとです」


 ザクッ、ザクッ


「ヒューリ、下手」


 一センチはあろうかと思われる”薄切り”の人参を見て、シンシアがつぶやいた。


「くっ!」


 ヒューリが、左手を握り締めて耐える。


「左手は猫の手です。指を曲げて、そっと人参に添えてください」


 粘り強いリリアの言葉に気を取り直して、ヒューリは再び包丁を動かし始めた。


 ザクッ、ザクッ


「ゆっくり、慎重に」


 ザクッ、ザクッ


「集中して」


 ザクッ、カツッ!


 包丁が、的を外れてまた板を叩いた。


「ヒューリ、才能ない」

「うがぁぁぁ、シンシアァ!」


 旋風の如く振り返ったヒューリが、包丁をシンシアに突きつける。

 しかしシンシアは、それを見切っていたかのようにわずかに下がって距離をとった。そして、不敵に笑う。


「ヒューリ、動きが粗い」

「くっそーっ!」


 顔を真っ赤にするヒューリに、リリアの厳しい声が飛んだ。


「ヒューリさん! 包丁を振り回してはいけません!」

「すみません……」


 うなだれるヒューリ。

 得意げなシンシア。


「ふぅ」


 リリアが小さくため息をついた。



 二日目。


「今日は実際にハンバーグを作ってみましょう」

「よし、いよいよ実戦だな!」


 ヒューリのテンションは今日も高い。


「では、昨日と同じように、玉ねぎをみじん切りにしてください」

「こいつか。うーむ、私の天敵」


 昨日の練習では、この玉ねぎに手こずった。力が入り過ぎるのか、切っているうちに玉ねぎが崩れてしまってみじん切りができない。おまけに涙は止まらないしで、途中何度もくじけそうになった。

 それでもどうにか、みじん切りのような状態まではできるようになっていた。


 皮をむいた玉ねぎを睨み付け、ヒューリが切り始める。


「まずはこいつを二つにして」


 つぶやきながら、玉ねぎを二つに切った。


「半分になったこれを、繊維に沿って切っていく」

「最後まで切ったらだめですよ。ちょっとだけつながった状態にしてください」

「あ、そうだった」


 真剣な表情で包丁を入れていく。


「次は向きを変えて、横から何カ所か切れ目を……」

「いいですね、その調子です!」


 リリアの応援が心強い。

 ヒューリも乗ってきたようだ。


「よし、最後の仕上げだ。ここから細かく……リリア!」

「はいっ!」


 叫ぶヒューリの目を、リリアが素早くハンカチで拭いてあげる。


「くっそー、負けるかぁ!」

「ヒューリさん、リラックスです!」

「あ、そうだった」


 肩の力を抜いて、玉ねぎをそっと押さえる。昨日は、ここで力が入って玉ねぎが崩れてしまったのだ。


「えっと、できるだけ細かく、ゆっくり、慎重に……リリア!」

「はいっ!」


 リリアのサポートを受けながら、ヒューリが玉ねぎを刻んでいく。

 そして、ようやく玉ねぎ半分をみじん切りにすることができた。


「ふぅ、なんか達成感があるぜ」

「ヒューリさん、すごいですね!」


 盛り上がる二人の横から、にゅっと手が伸びる。

 そして、刻まれた玉ねぎのかけらを手に取って言った。


「これ、みじん切りじゃない」

「くっ!」


 ヒューリがシンシアを睨み付ける。


「まあまあ。これでもたぶん、大丈夫だと思いますから」


 リリアのフォローに気を取り直して、ヒューリはまな板に向き直った。


「本番は七人分なので、あと半分のタマネギも切ることになります。明日は、この二倍頑張りましょう!」

「おーっ!」

「じゃあ次は、タマネギを炒めていきます」


 竈に火をおこし、フライパンをヒューリに渡す。


「油をちょっとだけ引いてください」

「分かった。油をちょーっと……あっ!」

「入れ過ぎ」

「くっ!」


 リリアが紙で油を吸い取る。


「フライパンが温まったら、そこに刻んだ玉ねぎを入れましょう」

「分かった。まな板の上のこいつらを……あっ!」

「玉ねぎ、もったいない」

「くっ!」


 リリアがこぼれた玉ねぎを片付ける。


「玉ねぎが焦げないように、ヘラでよくかき混ぜます」

「分かった。焦げないように、よくかき混ぜ……あっ!」

「玉ねぎ、こぼれた。ヒューリ、才能ない」

「シンシアァ!」


 疾風の如く振り返ったヒューリが、ヘラをシンシアに叩き付ける。

 しかしシンシアは、分かっていたかのように上半身を捻って、鮮やかにそれをかわした。そして、不敵に笑う。


「ヒューリ、攻撃がバレバレ」

「くっそーっ!」


 顔を真っ赤にするヒューリに、リリアの厳しい声が飛んだ。


「ヒューリさん! ヘラを振り回してはいけません!」

「すみません……」


 うなだれるヒューリ。

 得意げなシンシア。


「ふぅ」


 リリアが、小さくため息をついた。

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