そして本番
「たっだいま!」
うるさいくらいの大声と共にヒューリが帰ってきた。
「おかえりなさい」
リリアが笑顔で迎えてくれる。
リリアは、ちょうどシンシアと二人で隣の部屋のテーブルを運んでいるところだった。
「予定通り、社長もミナセさんもフェリシアさんも遅くなりそうです。ミアさんには、買い出しに行ってもらっています」
「そうか。でも、材料の買い出しなら、ミアもそろそろ戻って来ちゃうんじゃないか?」
「いいえ、大丈夫です。町の北門近くにあるお菓子屋さんまで、デザートを買いに行ってもらいましたから」
「北門!? そりゃまたずいぶんと遠くまで……」
「シンシアにお願いしてもらいました!」
うつむき加減でシンシアが言う。
「私、お酒、飲めない」
上目遣いでミアを見る。
「私だけ、楽しくない」
ブルーの瞳が揺れる。
瞳の中で、雫が光る。
「せめて、北門にある、あのお店のクッキーが、食べたい……」
「シンシア!」
ミアがシンシアを抱き締めた。
「私行くよ! 北門まで行く! 絶対クッキー買ってくる!」
金色の瞳に涙を浮かべながら、ミアは力強く宣言した。
「お前、嘘泣きもできるようになったのか?」
「できない。これ使った」
そう言うとシンシアは、ポケットから、ハンカチに包んだ玉ねぎの欠片を取り出した。
「玉ねぎって、やっぱ凄いな」
ヒューリがしみじみつぶやいた。
「私もシンシアもいろいろ準備がありますので、ずっとは見ていられません。分からないところは遠慮なく聞いてもらっていいので、一人で頑張ってみてください」
「分かった」
忙しく動き回るリリアに大きく頷いて、ヒューリは材料に向かい合う。
量は、昨日の倍。
誰かが帰ってくる前に、あとは焼くだけという状態にまでしておく必要があった。
温かいハンバーグを食べてもらうために、焼くのはパーティーの開始直前だ。
ヒューリの焼く姿を見られないように、リリアとシンシアがうまく立ち回ってくれる手はずになっている。
「よし、やるか!」
エプロンの紐をギュッと結んで、ヒューリは玉ねぎを手に取った。
「ただいまぁ」
フェリシアが、のんびりと部屋に入ってくる。
「おかえり」
シンシアが、微笑みながら返事をした。
「ごめんね、遅くなっちゃって。お手伝いするわね」
「大丈夫。座って、休んでて」
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
フェリシアが、イスに座って肩をトントンと叩いた。
「ただいま」
ミナセが、きっちりと扉を閉めながらリリアに言った。
「おかえりなさい!」
笑顔でリリアが返事をする。
「すまない、遅くなった。手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です! 準備はほとんど終わってますから!」
「そうか? じゃあお言葉に甘えて」
ミナセは、イスに座りながら、テーブルの食器をちょっとだけずらして書類の整理を始めた。
「シンシア、買ってきたよ!」
ミアが、袋を掲げて満面の笑みを見せる。
「ミア、ありがとう。私、嬉しい」
「シンシア!」
驚くミナセとフェリシアの前で、ミアがシンシアを抱き締める。
「お手伝いするね!」
「大丈夫。ミア、疲れてるから、かわりに、私が頑張る」
「シンシア!」
ミアがまたシンシアを抱き締める。
ミナセとフェリシアが、顔を見合わせながら首を傾げていた。
「ただいま」
マークが、静かに扉を開けて入ってきた。
「おかえりなさい! お疲れ様でした!」
リリアが嬉しそうに笑う。
「あれ、ヒューリは?」
シンシアが料理を運んでくるのを見て、マークが聞いた。
ヒューリ以外は、全員この部屋に揃っている。
「ヒューリさんには、台所で洗い物をしてもらっています」
「そうか」
リリアの返事を疑うことなく、マークは部屋の奥へと歩いていった。
「ヒューリ、まだ?」
間を持たせるのに苦労していたシンシアが、ヒューリに声を掛けた。
「ちょうど一つ、試し焼きが終わったとこだ」
額に汗を浮かべながら、ヒューリが答えた。
本来なら、もうとっくに”たね”ができていて、ヒューリも事務所側でくつろいでいるはずだった。
タイミングを見て焼きに入る予定だったのだが、相当手こずったらしい。
「シンシア、食べてみてくれ」
一口大に切ったハンバーグをフォークに差して、シンシアに渡す。
「分かった」
シンシアが、それを受け取ってパクッと口に入れた。
すると。
「……味が、濃い」
顔をしかめてシンシアが言った。
「えっ? そんなバカな!」
ヒューリも慌てて口に放り込む。
「……たしかに」
ヒューリの顔が、歪んだ。
「塩と胡椒、入れ過ぎ」
シンシアの言う通り、味が濃かった。特に塩が多いのか、わずかにしょっぱさを感じてしまう。
食べられないというほどではないが、これではとても美味しいとは言えない。
「どうしよう……」
ヒューリは動揺した。
作り直している時間はない。味を薄めるために材料を足そうにも、あるのは玉ねぎが一個だけ。挽き肉はもう残っていない。
ソースも付け合わせも、ほかの料理も全部できていて、後はハンバーグの本体待ち。これ以上みんなを待たせる訳にはいかなかった。
「やっぱり私には……」
ヒューリが悔しそうに唇を噛む。
せっかく頑張ったのに。
リリアにあんなに教えてもらったのに。
塩を振る時、じつはちょっと迷ったのだ。
あれ? 昨日の倍って、どのくらいだ?
でも、リリアは隣の部屋にいた。
自分で何とかしなきゃダメだって思った。
だから聞かなかった。自分の判断で、塩を加えた。
それが仇となった。
気持ちはあったのだ。
気合いだけは十分だったのだ。
ヒューリが床を睨む。
強く拳を握る。
その時。
「諦めたら、ダメ!」
突然、シンシアが動いた。
残っていた玉ねぎの皮を剥き、猛然とみじん切りにする。
それを、今ハンバーグを焼いていたフライパンに放り込んで炒め始める。
炒めながら、棚からいくつか調味料を取り出した。
その中の一つ、透明な瓶を手にして、シンシアが言った。
「リリアが前に、教えてくれた。お酢を使うと、味が、まろやかになるって」
シンシアは、新たにソースを作ろうとしていた。
リリアが作ったソースは、トマトベース。昨日のハンバーグに合わせて少し味を濃くしてあったので、それはもう使えない。
シンシアにとってもこれは挑戦だった。正直に言えば、うまくいく確信などない。
それでも。
「ヒューリ、頑張った。だから、私、応援する」
シンシアは集中していた。
ブルーの瞳がフライパンを凝視する。
「絶対、このハンバーグ、美味しくさせる!」
お酢をスプーンで計量しながら慎重にそれを加えていく。
気迫のこもった表情でソースをかき混ぜる。
「シンシア……」
その姿を、ヒューリが見つめていた。
黙ってその横顔を見つめていた。
突然。
「ヒューリさん、ハンバーグを焼いてください!」
背中からリリアの声がする。
「大丈夫、うまくいきます!」
笑顔のリリアがそこにいた。
ヒューリが、自分の頬を両手で叩く。
パーンッ!
鋭い音と同時に、ヒューリが叫んだ。
「よし、任せろ!」
隣の竈で、ヒューリがハンバーグを焼き始める。
シンシアと並んでフライパンを握る。
「シンシア、ソースは?」
「もうできる!」
「ヒューリさん、焼けたハンバーグを、シンシアのフライパンに入れてください!」
「了解!」
ヒューリが、ハンバーグを一つずつ隣のフライパンに移していく。
シンシアが、ソースをかけながらそれを煮込む。
「一分くらい煮込めば大丈夫。シンシア、できたらお皿に!」
「分かった!」
リリアが用意したお皿に、シンシアが次々とハンバーグを載せていく。
リリアが手早く盛りつけていく。
「ヒューリさんは、エプロンを外して向こうに行ってください。ハンバーグは私たちが持っていきます」
最後の一皿を盛りつけながら、リリアが言った。
「二人とも、ありがとう」
ヒューリが笑う。
鼻の頭をちょっと赤くして笑う。
リリアも笑った。
シンシアも笑った。
「ほんとに、ありがとう」
外したエプロンで顔をゴシゴシ拭いて、ヒューリは、隣の部屋へと続く扉を開けた。
「いやあ、洗い物って大変だよなぁ」
肩をぐるぐる回しながら、ヒューリが入ってきた。
「お疲れ様、大変だったな」
マークがねぎらう。
「まあ私も、これくらいはしないと」
うつむきながら、ヒューリが席に着いた。
それを待っていたかのように。
「お待たせしましたぁ」
リリアとシンシアがお皿を持ってやってくる。
「これで料理は全部です。さあ、始めましょう!」
「では、エルドアのビンテージワインに乾杯!」
「かんぱーい!」
七つのグラスがカチャンと音を立てる。
「ゴクッゴクッゴクッ……、プハー、うまーい!」
ヒューリが豪快にワインを飲み干す。
「ビンテージものなんだから、もうちょっと……」
優雅に香りを楽しむフェリシアとは対照的なヒューリに、ミナセが言う。
「あははは。まあそうだよな。じゃあ、もう一杯!」
手酌でワインを注ぐヒューリを、呆れたようにミナセが見ていた。
その正面では、リリアがおっかなびっくりワインを口に含んでいる。
「どう、リリア?」
フェリシアが聞く。
「うーん、美味しいかも、です」
「うふふ。最初はそんなものかもね」
リリアの横では、シンシアがオレンジジュースを飲んでいた。
「シンシア、たくさん飲んでね!」
一口飲む度にミアがつぎ足すので、シンシアのコップはいつもなみなみだ。
和気あいあい。
いつも通りの楽しいパーティー。
だが、その中で一人だけ、とっても落ち着かない様子の人物がいた。
「どうしたんだ、ヒューリ?」
「えっ? いや、何でもないよ」
ミナセの声に、ヒューリが答える。
一杯目のグラスを一息に空けたわりに、二杯目のグラスには手をつけていない。
時々料理をつまんではいるが、口をモグモグしながらも、その視線は常にある一点に向けられていた。
そしてついに、その時が訪れる。
「温かいうちにいただこうかな」
マークが、ナイフとフォークを握った。
それが、あのハンバーグに向けられる。
一口大に切って、フォークを差す。
少しだけ間を空け、それをちょっと見つめた後、口に運ぶ。
ゴクリ
マークではない別の場所から喉の鳴る音がした。
ハンバーグを口に入れたマークが、ゆっくりとそれを噛み締める。
それを静かに飲み込んで、いつもよりもさらに目を細めた。
リリアが、それを見て嬉しそうに笑う。
ミナセが、それを見てこっそり微笑む。
さりげない二つの視線と、露骨な一つの視線の先で、マークが言った。
「うん、美味しい」
「よっしゃー!」
小さいけれど、力のこもった叫びが聞こえた。
「どうしたんだ、ヒューリ?」
テーブルの下で何度もガッツポーズをしているヒューリに、ミナセが聞く。
「えっ? いや、何でもないよ」
何でもないようには見えない顔で、ヒューリが答える。
そこに、マークの予想外の声がした。
「もしかしてこれ、ヒューリが作ったのか?」
「はいっ!?」
意表を突かれて、ヒューリの声が裏返った。
「ななな、何でですか!?」
動揺しまくり、乱れまくりの様子で聞き返す。
するとリリアが、とんでもないことを言った。
「そうなんです! それ、ヒューリさんが作ったんですよ!」
「ちょっ、ちょっと、リリア! 約束が……」
裏切り者のリリアは満面の笑み。
罪悪感なしの、素敵な顔で笑っている。
「やっぱりそうなのか」
マークは納得したようだ。
そして、にっこり笑いながら言った。
「ヒューリ。このハンバーグ、俺は好きだぞ」
「!」
ヒューリの頬がみるみる赤くなっていく。
「ぜひ、また作ってくれ」
ガタンッ!
突然ヒューリが立ち上がった。
「ちょっと外に出てきます! すみません!」
そう言ってスタスタと歩き出し、扉を開けて部屋から出ていってしまった。
「やっぱりこれ、ヒューリが作ったんだ」
「どうりで、玉ねぎが大きいと思いました」
後ろ手に閉めた扉の向こうからミナセとミアの声が聞こえるが、そんなことはどうでもよかった。
目を閉じて、両手で胸を押さえる。
心臓が、びっくりするくらいドキドキしていた。
「バレてないつもりだったのかしら?」
「ヒューリならあり得るな。この二日間、私たちを無理矢理帰しておいて、自分は玉ねぎの匂いをプンプンさせながら戻ってくるんだから、誰でも分かると思うんだが」
「えっ、そうだったんですか!?」
三人の会話も、今のヒューリには届かない。
「ヒューリ。このハンバーグ、俺は好きだぞ」
マークの声が、鼓膜の奥にこだまする。
「ぜひ、また作ってくれ」
瞼の裏で、マークが嬉しそうに笑っている。
「フフ……」
意識しない声が漏れる。
「フフ、フフフフフ……」
不気味な笑い声が溢れ出す。
「ヤッホー! イェーイッ!」
歓喜の声を台所に響き渡らせる。
「社長! 社長!」
意味なく大声で連呼する。
その声に、隣の部屋ではマークが驚いていた。
「ヒューリ、うるさい」
シンシアが文句を言う。
言いながら、美味しそうにオレンジジュースを飲み干した。
「やっぱり楽しいですね!」
リリアが嬉しそうに笑う。
笑いながら、美味しそうにハンバーグを頬張った。
「よしっ! よーし!」
雄叫びをアパート中に響かせながら、ヒューリは、人生で最高レベルの喜びを爆発させていた。
楽しいパーティーはまだ始まったばかり。
すっかり主役の座を奪われてしまったビンテージワインが、グラスの中で、ちょっとだけ悔しそうに揺らめいていた。
ハンバーグ 了
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