出会い

 マークは事務机に、六人はソファに座っている。

 のどが渇いて仕方がないというヒューリとミアに合わせて、みんなの前にあるのは、お茶ではなく水だ。

 すでに二人のコップには二杯目の水が注がれ、それさえも半分以上がなくなっていた。


「みんなから話は聞きました」


 マークの声がやけに大きく響く。

 張り詰めた空気が、小さな物音さえも敏感に伝えていた。


「昨日出会った男というのは、以前ミナセさんが言っていた”ある出来事”と関係があるんですか?」


 ミナセが入社して間もない頃、マークに話したこと。

 過去の出来事を清算するために旅を続けていると、ミナセは言っていた。


「そうです」


 うつむきながら、ミナセが答える。


「あの時は、まだ話せないと言っていましたが」


 静かにミナセを見つめながら、マークが聞いた。


「今なら、話してもらえますか?」


 特に気負った声ではない。だがその問いは、ミナセを、そしてみんなを緊張させるのに十分な意味を持っていた。

 ミナセがコップの水を見つめる。誰も何も言わず、身じろぎ一つしない空間で、コップの水は、まるで鏡のように静止していた。


「そうですね」


 ミナセが顔を上げた。


「みんなには、知っておいてほしいと思います。社長にも、誰にも話したことのない私の両親の話。そして、私と父の話です」


 マークが姿勢を正した。みんなの表情も引き締まる。

 強烈な緊張感の中で、ミナセが静かに語り始めた。




 一人の女を、三人の男が取り囲んでいる。


「お姉さん、ぶつかってきておいて、ごめんだけじゃあ済まされないんだよ」

「そうそう、謝って済むなら衛兵さんはいらないんだよねぇ」

「では、どうすればいいんだ?」

「そうだなぁ。ちょっとそこまで俺たちに付き合ってよ」

「楽しませてくれたら許してあげるからさぁ」

「うっへっへ」


 ここは、大陸のやや東に位置する小国、シオン。中央地域と東部地域のちょうど境目にあるこの国では、武術が非常に盛んだ。それもあって、武芸者と、そして気の荒い連中が自然と集まってくる。

 女を取り囲む三人が武芸者なのか、それともただの無法者なのかは分からない。ただ、一つ言えるのは、こんな風景がこの国では時々見られるということだ。


 それでも、この国の治安は意外と悪くない。町や村には強力な自警団が組織され、生半可な盗賊では手を出すことができないほどだ。

 血の気の多い他国の者がしょっちゅう小競り合いを起こしてはいるが、人の目がありさえすれば誰かが止めに入るので、大事になることは少ない。

 今起きている出来事も、町や村の中ならば、即座に人が寄って来ただろう。


 だが、ここは国境近くの山道。ほかに人はいない。

 体の大きな男たちに囲まれた女が、無事でいられるとは到底思えなかった。

 しかし。


「私の行く手を遮ったのはお前たちだ。いちおう私が謝ったが、本音を言えば、私はお前たちに腹を立てている」


 女は平然と言い放った。


「……お姉さん、自分の立場、分かってるのかなぁ?」


 一瞬怯んだ男の一人が、やや間を空けて女をのぞき込む。

 いやらしく歪んだ目が、その全身を舐め回した。


 女は美しかった。


 後ろに束ねた艶やかな黒髪と、吸い込まれそうな黒い瞳。それらが整った顔立ちを一層引き立てている。

 均整の取れたプロポーションと真っ白い肌。

 そして腰には、細身の剣。


 黒髪のせいなのか、落ち着き払ったその立ち姿のせいなのか。

 大人びては見えるが、あるいは少女と呼んだほうがいい年齢なのかもしれない。

 いずれにしても。


「上玉だ」


 男たちは、見たことのない黒髪に欲情していた。

 神秘的な黒い瞳に興奮していた。


 そんな男たちの前で、女が腰の剣に手を掛けた。

 男たちが咄嗟に一歩下がる。

 その直後。


 ドスッ!


 鈍い音がしたかと思うと、男の一人が突然バタリと倒れた。その首には、鋭利な刃物が突き刺さっている。


「手裏剣!? いや、違うか」


 女がつぶやく。

 そのつぶやきに、男たちは構っている余裕はなかった。


「誰だ!」


 刃物が飛んできた方向を見定めようと、残りの二人が慌てて周囲を見回す。その視線が、やや離れたところに悠然と立つ一人の男を捉えた。

 年齢は、おそらく三十前後。優しげな顔立ちと、それとは真逆の引き締まった身体。

 男は、剣を抜きながらゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 歩きながら、剣に手を掛けたままの女に言った。


「お嬢さん、あなたが剣を抜く必要は……」


 その言葉が、中途半端に途切れる。

 男の目が、大きく開いていった。


「おい、やめておけ!」


 男が声を張り上げた。

 それを無視するように、男の視線のその先で、女が剣をすらりと抜き放った。


 異変に気付いた男たちが振り返る。

 その瞬間。


「ぐあぁっ!」


 女の剣が、男の一人を鎧ごとぶった斬っていた。


「ばかな!」


 残りの男が驚きの声を上げる。

 仲間が着ていたのは、安物とは言えチェインメイルだ。女の細腕で、しかもこんなに細い剣で斬られるような代物ではない。

 女は、すでに自分に向かって剣を振り上げている。


「ふざけんな!」


 叫びながら、男は剣を抜いた。


「そんな剣、弾き飛ばしてやる!」


 女が振り下ろす剣を、男の重厚な大剣が迎え撃つ。

 気合いと共に振り上げた男の剣は、女の剣とぶつかり合った瞬間、火花を散らすこともなく、あっさりと、斬り落とされた。


「!」


 刀身を半分以上失った男の剣が、空を切る。

 まだ油の匂いのする、買ったばかりのチェインメイルが、まるで紙のように断ち切られていく。


「そん……な……」


 断末魔の声を上げながら、男は乾いた地面にドサリと倒れ込んでいった。


「ふぅ」


 女は、軽く息を吐き出すと、背負っていた鞄からボロ布を取り出して剣を拭い始めた。とても二人の人間を斬った後とは思えない冷静な姿だ。

 呆然とそれを見ていた男が、やがてゆっくりと女に近付いていった。


「正直に言わせていただきますが、あなたの剣の腕は、大したことはありません」


 いきなり男が話し始める。


「ですが」


 男の目が、女の剣を凝視した。


「その剣は、とてつもない名剣です」


 細身で片刃。

 緩やかな反りのある刀身には、美しい紋が浮かんでいる。

 素人とは言わないが、熟練にはほど遠い女の腕であっても、チェインメイルを断ち斬り、剣を切り裂き、人を二人斬ってなお刃こぼれ一つしない剣。


 間違いなく名剣。

 間違いなく、人の手ではない何者かによって作り出された秘宝。


「いったいそれを、どこで手に入れたのですか?」


 見るからに武芸者と思われる男が、女の手にしている剣に興味を持つのも無理はない。

 問い掛けられた女は、しかしそれに答えることなく、男の目の前で懐紙を取り出して刀身を丁寧に拭い始めた。男のことなどまるで眼中にないかのようだ。

 完全に無視された男は、戸惑った。


 聞こえていないのか?


「あの……」


 男が声を掛けるが、女はまったく反応しない。

 やがて女は懐紙をしまうと、今度は何かの動物の皮を取り出した。

 剣術の腕前はともかく、剣の扱いについてだけ言えば、女は非常に慣れているようだった。その所作には迷いがなく、その動きには無駄がない。

 真剣に、一心に剣を磨いている女を見て、男は思う。


 美しい……


 男は見蕩れていた。

 ただただ黙って女を見つめていた。


「ふぅ」


 やがて女が手入れを終えて、剣を鞘に納める。

 そして、ようやく言葉を発した。


「そちらは私を助けたつもりだろうが」


 真っ直ぐに男を見る。


「私は、助けられたつもりはない」


 表情を変えることなく言い放った。


「……」


 男は無言。


 かわいくないと思った。

 ふざけるなとも思った。

 でも、それ以上に男は思った。


 やはり、美しい


 自分の言葉に何も返さず、ただ自分を見つめるだけの男に、今度は女のほうが戸惑ったようだ。


「私の剣の腕が未熟なことは、自分でも知っている。だが、相手が強いか弱いかくらいのことは、私にも分かるつもりだ。こいつらは、私一人で十分倒せた。だから、そちらに義理も負い目も感じてはいない」


 意外と女は喋った。

 それでも男は無言。


「そちらがかなりの腕前だということは分かる。私では手も足も出ないだろう。何を考えているのかは知らないが、もし……その……そちらが妙なことを考えているのなら」


 そう言うと、女は再び剣の柄を握って腰を落とす。


「死を覚悟した人間の恐ろしさを、思い知らせてくれる」


 女の体に殺気が宿った。その気迫は相当なものだ。

 さすがの男も、そこで正気に戻る。


「あ、いや、ちょっと待ってください! 俺は別に変なことなんて……」


 慌てて自分の剣を納め、両手を振って女をなだめようとする。

 しばらく男を睨み付けていた女は、やがて殺気を納めた。


「そちらに他意がないと言うのなら」


 女が鞄を背負い直す。


「これで失礼する」


 軽く一礼して、女はスタスタと歩き出した。


「あっ、ちょっと」


 男の声が女を追う。

 しかし、体はなぜか動かなかった。


 束ねた黒髪が風に舞う。

 鼻をくすぐる、不思議な香りがした。

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