微笑み

 グレートウィルムは、セルセタの花を守るようにその巨体を横たえている。

 頭をこちらに向け、大きな目玉をギロリと動かして、威嚇するように三人を睨み付けていた。


「時間がない、やるぞ」

「いつでもどうぞ」

「やりましょう」


 カイルが身体強化の魔法を唱える。

 フェリシアが魔力を練り始める。

 アランが、詠唱を始めた。


「では、失礼」


 声と共に、カイルがフェリシアを抱き上げた。

 フェリシアに走る力は残っていない。カイルが、フェリシアをグレートウィルムの目の前まで連れて行くことになっていた。


「こんな状況じゃなけりゃあ、最高に幸せな気分なんだけどな」

「あら、光栄ね」


 二人は笑う。

 そして。


「行くぞ!」


 カイルが、猛然とグレートウィルムに向かって走り出した。

 その後ろにアランが続く。


 グレートウィルムの目が怪しく光った。

 その口が、ガバッと大きく開く。


「来るぞ!」


 カイルが叫んだ瞬間、高温の火焔が激しい勢いで吐き出された。

 それに、フェリシアの右手が向けられる。


「ブリザード!」


 声と同時に、猛烈な吹雪がその右手から発生した。

 水と風の混合魔法、第四階梯、ブリザード。

 フェリシアならではの特殊魔法。フェリシアの、最後の魔法だ。


「相変わらず驚かせてくれますね!」


 すぐ後ろでアランが叫ぶ。

 アランが提案したのは、風の魔法の第四階梯、ストーム。だが、フェリシアが選んだのは、高温にも対抗できるブリザードだった。


 吹雪と火焔が激しくぶつかり合う。

 凍てついた氷が炎で蒸発し、熱せられた空気が冷気で拡散される。


 五秒。


 それだけもたせれば、ブレスは止まる。


 あと四秒。


 カイルが、冷気と熱気が入り乱れる中をウィルムに向かって走り続ける。


 あと三秒。


 フェリシアが歯を食いしばる。

 必死の形相で魔力を絞り出す。


 あと二秒。


 火焔の勢いが弱まっていく。

 カイルの走りが加速した。


 あと一秒。


 フェリシアのブリザードが限界を迎えた。

 同時にアランが、詠唱を終えた。


「行けぇーーーっ!」


 雄叫びを上げるカイルの横をすり抜けて、アランが飛び出していく。

 そして、閉じていく巨大な口に向かって渾身の魔法を放った。


「エクスプロージョン!」


 圧縮された高温の空気が、牙の間をくぐり抜けてグレートウィルムの口の中に飛び込んだ。


 炎の魔法、第四階梯、エクスプロージョン。

 それが、完全に閉じた口の中、グレートウィルムの喉元で炸裂した。


 ズドォーーーン!


 鈍い爆発音とともに、グレートウィルムの頭が吹き飛ぶ。

 同時にその巨体がビクッと痙攣し、やがてグレートウィルムは、魔石を残して嘘のように消え去っていった。


「よっしゃー!」

「さすが団長たちだ!」

「フェリシアさん、すげぇ!」


 兵士たちが歓喜の声を上げる。

 その大歓声に応えることなく、険しい表情でフェリシアが言った。


「急いで!」

「了解だ!」


 フェリシアを地面に下ろすと、カイルは花に向かって走り出した。

 濡れるのも構わず泉に踏み込むと、中央に咲く花の前にひざまずく。


 淡く青白い光を放つ、白くて可憐な花。

 それを、カイルは根本から慎重に摘み取った。


 セルセタの花。

 伝説と言われるほど入手が困難な万能薬。

 ついに、それを手に入れた。


 カイルはそっと立ち上がり、両手で花を包むようにして、今度は洞窟の出口に向かって走り出す。


「アラン、あとは頼む!」

「お任せください!」


 真横を駆け抜けるカイルを目で追いながら、アランは兵士たちに指示を出し始めた。

 負傷者が外へと運ばれていく。動かせない重傷者にヒーラーが駆け寄っていく。

 喜びに浸る間もなく、兵士たちはそれぞれが動き出していた。


 その兵士たちの間を、フェリシアがよろよろと歩いている。走り回る兵士たちを見向きもせず、ただ前だけを見てフェリシアは歩いていた。

 洞窟の出口までは、たったの百メートル。もう花はロイのもとに届いているはず。

 すでに医師が煎じ始めているだろう。


 煎じ薬とはどんなものなのか。

 ロイがそれを飲んだ時に、どんな現象が起きるのか。


 そんなことに、興味はない。


 その瞬間を、フェリシアは見たかった。

 フェリシアは、ミアとその場に立ち会いたかった。


 だって、戦友だもの


 可愛いミア。

 ちょっと天然だけど、一生懸命頑張るその姿はとても好ましい。

 大好きだったファンの死にも、心を折らずに前に進み続けた。

 疲労と戦いながら、ロイに魔法を掛け続けた。

 瀕死の兵士を前にしても、自分の役割を貫き通した。


 あなたは、よくやったわ


 そんなミアと、その場に立ち会いたかった。


 百メートルが異様に長く感じる。体力も気力も、限界などとうに超えていた。

 壁に右手をつき、体を支えながらフェリシアは歩く。止まりそうになる足にむち打ちながら、フェリシアは歩く。


 やがて、ようやく洞窟の出口が見えた。


 ロイを抱いているミアの姿が見える。その横で、医師がかまどの火を調節している。鍋をのぞき込んでいるカイルもいた。


 もうちょっと。

 そう思った瞬間、フェリシアの目が、嫌な光景を捉えた。


 ロイの腕が、力なくだらりと垂れ下がっている。


「早くしてくれ!」

「無理ですよ!」


 切迫したカイルの声が聞こえる。

 ミアが、じっとロイを見つめている。


 間に合わないの?


 フェリシアの心臓が早鐘を打ち出す。


 そんな! ここまで来て!


 フェリシアは足を早めた。

 鉛のように重たい足を、一歩一歩前に進める。


 出口までもう少し。

 ミアの表情がはっきり見えるところまで来た。


 ミアは、顔を上げて周りを見ていた。

 洞窟から運び出された負傷者が、ミアのすぐそばで呻き声を上げている。


「まだなのか!」

「もう少しです!」

「もういいだろう!」

「だめですよ!」


 隣では、苛立つカイルが医師を怒鳴り散らしていた。


 ミアが、もう一度ロイの顔を見る。

 柔らかな前髪をそっと撫でる。


 その様子に、フェリシアは不安を感じた。


 あなた、何をする気?


 フェリシアの視線の先で、ミアの唇が、何かをつぶやき始めた。


「ミア!」


 フェリシアが叫んだ。

 その声にミアがこちらを向くが、口許の動きは止まらない。


「ミア、だめよ!」


 フェリシアがもう一度叫ぶ。

 だが、ミアはもうフェリシアを見ようとしなかった。


 ヒールにしても、キュアディジーズにしても、キュアウィークネスにしても、ミアは詠唱などせずに発動できる。

 そんなミアが、呪文を唱えている。


 あれはいけない

 あれを唱えてはいけない


 フェリシアは走った。

 走ろうとして、石につまづいて転んだ。

 左腕に激痛が走る。

 それを無視し、動く右手を支えに起き上がって、前に進む。


 動いて!


 自分の足に念じる。


 動いてよ!


 ガクガク震える膝を右手で叩く。


 なんでよ!

 なんで私の足は、こんなにも動かないのよ!


 ミアの口許がはっきりと見える。


 もうちょっと、もうちょっとなのに!


 その口許は、動きを止めない。


 お願い!

 お願いだからやめて!


「ミア!」


 フェリシアが泣きながら叫んだ。

 それに応えるように、ミアが、フェリシアを振り向いた。


 その表情は、優しくて、暖かくて、とてもきれいな微笑みだった。


 ミアがロイを見る。

 そしてミアは、呪文の最後の言葉を、静かに口にした。


「パワー、キュア」


 その瞬間、ミアの体から、あるはずのない大量の魔力が溢れ出す。

 その魔力が、光と化して周囲を包み込んでいった。


 呻き声を上げていた兵士が、不思議そうな顔で自分の体に触れている。

 負傷兵たちが、折れていたはずの足や、焼けただれていたはず肌をおっかなびっくり撫でている。


 周囲がざわめく中、ミアに抱かれたロイが、目を開けた。


「ミア……」


 目の前のきれいな笑顔に声を掛ける。


「ロイ様、もう大丈夫ですよ」


 穏やかにミアが答えた。


「ありがとう」


 ミアに手を差し伸べながら、ロイも笑う。

 その手を握り、きれいな微笑みを浮かべたまま、ミアは、ゆっくり、ゆっくりと、目を、閉じていった。


「ミアァァァァァッ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る