鉱山に住む女
「はい、これお代」
「えっと、今お釣りが……」
「いいよ、取っときな」
「……いつもすまない」
食堂の主人からもらった包丁一式の研ぎ代を財布にしまうと、女は丁寧に頭を下げた。
「では、私はこれで」
「気を付けてな」
主人に見送られながら、女は北に向かって歩いていった。
「ほんとに変な子だねぇ」
主人の後ろから、女将が声を掛ける。
「若くてあんな美人なのに、鉱山で一人暮らしだなんて」
「そうだな、たしかに不思議な子だ。でも」
主人は、包丁を一丁取り出して、その研ぎ澄まされた刃先を惚れ惚れと眺める。
「研ぎの腕は、一級品だ」
満足げに包丁をしまうと、女将の肩をポンと叩いて、主人は店の中に戻っていった。
五年ほど前に、女はふらりとこの町にやってきた。
この辺りでは見掛けることのない黒い瞳と黒い髪。美しいその女は、宿屋の壁に飾られていた、一振りの剣に目を留める。
「ご主人。すまないが、その剣を見せていただいてもいいだろうか?」
それは昔、この町が鉱山で栄えていた頃に打たれた剣。産出される質の高い鉱石に惹かれて集まった、優秀な鍛冶師が店を連ねていた頃に鍛えられたもの。
間違いなく名剣。ゆえに、それは実戦で使われることなく、半ば装飾品としてこの宿屋に受け継がれてきた。
「これを打った鍛冶師はご存命だろうか? これは何という金属でできているのだろうか?」
真剣に聞いてくる女に、宿屋の主人が驚きながらも答える。
それは古い剣で、この町にはその鍛冶師の子孫でさえもういないこと。素材はアダマンタイトで、昔は鉱山で採掘できたが、今は鉱脈が枯れて鉱山も閉鎖されていること。
「その鉱山に行ってみたいのだが」
立て続けに質問する女に、町長の許可が必要だと答えると、今度は町長の家の場所を聞き出して、女はそのまま宿を飛び出して行った。
その後、女は町長から強引に入坑の許可をもらい、そしてそのまま鉱山に住みついてしまったのだ。
今は、坑夫が寝泊まりしていた小屋に住み、鉱山に潜ったり、自分で修理した鍛冶場で何かを作ったりしている。
畑を作り、自分で狩りまでして自給自足の生活を送っているが、現金を得るために、時々研ぎの仕事を町の住人から請け負っていた。
鉱山までは、町の北門から歩いて十五分。町からそれほど離れている訳でもなく、この辺りには盗賊の類もいない。
とは言え、女性一人では心許ないはず。
そんなことを言い訳のようにつぶやきながら、男たちがその美しさに惹かれて鉱山を訪ねて行くが、誰が行ってもほとんど相手にされることはなく、あっさりと追い返されていた。
いったい何者なのか。
いったい何をしているのか。
名前さえも分からないその女の存在は、小さな町に、小さなさざ波を立て続けていた。
そんなある日。
「また娘がさらわれたんだって?」
「ああ。夜中に突然襲われて、あっという間に連れ去られたらしい。最初からその娘を狙ってたんだろうな」
「その村って、ここから半日の距離だろ? いやだねぇ」
休憩中の職人たちが、茶を飲みながら話をしている。
「まあ、この町は大丈夫さ。何たって、道場の門下生たちが見回りをしてくれてるからな」
「たしかにな。でも、あの子は大丈夫かな?」
「あの子って……ああ、黒髪の女か?」
「そうそう。さすがに鉱山までは見回りなんてしてないだろ?」
「どうかねぇ。噂じゃあ、師範代があの子にご執心らしいからな」
「そうなのか?」
「らしいぜ。暇さえありゃ鉱山に通ってるって話だ」
「へぇ、あの師範代がねぇ」
驚いたように、職人の一人が腕を組む。
「そう言えば、先生が旅に出てからもう五年になるか」
「そんなになるかねぇ」
「今頃どこにいるんだろうな」
別の職人が、空を見上げてつぶやいた。
その視界の片隅を、数人の男が慌てふためいた様子で駆け抜けていく。
「おい、ありゃあ道場の若いもんじゃねぇか?」
「そうだな。なんかあったのか?」
職人たちの注目を浴びながら、門下生たちは町の北に向かって全力で走っていった。
「最近、若い娘がさらわれる事件が起きてるらしい」
「……」
「その、もし物騒な奴らが襲ってきたら、ここは危ないと思うんだ。だからその……」
長身の男が、うつむきがちに話している。無骨な顔を赤く染め、ウブな少年のように恥じらいながら、必死に言葉をつないでいた。
「夜の間だけでも、町の中にいたほうがいいんじゃないかな。もしよかったら、うちの道場に……」
「結構だ」
男がうなだれる。
冷たく返事をした女は、束ねた黒髪を揺らしながら、つるはしを担いで鉱山に向かって歩き出した。
「自分の身は自分で守れるし、私にはやるべきことがある。そして、男に興味はない」
凛としたその声は、完全に男を拒絶している。
にも関わらず、男は食い下がった。
「こう言っては何だが、あなたの剣の腕はそれほどでもない。俺には分かる。だから……」
男が女を追って足を踏み出した、その時。
「師範代! 道場破りです!」
「早く戻ってください!」
若い門下生たちがバタバタと走ってきた。
「くっ!」
唇を噛み締めて、男は振り返った。
「今、行く」
その体には、怒りが満ちていた。走ってきた門下生たちが怯む。
「相手はどんな奴だ?」
「は、はい! それが……」
説明を聞きながら、長身の男は町へと向かう。
その背中を一瞥して、女は暗い穴の中へと入っていった。
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