師範代
「お戻りです!」
門の外から門下生が叫んだ。
続けて、師範代と呼ばれた長身の男が門をくぐって入ってくる。
門の内側は、日頃門下生たちが鍛錬を行っている広い庭だ。その庭の真ん中で、大男が一人、仁王立ちをしていた。
「ずいぶん待たせてくれたじゃねぇか」
大男が、大きな目玉をギョロリと動かす。低く地を這うようなその声に、門下生の何人かは体を振るわせていた。
長身の師範代よりさらに大きなその男が右手に持つのは、ハルバート。槍と斧の特徴を併せ持つ、扱いの難しい武器だ。
その大男を睨み返して、挨拶もなく師範代が言った。
「真剣と木刀、どちらがいいか選べ」
シオンでは、国を挙げて武術が励行されている。王家や貴族の子弟はもちろん、一般市民であっても子供の頃から武術を学ぶことが多い。小国であるシオンが生き残るための手段の一つではあったが、近年では、年に一度開かれる武術大会がもたらす経済効果も無視できないものとなっていた。
国のあちこちに武術学校や道場が開かれ、この国の立派な産業の一つとなっている。
ゆえに、道場破りは日常的に起きており、学校側や道場側も、決まりを設けてその範囲内で受けることが多かった。
当然、この道場にも決まりはある。
それは”真剣を使わない”というものだったのだが。
「師範代、あの、真剣は……」
「黙ってろ」
遠慮がちに声を掛ける門下生を、師範代が一言で黙らせた。
「おい、何かあったのか?」
「ちょっとタイミングが悪かったらしい」
迎えに行ってきた門下生が小さく答えた。
鉱山から戻ってくる間も、そして今も、師範代の機嫌は非常に悪い。
真剣勝負は、死を覚悟した勝負だ。道場破りが来る度にそんなことをしていたら、命がいくつあっても足りるはずがない。
だからこその決まりなのだが、今の師範代は、それを守るつもりなどまるで無いようだ。
挑戦的な問い掛けに、大男がにやりと笑う。
「男なら、真剣勝負だろ?」
そう言うと、大男はハルバートを軽々と数回振り回して、穂先をピタリと師範代に向けた。
大男のハルバートは、先端の片側に斧頭、反対側に鉤爪状の突起がある、形状としてはありふれたものだ。しかし、その形状ゆえに先端は重い。従って、それを自在に操ることは難しい。
だが大男は、丸太のような腕で長い柄を握り締め、余裕の表情でそれを構えている。鋭い穂先が、師範代にぴたりと狙いを定めていた。
その穂先を目の前にしながら、表情一つ変えることなく、師範代が腰の剣を抜いた。
諸刃の、レイピアよりやや幅広な剣。
両手で握られたその剣は、一般的な両手剣よりも刀身が短く、攻守ともに素早い取り回しができそうだ。
間合いで言えば、圧倒的にハルバートが有利。槍でも斧でもないその武器が、いったいどんな動きを見せるのか予測もしにくい。
それでも師範代は、何の恐れげもなく、その穂先に向かって距離を詰めていった。
「てめぇ」
大男の毛が逆立つ。
「俺をなめるなよ!」
声と共に、ハルバートの穂先が鋭く突き出された。
狙いは喉元。
その重量からは想像できないほどの速い突き。
しかし師範代の体は、その穂先が動き出す”少し前から”横に動き始めていた。まるで最初から分かっていたかのように、紙一重で突きをかわして一気に前に出る。
そのまま、目を見開く大男の懐に飛び込んで、下から剣を振り上げた。
「勝った!」
誰かが叫んだ通り、あっという間に勝負はついた。
と思われた、次の瞬間。
ガキッ!
剣が、大男のガントレットに弾かれた。
今度は、師範代の目が大きく開かれる。
「甘いぜ!」
片手で剣を弾きながら、大男が驚くべき俊敏さで後ろに身を引いた。
それに合わせて、もう片方の手で握られていたハルバートの鉤爪が、真後ろから師範代に迫る。
「くっ!」
両足に全身の力を込めて、師範代が真横に跳んだ。
その頬をかすめながら、鉤爪が唸りを上げて通り抜けていく。
互いに体制を立て直して、二人は再び対峙した。
大男が、にやりと笑う。
「今のが”先読み”ってやつか」
師範代の頬が、ピクリと跳ねた。
「あいつ、強いぞ」
門下生の一人が呻く。
ガントレットは、腕を守るための防具だ。それをあのタイミングで、片手だけをハルバートから放して、下から向かってくる剣を弾くなどという使い方を咄嗟に思い付くだろうか。
「実戦じゃあ、何でもありなんでね」
大男の言う通り、それは道場のような決まり事のない、まさに実戦で身につけたものに違いない。
大男が不気味に笑っている。
師範代は、その目の前で焦りの表情を浮かべていた。
先読みは、相手の身体、表情、目、そして魔力の流れまでをも見極めて、その動きを読む。それは、初手だけではなく戦っている最中にも行われる。
ゆえに、求められるのは冷静さ。刃が目の前に迫り来る中でも相手を見極められる、静止した水のような心。
「くそっ!」
師範代が小さく吐き捨てた。自分が戦える心理状態ではなかったことを、今さらながらに自覚する。
そして、それは動揺につながっていった。
落ち着け、落ち着け!
必死に気持ちを鎮めようとするが、鼓動は早いまま、脈は不規則なままだ。
そんな師範代を嘲笑うかのように、大男が前に出た。
「所詮、道場育ちのひよっこだったってことだな」
ハルバートの穂先が、師範代を威圧する。
師範代が、じりじりと下がっていく。
「終わりだ」
冷静な声が、その大きな身体から聞こえた。同時に、ハルバートが鋭く突き出される。
さきほどと同じく鋭い突き。
しかし、その突きには強烈なひねりが加えられていた。
斧頭と鉤爪が、回転しながら師範代に迫る。まるで、真横に動く小さな竜巻。
それを紙一重でかわすことは不可能だ。
「師範代!」
門下生たちが一斉に叫んだ。
あれは避けられない!
刹那。
ガキィーン!
大きな金属音とともに、師範代の剣が弾け飛んだ。
「ほほぉ」
大男が、今度は感心したように目を見張る。
師範代は、剣の腹でハルバートの穂先を受け止めていた。
その勢いに剣は弾き飛ばされてしまったが、自らの身体も後ろに逃がすことで、大男の攻撃を見事に防いでいる。
「なかなかやるじゃねぇか」
大男が、三度にやりと笑った。
師範代は武器を失った。ここで降参するのが筋。
にも関わらず、歯を食いしばったまま、師範代は大男を睨み付けていた。
「いちおう、ここは道場だ。降参すれば引いてやるぜ」
大男が師範代を見下ろす。
師範代が、目を血走らせて下から睨む。
そして、苛立ったように言った。
「ふざけるな! 俺はこの道場の師範代だ。降参などできるはずが……」
「降参だ!」
突然、どこからか大きな声がした。
その場にいる全員が、驚いて声の方向を見る。
道場の門に、男がいた。
優しげな顔立ちと、それとは真逆の引き締まった身体。静かに、悠然と男は立っている。
その男が、門下生たちを見てニコリと笑った。
途端。
「先生!」
門下生たちが、喜びの声を上げながら男のもとへと駆け寄っていった。
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