東の国

「俺は一度帰ります。後で片付けますから、食べ終わったものはそのままにしておいてください」


 そう言って、ウィルは小屋を出ていった。

 布団の中からそれを見送って、ミズキは身体を起こす。そして、枕元の土鍋のふたをそっと開けた。

 途端に、甘くて懐かしい匂いが部屋中に広がっていく。


「久し振り」


 小さくつぶやいて、ミズキはお椀にお粥を取り分けた。

 木のスプーンで、それを口許まで運ぶ。


「ふぅ、ふぅ」


 お粥をちょっとだけ冷ます。

 そして。


 はむ……


 お粥を、口に入れた。


「おいしい」


 塩で味付けされただけのシンプルな味。

 だけどそれは、人生の中で一番の、間違いなく最高の味だった。


「おいしい」


 つぶやきながら、ミズキはお粥を食べる。

 時々鼻をすすりながら、ミズキはお粥を食べ続けた。


 食べ終わったミズキは、台所で土鍋と食器を洗った後、再び布団に戻ってきた。その目が、手製の刀掛けに置かれた剣を捉える。

 剣は、しっかりと鞘に納められていた。


 ミズキが、顔をしかめる。


「ふぅ」


 小さく息を吐き出して、ミズキはその剣を手に取った。そして、ゆっくりと鞘から抜く。


「!」


 刀身を見たミズキが、目を丸くした。

 賊の首領との戦いで、剣は小さく刃こぼれしている。それはもちろんそのままだ。

 しかし、その刀身はきれいに磨かれていた。血糊も脂もきちんと拭き取られていて、汚れはまったくない。


 パチン


 ミズキが、剣を鞘に納める。

 それを刀掛けに置き直して、静かに布団にもぐった。


「ウィル……」


 小さくつぶやいたその顔には、微笑み。

 嬉しそうな、ちょっと恥ずかしそうな微笑み。


 お腹は満たされた。あと一眠りすれば、きっとずいぶんスッキリするだろう。

 それなのに、ミズキはなかなか寝付けなかった。よく分からないふわふわした気持ちに悩まされながら、ミズキは、布団の中でいつまでも悶々としていた。



 コトコトコト……


 何かを煮ている音がする。

 ミズキは、ゆっくりと目を開けた。今度はかなり意識がはっきりとしている。首を横に向けて台所を見ると、そこにウィルがいた。

 ミズキが静かに身体を起こす。

 その気配を感じたのか、ウィルが振り返った。


「おはようございますって、もう夜ですが」


 穏やかにウィルが笑う。


「あの……」


 ミズキが口を開いた途端。


 くぅぅぅ


 ミズキの顔が真っ赤に染まる。


「良くなった証拠ですね」


 ウィルの言葉に、ミズキは何も返せない。


「ちょうど雑炊ができたところです。これを食べれば、きっともう大丈夫でしょう」


 言いながら、お盆に載せた土鍋とお椀、そして木のスプーンを運んできた。

 台所は、土間。そこからミズキの寝ている板の間に上がる時、ウィルが、靴を脱いだ。

 ミズキがちょっと驚く。


 そう言えば、お粥の時も……


 ミズキの真横にやってきたウィルは、膝を折ってお盆を床に置くと、そのまま正座をした。

 その動きを、ミズキがじっと見つめる。

 その顔を、ウィルが穏やかに見つめ返す。

 見つめられたミズキは、慌てて視線を外して言った。


「その……いろいろすまない」

「いえ、気にしないでください」


 ウィルは、やっぱり穏やかな表情のまま、土鍋からお椀に雑炊を取り分けた。


「鶏肉入りの、卵雑炊です」


 差し出されたお椀を、ミズキは両手で受け取った。見た目も香りも、ミズキの食欲を大いに刺激する。

 これ以上恥ずかしい思いをするまいと、ミズキは躊躇うことなく雑炊を口に入れた。


 はふ、はふ……


 口の中で雑炊を冷ましながらそれを味わう。そして、慎重に飲み込んだ。


「……おいしい」

「よかった」


 ウィルが笑う。


 開き直ったように、勢いよくミズキは雑炊を食べた。一杯目はあっという間に無くなってしまう。


「おかわり、どうですか?」


 ウィルの言葉にも、素直にお椀を差し出した。

 二杯目を平らげて落ち着いたミズキが、三杯目を受け取りながら、ウィルをちらりと見る。


「その、この米は、どこから……」


 目を伏せたまま、ミズキが聞いた。

 ウィルが答える。


「これは、大陸の東にある小さな国から持ち帰ってきました」

「大陸の東?」

「はい。その国では、お米が主食のようでした。人々は、神々を祀り、伝統を大切にしながら日々を過ごしています。武術も魔法も独特で、こちらとはずいぶん違うところがありました」

「どうしてその国に行ったのだ?」

「俺の流派の開祖が、その国で奥義を極めて戻ってきたと言われてるんです。だから俺も、一度はその国に行ってみたいと思って、五年前に旅に出ました」

「では、あの時会ったのは……」

「そうです。ちょうど東に向かう途中でした」


 ウィルが笑う。


「旅に出ることをだいぶ迷ったのですが、やっぱり行って良かったと思います。俺はそこで、大きなものを得ることができましたから」


 そう言うと、彼の地に思いを馳せるように、ウィルが目を細めた。


「刀の扱いもそこで学びました。ただ、本格的に勉強した訳ではないので……。刀の手入れ、大丈夫だったでしょうか?」


 その目が刀掛けに向けられる。


「問題ない。大丈夫だ」


 ちょっとぶっきらぼうに、ミズキが答える。


「そうですか。良かった」


 安心したように、ウィルが笑った。


「それにしても、驚きましたよ。この刀、太刀、でいいんでしょうか? ダンジョンでしか手に入れることのできない秘宝だと思っていたのですが、人間の手で作られたものだったんですね」

「まあ、そうだ」

「あの国で当代随一と言われる名工が作った刀をいくつか見せていただきましたが、どれも信じられないような名剣ばかりでした。これも、きっと名のある鍛冶師の手によるものなんでしょう?」


 いかにも武芸者らしく、剣の話になると目の輝きが違った。

 問われたミズキが黙り込む。

 しばらく黙っていたミズキが、ぼそっと答えた。


「これは、私が打ったものだ」

「……えっ?」


 ウィルが、ミズキを凝視した。


「これを、ミズキさんが打ったのですか?」

「そうだ」


 驚きで口が半開きになっている。


「その……ミズキさんは、鍛冶師なんですか?」

「そうだ」


 ウィルが、まじまじとミズキの顔を見た。

 その目が突然大きく開く。ウィルは、かの国で出会った一人の女性の姿を思い出していた。


「もしかして、あなたは……」

「私の家は、代々刀鍛冶を生業にしていた。私は、その家の次女として生まれた」


 ミズキが、愛刀に目をやりながら、静かに語り始めた。

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