ご隠居
老人が、ゆっくりとミナセに歩み寄っていった。
構えを解いて、ミナセが一礼する。
「ミナセさんと言ったか。あんた、なかなかやるのぉ」
細い目をさらに細めて、老人が笑った。
「あ、いえ」
老人の持つ不思議な雰囲気に気圧されながら、ミナセが答えた。
「シュルツもご苦労じゃったの。休んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
疲れた顔のシュルツが、一礼して下がろうとする。
「ちょっとおやじ! 決着はまだ……」
息子である社長が老人に詰め寄るが、老人はそれを無視してシュルツに聞いた。
「シュルツ、どうじゃな?」
額の汗を拭いながら、シュルツが答えた。
「はい。彼女は、間違いなく強いです」
そう言って、シュルツは扉の向こうに消えていった。
「と言うことじゃ。お前にだって分かっとるじゃろ?」
「うーん、まあ、そうですね」
社長が渋々答える。
「あの先が、もう少し見てみたかったのですが」
やや不満げに付け加えながらも、父親に逆らうつもりはないらしい。
「ミナセさん、合格です。早速、明日の護衛をお願いしたいのですが、大丈夫でしょうか?」
ミナセが、ホッとしたように小さく息を吐いて、マークを見た。
マークが、大きく頷いた。
「ありがとうございます。明日、大丈夫です。よろしくお願いします」
翌日、ファルマン商事の本店前。
事前に説明を受けた経路や注意点を思い出しながら、ミナセは集金担当の社員が出てくるのを待っていた。
アルミナの町は、町外れやスラム街を歩かない限り、強盗などに襲われる心配はほとんどない。ファルマン商事の店舗は大通りに面していることが多く、危ない場所はあまりないと思われた。せいぜい、ひったくりに気を付けるくらいだろう。
それでも、移動中はかなりの金額と、それを入れる貴重なアイテム”マジックポーチ”を持って歩くことになる。
「油断はできない」
気合いを入れ直して背筋を伸ばしたその時、扉を開けて人が出てきた。
「待たせたの」
「ご隠居様!?」
そこには、白髪髭を生やした温厚な顔立ちの老人、ファルマン商事の先代社長が立っていた。
「ご隠居様が集金を担当されているとは、思ってもみませんでした」
ミナセが、歩きながら率直に言った。
「ほっほっほ。まあ毎回ではないがの。運動不足解消も兼ねて、時々やらせてもらっておるんじゃよ」
そう言って歩くご隠居の足取りは、なかなかしっかりとしたものだ。
二人は、世間話をしながら店舗を回っていく。
今回の集金対象は五店舗。いつもよりは少ないらしい。
だがご隠居の集金は、店舗の社員と話をしたり、客の入りや外装などを見て回ったりするので、意外と時間が掛かる。自由に時間が使える隠居の身を利用して、現場の状況をじっくり確認しているのかもしれなかった。 大きな組織は、現場の状況が上層部に伝わらないことも多い。集金業務は、大切な情報収集の機会でもあるのだろう。
ミナセは、少し前を行くご隠居からつかず離れずの距離を保ち、常に周囲の警戒を怠らない。
「ほっほっほ。そんなに気を張り過ぎると、疲れてしまうぞい」
最後の店舗に向かう途中で、ご隠居がミナセに声を掛けた。
「ありがとうございます。でも、これが仕事ですので」
ミナセが答える。
「真面目じゃの。まあ、不真面目よりはいいがの」
ほっほっほ
ご隠居が笑う。
「じゃがの、あんまり背負い込み過ぎるのもよくないぞ」
声のトーンが、ふいに落ちた。
「おぬし、何か大きなもの、それも、あまりよくないものを抱え込んでおるの」
「!」
驚いて、ミナセがご隠居を見た。
ミナセの答えを待つことなくご隠居が続ける。
「わしはの、おぬしのような、真っ直ぐな人間は大好きじゃ。何かに向かって精進し続ける姿は、本当に美しい」
そう言って、首だけを軽く後ろに向ける。
「しかしの、おぬしが目指しているものは、おぬし自身に幸せをもたらしてくれるのかの?」
ミナセが大きく目を見開き、そして、ご隠居から視線をそらした。
「おぬしの目指すものが幸せをもたらすものであるならば、その姿は光り輝いて見えることじゃろう。じゃが、おぬしは違う」
その声が、さらに一段落ちる。
「おぬしからは、暗い影を感じる」
ご隠居の言っていることは、曖昧でどうとでも取れる内容だ。
だが、ミナセの心には、重く、鋭くその言葉が突き刺さっていた。
ご隠居が立ち止まる。振り返って、ミナセを見つめる。
ミナセも立ち止まる。立ち止まって、地面を見つめる。
どのくらいの時間が過ぎただろう。
ふいに、空気が和らいだ。
「ほっほっほ。まあ、そんなことを言うても仕方がないことよのぉ」
笑いながらご隠居が言った。
「真面目で真っ直ぐなおぬしだからこそ、いろいろ背負い込んでしまうのじゃからな」
前を向いて、ご隠居が歩き出す。
「じゃがの、張り詰めた糸は、簡単に切れてしまうものじゃ。心安らぐ時間や、気の合う仲間と過ごす時間があってもいいと、わしは思うがの」
そう言うと、歩みを止めて、もう一度ミナセを振り向いた。
「すまんかったの、変なことを言うてしもうて」
ご隠居が軽く頭を下げる。
「あ、いえ、そんな……」
どうしていいか分からずに、慌ててミナセも頭を下げた。
「わしはの、おぬしのような人間は、大好きじゃ」
優しい顔でご隠居が言う。
「じゃからの、年寄りが人生から得た教訓を一つ、おぬしに伝えておきたいのじゃ」
ご隠居が、ミナセの目を見る。
「おぬしが抱えてるものを、放り出せなどとは言わん。じゃが、それを一人で抱え込んではいかん」
再び歩き出しながら、ご隠居が言った。
「おぬしのところの社長、あやつは頼りになると思うぞ」
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