失敗

 ファルマン商事の集金護衛は、無事に終わった。ご隠居からは「次も頼むぞ」と言われたので、いずれまた声が掛かるだろう。

 仕事はきっちりこなした。しかし、ミナセの心は晴れない。

 考え込みながら戻ってきたミナセをマークは心配したが、「大丈夫です」と無理矢理笑って、ミナセは宿に戻った。


 その日以降、ミナセは少しずつ仕事の幅を広げていった。家事の補助や引っ越しの手伝い、そして店番などの仕事が増えていく。

 護衛や警備の仕事は、数が少なかった。そういう依頼は、冒険者ギルドか傭兵ギルドに出すのが普通だ。今にして思えば、ファルマン商事という大企業から護衛の仕事を取ってきたマークは、結構凄いのかもしれない。


「おぬしのところの社長、あやつは頼りになると思うぞ」


 ご隠居に言われたこともあって、ミナセはマークのことをよく見るようになっていた。

 マークは穏やかだった。ミナセが妙なプレッシャーを掛ける時を除いて、マークはいつも笑っていた。自身でも依頼をこなしながら、営業活動にも手を抜かない。時々ではあるけれど、警備や護衛の仕事も取ってきてくれる。

 そんなマークを見ているうちに、いつの頃からか、ミナセは振られる仕事を素直に受けるようになっていった。



「あんたがいるだけで、店の売上げが全然違うんだよねぇ」

「そんな、私なんて」


 金物屋の主人に言われて、ミナセが恥ずかしそうにうつむく。


「あんた、料理も上手なんだねぇ」

「お口に合いますかどうか」


 イスに腰掛けるおばあちゃんに手を貸しながら、ミナセが微笑む。


「いつまで掃除してるんだ! 早く買い物に行ってこい!」

「すみません!」


 杖を振り回すおじいちゃんに怒鳴られて、ミナセが慌てて走り出す。


 褒められたり怒られたり、笑ったり落ち込んだり。

 慌ただしく日々は過ぎていくが、徐々にミナセは、何でも屋の仕事に慣れていった。


 そんなある日。


 ミナセは、集金代行の仕事で町を歩いていた。ある問屋からの依頼で、取引先を回って売掛金を回収してくる仕事だ。

 初めて担当する客だったが、マークが作ってくれた資料のおかげで、取引先の場所を探して彷徨うようなことはなさそうだ。

 ただ、ファルマン商事の仕事と違って、取引先や経路が表通りばかりとは限らない。ミナセは、気を抜くことなく十数件の取引先を回っていった。


「よし、ここで最後だ」


 店の主人からお金を預かり、領収証を渡して、ミナセは店を出た。

 ここから依頼主の問屋まではそう遠くない。緊張が緩んだせいか、急に喉の乾きを感じたミナセは、甘い飲み物を買って木陰で休むことにした。


 木の根本の岩に腰を掛けて、一息つく。

 腰にくくりつけていた集金袋を横に置いて、ミナセは喉を潤した。


 風が気持ちいい。歩きずくめで火照った体が冷やされていく。

 ふと通りを見れば、父親に手を引かれてよちよちと歩く小さな女の子の姿があった。

 平和な光景に微笑みながら、その裏で、ミナセはご隠居の言葉を思い出していた。


「おぬしが目指しているものは、おぬし自身に幸せをもたらしてくれるのかの?」


 ご隠居は、ミナセの過去を知っている訳ではない。ミナセから受けた印象をそのまま言葉にしただけだろう。

 だがその言葉は、ミナセの胸に焼き付いて、いつまでたっても消えることがなかった。


 目的を果たした時に感じるもの。それは、おそらく幸福感ではないだろう。

 しかし、過去に決着を付けないままでは前に進めない。幸せにも、きっとなれない。


 そう思ってきた。


 心安らぐ時間、仲間と過ごす時間。そんなものがあってもいいと、ご隠居は言っていた。


 自分には、ない。

 それでも。


 私の優先事項は変わらない。私は、あの出来事を決して忘れることはない。

 ご隠居の言葉で心を乱すなど、愚かなことなのだ。


 そう思うのに。

 気にすることはないって、そう思うのに。


 どうして私は、こんなにも……


 取り留めのないことを考えていたミナセは、近くで遊ぶ子供たちの声で我に返る。


「いけない、休み過ぎた」


 意外と長くその場所にいたようだ。陽が少し傾いている。慌てて立ち上がると、ミナセは急いで依頼主の問屋に向けて歩き出した。


 歩調を速めながらしばらく歩いていると、何か違和感を感じる。

 何かを忘れているような……。


「しまった!」


 ミナセの顔から血の気が引いていった。

 集金した売掛金の袋を、休憩していた場所に置いてきてしまったのだ。


「頼む、残っていてくれ!」


 ミナセは、全速力で先ほどの場所に戻って腰掛けていた岩の横を見た。

 だが。


「……ない」


 鼓動が早くなる。

 ミナセは、周辺をくまなく探した。近くで遊ぶ子供たちにも聞いてみた。

 だが、やはりなかった。


 どうしよう


 敵を前にしても常に冷静なミナセが、明らかに動揺していた。

 頭に血が上って、まともな考えが出てこない。


 こんな時……


 こんな時、マークならどうする?


 脳裏に、いつもの笑顔が浮かんでくる。

 その顔が「落ち着け」と言っているような気がした。


 ミナセが、大きく深呼吸をする。

 もう一度深呼吸をする。


 そしてミナセは、当然と言えば当然の答えに辿り着く。

 ミナセは、腹をくくって歩き出した。



「ふざけるな!」


 問屋の主人が怒鳴る。


「申し訳ありませんでした!」


 ミナセは、腰を直角に折り曲げ、深々と頭を下げていた。


「謝って済む問題じゃないんだよ。そんなの分かってるだろ!」


 立て続けに怒鳴られるが、ミナセは謝るしかない。


「本当に申し訳ありませんでした!」


 何回目かの謝罪の言葉を口にした、その時。


「遅くなりました!」


 知らせを受けたマークが飛び込んできた。


「社長……」


 ミナセが、泣きそうな顔でマークを見る。

 マークはミナセに一つ頷くと、頭を下げながら問屋の主人に詫びた。


「お話は伺いました。本当に申し訳ありませんでした。お金は全額弁償します。どうかお許しいただけないでしょうか」


 全額弁償という言葉にやや勢いを落としながらも、主人は、険しい表情のまま再び怒鳴る。


「弁償するのは当たり前だ! 明日中に全額耳を揃えて持ってこい! もうお前のところには頼まん!」


 最後の怒りをマークにぶつけて、問屋の主人は奥へと引っ込んでいった。



 夕暮れの町を、ミナセはマークと並んで歩いている。その姿はしおれていて、いつもの凛々しい姿はどこにもない。

 黙って歩いていたマークが、ミナセに話し掛けた。


「ご飯でも食べに行きましょう」


 そう言うと、ミナセの返事を待たずに、時々食べに行くという食堂へ向かう。


「そのお店、味も悪くないんですけどね、ホールにいる女の子が、すごく感じがいいんです。いつも元気でニコニコしてて、その笑顔を見ていると、何だかこっちも元気になってくるんです」


 そんなことを言いながら、エム商会の事務所から少し離れたところにある食堂、”尾長鶏亭”に入っていった。



「いらっしゃいませ!」


 明るい声が出迎える。


「あっ、社長さん。今日は早いんですね!」


 声の主が駆け寄ってきた。


 この子が社長の言っていた……


 年は、おそらく十四、五才。軽やかに揺れる栗色の髪と、嬉しそうに煌めく茶色の瞳がミナセの心へ無条件に飛び込んでくる。

 賢そうな、元気いっぱいの、おひさまみたいな美少女である。


 ミナセが思わず見入っていると、少女が目を輝かせながらミナセの前に立った。


「わあっ、きれいな人!」


 キラキラした笑顔でミナセを見つめる。


「社長さんの恋人さんですか?」


 いきなりびっくりするようなことを聞いてきた。


「あっ、いえ、違います!」

「あははは。それは失礼だよ」


 動揺するミナセの横で、マークが笑いながら言った。


「こちらはミナセさん。うちの、自慢の社員さ」


 自慢の社員


 その言葉に、ミナセが目を伏せる。


「そうなんですか? 勘違いでした、ごめんなさい! 私、リリアって言います。よろしくお願いします!」


 リリアと名乗った少女がペコリと頭を下げる。そんな仕草も愛らしい。

 ちょうどその時、ほかの客が入ってきた。


「社長さん、すみません。後でお席に伺います」

「あ、じゃあいつもの二つね」

「分かりました!」


 マークに返事をしながら、入ってきた客に向かってリリアが駆け出していった。



 互いに向き合って席に座ると、ミナセは「ふぅ」と小さく息を吐き出した。


「ねっ、元気な子でしょう?」

「そうですね。ちょっと、その、ビックリしましたけど」


 ミナセが苦笑いをする。

 すると、マークが嬉しそうに言った。


「やっと笑ってくれました」

「!」


 ミナセが驚く。

 そして、上目遣いでマークを見た。


「あの、怒らないんですか?」


 小さな声で、ミナセが聞いた。

 笑いながら、マークが答えた。


「だってミナセさん、さっき散々怒られてたじゃないですか」


 またもや驚いて、ミナセは目を丸くした。


「怒られれば、誰だってそのことを強く記憶する。だから、失敗したら誰かが怒る必要はあると思います。だけど、ミナセさんはもう二度とあんな思いはしたくないって思っているでしょう?」

「それは、そうです」

「だったら、もう怒る必要はありません」


 マークが、顔の前で手を組んでミナセを見つめた。


「人間は、誰だって失敗するものです。強い人も弱い人も、地位のある人もない人も、みんな同じです」


 大切なのは、とマークが続ける。


「できるだけ失敗しないように工夫をしたり、同じ失敗を繰り返さないようにちゃんと反省できるかどうかなんだと思います」


 それにね、と言いながら、今度は自分の膝の上に手を置いて姿勢を改めた。


「ミナセさんの失敗は、社長である俺の失敗でもあります」


 真面目な顔でマークが言う。


「だから、次の仕事に向けて、二人で反省会をしましょう!」


 そう言って、マークはまた笑った。

 釣られてミナセも笑う。今度こそミナセは、ちゃんと笑っていた。



「どうぞごゆっくり!」


 お皿を置いてリリアが去っていく。


「じゃあ食べましょうか」


 料理を見ながらマークが言う。

 出てきた料理は、この店の定番メニューらしい。


「いただきます」


 手を合わせ、フォークをゆっくりと取り上げて、マークが食べ始める。何度も食べているであろうその料理を、マークはじつに美味しそうに食べた。


 口の中で味わい、飲み込んで小さく息を吐く。

 次の一口をちょっと眺めた後、パクリ。

 口の中で味わい、飲み込んで口元を緩める。


 何とも幸せそうなその姿を見て、ミナセは思った。


 不思議な人


 気が付くと、ミナセは小さく微笑んでいた。


「いただきます」


 微笑みながら、ミナセもそう言って一口。


「……美味しい」

「ですよね!」


 嬉しそうなマークに頷きながら、ミナセは食事を続けた。食欲などないと思っていたのだが、マークと食べる夕食は、意外なほどに美味しいとミナセは思った。



 食事を終えた二人は、ゆったりとお茶を飲んでいた。ミナセの気持ちは、食事の前とは比べものにならないくらい落ち着いている。

 それでも、今日の出来事を簡単にリセットできてしまうほど、ミナセの切り替えは早くなかった。


「今日はすみませんでした」


 ミナセがもう一度詫びる。そして、まだきちんと話していなかった、集金袋を無くした時の状況を説明した。



「まあ、考え事をしてボーっとしちゃうことって、誰にでもありますよね」


 話を聞き終えて、マークが言う。


「単純な対策としては、依頼主に渡すまで腰から袋を外さない、なんていうあたりでしょうが」


 マークが、ミナセを見つめる。


「根本的には、ミナセさんの注意力を奪ってしまうほどの悩みごと、ですか? を解決しないといけないんでしょうね」


 穏やかにマークが言った。


 その通りだ。

 ミナセが抱えているものをどうにかしないと、これからも失敗を繰り返すことになるかもしれない。


「そうですよね」


 ミナセが答える。

 答えてミナセは考えた。


 旅の途中でも様々な経験をしてきたが、こんなに心が不安定になることはなかった。秘めた思い、大きな決意を胸に、修行に励んでこられた。

 だが、ご隠居の言葉で自分は揺れている。本当にそれでいいのかと、もう一人の自分が問い掛ける。


「それを一人で抱え込んではいかん」


 耳から離れないその声に押され、テーブルを見つめていたミナセが、ぽつりぽつりと話し始めた。


「私は、ある出来事がきっかけで、故郷を離れて旅に出ました。その出来事を清算するために、剣の修行を続けてきました」


 目を伏せたまま、ミナセが語る。


「でも、最近少し悩んでいるんです。自分の目指していることは本当に正しいのだろうか、それほど過去にこだわる必要があるんだろうかって」


 話をしながら、ミナセは同時に考える。

 今ここで、マークに打ち明けるべきなのだろうか?


「その出来事というのは」


 そう言いながら、ミナセは同時に考える。

 打ち明ければ、楽になれるのだろうか?


「その……」


 ミナセの思考が、いつもと同じところを回り始めた。


 マークに打ち明けたところで……


「今はまだ……」


 回り続けて、結局いつもと同じ結論に辿り着いた。


「……すみません」


 ミナセが頭を下げた。


「もう少し、時間をください」


 やはりミナセは、マークに打ち明けることができなかった。話そうと思ったのに、せっかくご隠居に背中を押してもらったのに、やっぱりミナセはマークに話すことができなかった。

 理由は、自分でもよく分からない。

 だが、そんな自分を腹立たしく、情けなく思っていることだけは間違いなかった。


「まあ、いつか話せるようになったら、話してください」


 言われたミナセが、ちらりとマークを見て、すぐにまた目を伏せる。


「すみません」


 一瞬だけ見えたマークの顔。少し寂しそうに微笑むその顔が、ミナセの心を締め付ける。

 ミナセは頭を下げ続けた。

 拳を握り締め、唇を噛み締めながら、ミナセはひたすらマークに頭を下げ続けていた。

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