幕間-ミナセの休日-

形見の剣

「たとえば、五十メートルくらい離れたところでね、私が詠唱を終えるまでじっと待っててもらうの」

「そんなに離れるんですか?」

「そうよ。それでも心配なくらいだわ。それでね、そこから絶対に下がっちゃダメなの。私に向かってくるっていう決まりにしてもらってね」

「条件多いですね」

「仕方ないじゃない。それでね、私が合図をしたら、そこから試合が始まるの。そうすれば、私でも勝てるかもしれないわ」

「ほかに方法はないんですか?」

「そうねぇ。あとは、体に百キロくらいのおもりをつけてもらって、私がフライで飛んで、空から攻撃するとか……」

「それ、もう試合じゃない」


 朝の修行を終えたフェリシアが、リリアとシンシアに語っているのは、”どうやったらミナセに勝てるか”について。

 修行に参加するようになってから数日が過ぎたが、フェリシアは、ミナセに毎回完敗だった。


 無詠唱、さらには動きながらでも魔法を発動できるフェリシアが、ほとんど魔法を撃たせてもらえない。

 魔法を撃とうと思った次の瞬間には、あっさり懐に飛び込まれているか、投げられて景色がひっくり返っているかだった。


 一度だけ、庭の端と端に分かれてそこから試合を始めてもらったことがあったが、最速で発動できるフレームアローを数発撃ったところで終わった。

 当然、フレームアローはミナセにかすりもしない。


 並の相手なら体術だけでも楽に勝てるフェリシアだったが、ミナセには、何をしてもまったく勝てる気がしなかった。


 目の前には、ヒューリと激しく打ち合うミナセがいる。

 その木刀が、乾いた音を響かせてヒューリの右手の木刀を叩き落とした。


「いっつぅ!」


 思わずしかめたその顔の鼻先に、ミナセが木刀を突きつける。


「今の攻撃は悪くなかったが、意識が次の動作に移るのが早い。もう少し意識を残しながら……」


 ミナセの言葉に、ヒューリが口を尖らせた。


「あれをかわして反撃できるやつなんて、ミナセくらいだっつぅの」

「うん? 何か言ったか?」

「いいや、何でもない!」


 すぐ近くで見ていたにも関わらず、三人には何が起きたのかまったく分からない。

 周辺諸国にその名を知られた傭兵団、漆黒の獣。その団長を、まったく寄せ付けずに圧倒したヒューリ。

 そのヒューリの一段上に、ミナセはいた。


「そろそろ時間か。今日はここまでだな」


 ミナセの言葉で全員が直立する。


「ありがとうございました!」


 今日も厳しい修行が終わった。



「リリア、今日は少し早めに来るよ。先に台所を借りて仕込みを始めようと思う」

「分かりました! それまではゆっくり休んでくださいね」


 リリアと短いやり取りをして、ミナセは事務所をあとにした。


 今日は平日だが、ミナセは休みだ。

 護衛の仕事を積極的に受けていることもあって、ミナセは平日に代休を取ることが多くなっている。

 それでも、朝の修行にだけは必ず顔を出していた。


 今夜は、フェリシアの歓迎会だ。例によって、事務所で手料理パーティーを予定している。

 今回はミナセがメインの料理を作ることになっているので、少し早めに行って準備をするつもりだ。


 ミナセは、すでに作るものを決めていた。


「あれなら、間違いなく社長は喜んでくれるはず」


 主役のフェリシアは、食べ物にこだわりはないと言っていた。それなら、自分の作りたいものを作る。

 だから、マークが喜びそうなものを作る。

 ごく自然にそう考える自分に、ミナセは疑問を抱いていない。


 マークは、自分で料理をしないかわりに、どんなものでも美味しそうに食べた。リリアが何度か好きな食べ物を聞いていたが、「何でも大丈夫だよ」と笑うばかりで、これと言った好みは分からない。


 しかし、ミナセは気付いていた。


 マークは、社員の誰かが作った手料理が出てくると、それを食べる前に、ほんの少しだけ間を空ける。そして飲み込んだ後、少しだけ目を細める。

 同じ料理でも、食堂で食べる場合や、お店で買ってきた場合はその動作がない。


 社長は、手料理が好き。


 一度だけ、買ってきた惣菜を黙って手料理と一緒に並べてみたことがあるのだが、その惣菜だけは”普通に”食べていた。

 どうやって見分けているのか分からないが、マークは手料理をしっかりと判別しているようだ。


 そんなマークが、同じように手料理を食べていても、普段より噛む動作がゆっくりになり、飲み込んだ後、普段よりさらに目を細める料理がいくかあった。

 本当に少しの差。ごくわずかな違い。


 どんな料理も美味しそうに食べ、食べた後も満足げに微笑むマーク。


「好きな料理を作ってあげたいのに」


 リリアにこっそりため息をつかせるマーク。


 だが、ミナセは気付いていた。


「今日は、ハンバーグを作ろう」


 子供っぽいメニューだが、間違いなくマークが好きな料理の一つ。

 リリアにも黙っている、ミナセのちょっとした秘密。

 どうして黙っているのかと聞かれれば、明確な理由は分からない。だけど、この秘密だけは誰にも言うつもりはなかった。


 愛刀を預けてからマークのことを考えることが多くなったミナセは、自分の中のふわふわした不思議な気持ちに首を傾げながら、軽い足取りで町を歩いていった。



「卵もパン粉も、たしかまだあったな。ソースの材料も何とかなる。付け合わせは……」


 ぶつぶつとつぶやきながら、通りを歩く。


「挽き肉と野菜は後で買うとして、まずは香辛料だな」


 時々買いに行く専門店を目指して、ミナセは裏通りに入った。

 午前中の通りは、それほど人がいない。午後の、それも遅い時刻になればなるほど声を掛けられることが多くなるミナセにとって、落ち着いて買い物ができるこの時間は割と貴重だ。


 いつもの休日は、午前中に武器や防具の店を見て回り、旅人が多く集まる食堂で昼食を取って、少し町の中を歩いた後、宿の部屋でゆっくり過ごすことが多い。


「香辛料を買ったら、武器屋にだけは寄ってみるか」


 小さくつぶやきながら、靴屋の角を曲がる。

 途端に甲高い声が聞こえてきた。


「ぶつかってきたのはそっちだろっ!」


 声の主は、少年だ。

 その目の前には、一人の若い男がいる。


「うるせぇ! てめぇがフラフラ歩いてるのが悪いんじゃねぇか!」


 小さな子供とは言わないが、まだ声変わりもしていない少年に対して、大人げなく怒鳴り返している。


「今すぐに謝れば許してやる。じゃなきゃあ、痛い目に合うぜ」


 若い男が、突然ナイフを抜いた。

 大人げないを通り越して、これは危険だ。


 ミナセが驚いて目を丸くするが、その目がさらに大きく開いていく。

 少年が、腰に佩いてた剣を抜いたのだ。


「おいおい」


 ミナセの眉間にしわが寄る。


 ナイフを手にする男の構えもなっていないが、剣を握る少年の構えは、さらになっていない。腰は引けているし、手が震えている。お互いに素人もいいところだった。

 あれでは、どちらかがケガをする。


「そ、そんなボロボロの剣で、何ができるってんだ!」

「そ、そっちこそ、ナイフなんかで剣に勝てると思ってんのかよ!」


 そんな会話を聞きながら、ミナセはため息をつき、そして大きく息を吸い込んで、叫んだ。


「衛兵さん! 子供を殺そうとしてる奴がいます!」

「なにっ!?」


 若い男が、その声にビクリと反応した。周りを見回し、状況が把握できないまま、焦ったようにナイフをしまって走り出す。

 男は、転びそうになりながら夢中で逃げ去っていった。チンピラとも呼べない、ただ血の気の多いだけの男だったらしい。


「大丈夫か?」


 剣を握り締めたまま立ち尽くす少年に、ミナセが声を掛けた。

 少年の顔からは、完全に血の気が引いている。膝は小刻みに震えていた。


「まったく。そんなに怖いなら、剣なんか抜かないで逃げれば……」

「怖くなんかないやい!」


 少年が突然大声を上げた。

 さっきまで真っ白だった顔が、今度は真っ赤になっている。


 自分を睨み付ける少年を、ミナセは正面から観察した。


 身なりは、どこにでもいる町の少年のそれだ。

 体はそこそこ大きいが、声はまだ男の子。負けん気の強そうな顔をしている。

 持っている剣は、刃こぼれしていて錆びがひどい。鞘も含めて、まさにガラクタ。


「とりあえず、剣をしまえ」


 苦笑いするミナセを睨み付けて、しかし少年は、素直に剣を鞘に収めた。


「姉ちゃん、剣士なのか?」


 今度は、ミナセの剣を見ながら、興味津々という目で不躾なことを聞いてくる。

 コロコロと変わるその表情に、思わずミナセは微笑んだ。


「まあ、いちおうね。まだまだ修行中の身だけど」

「修行中かぁ。やっぱりね。そんな、どこにでも売ってる剣持ってるくらいだもんな」


 あまりに遠慮のない言葉に、ミナセは笑ってしまった。


「ははは。お前に言われたくはないけどな」


 ミナセに言われて、少年が頬を染めてうつむく。

 さすがに自分の剣がオンボロだという自覚はあるようだ。


「その剣じゃあ、まともに戦えないと思うぞ」


 ちょっとからかうように少年をのぞき込むミナセに、少年が、剣を抱えるようにして言った。


「こ、これは、父ちゃんの形見なんだ!」

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