死の世界
「社長、私が先頭を歩きます」
山道を登りながらミナセが言う。
「いや、大丈夫だ」
振り向くことなくマークが答える。
いつもなら、見ているだけで気持ちが落ち着くはずのその背中を、しかしミナセは心配そうに見つめていた。
山を越えれば、その先に魔物の生成場所があるはずだ。すでに敵の警戒区域に入っている可能性もある。
仮面の男。
ダナンの兄。
強力な精霊使い。
ダナンと初めて会った時、フェリシアでさえその魔力を直前まで探知することができなかった。ダナンは、索敵魔法を完全に打ち消すことができるのだという。フェリシアが五十メートル手前で探知できたのは、ダナンが魔力を打ち消すことを止めたからだ。
おそらく、仮面の男にも索敵魔法は通用しない。先制攻撃をすることも、向こうからの攻撃に備えることも難しい。
それはマークも分かっているはずだ。
それなのに、何度ミナセが申し出ても、マークは先頭を譲らなかった。
道は続く。ひたすら上っていく。
やがて一行は、周囲が見渡せる峠の頂に辿り着いた。
見下ろす先には、ダナンの情報通り盆地が広がっている。盆地の向こうは険しい山岳地帯だ。
エルドアと西の国々を隔てるその山々に、道らしい道はない。ごくまれに小規模な商隊が行き来をする程度で、西の国とは昔から交流がなかった。
眼下を眺めてリリアが言う。
「広いですね」
ヒューリもつぶやく。
「クランと変わらないかもしれないな」
盆地は、かなり広かった。ヒューリの故郷、盆地の国クランと比べても、その広さはあまり変わらない。
「でも、クランとは違う」
シンシアがつぶやく。
「クランは、平らだった。でも、ここには、変な山がある」
「たしかにな」
シンシアに言われて、ヒューリも頷いた。
盆地のあちこちに、奇妙な山がある。だが、それは山と言うには不自然だった。
斜面の角度はほとんど垂直。地面から突き出るようにそそり立つその様相は、草で覆われてはいるものの、巨大な岩と言われた方がまだ納得できる。
一つ一つ形の異なるその奇妙な山が、盆地の中にいくつもあった。
さらに。
「面白い畑があります!」
ミアが大きな声を上げた。
「すっごくきれいなまん丸です。あ、あっちにも!」
ミアが指さす方向を見て、マークが言った。
「畑じゃないな。フェリシア、どう思う?」
フェリシアが、険しい顔で答えた。
「間違いなく魔法陣です。それも、相当大きなものでしょう」
エルドア南東の荒野にあったそれは、直径百メートルほどだった。
しかし、今見えているものはその比ではない。これだけ離れていてあの大きさで見えるのだ。直径二百メートルではきかないだろう。
それが、複数ある。
「不自然な山々は、霊力の流れを調節するために作られたものだと思います。ここが魔物の生成場所で間違いありません」
フェリシアの言葉にマークが頷いた。
ダナンが教えてくれた、エルドアで最も霊力の集まる場所。だが、ダナンも実際そこに行ったことがある訳ではなかった。兄から話を聞いただけで、それがどれほどの規模なのかを分かっている訳ではなかった。
ゆえに。
「予想以上に大規模ですね」
驚きの表情でミナセが言った。
トロス砦を襲った魔物は、およそ二万。それを生成した場所があの荒野の魔法陣だとすると、この盆地で生成される魔物は、いったいどれほどの数に上るのか。
想像したくはないが、それでもやはりみんなは考えてしまう。
「ここで作られた魔物は、どこに行ったのかしら?」
ふとフェリシアが言った。
「そうだな」
ヒューリが腕を組む。
突然。
「村があります!」
リリアが大きな声を上げた。
みんなが目を凝らす。
「ほんとだ!」
みんなの視線の先、奇妙な山と魔法陣の間に建物がいくつかあった。よく見ると、盆地のあちこちに集落と思われるものがある。
だが、遠目に見ても、人が住んでいる気配は感じない。
クランと同じ広さの盆地なのだ。人が住んでいたとしてもおかしくない。しかし、ここは魔物の生成場所。
おそらくは……。
「行こう」
ふいにマークが言った。
「仮面の男は、ここにいる」
躊躇うことなく歩き出す。
「社長、分かるんですか?」
ヒューリが聞いた。
「根拠はない。ただの勘だ」
「……」
相変わらずのマークにヒューリが呆れる。
それでも。
社長の勘って、当たるからなぁ
表情を引き締めて、ヒューリが続いた。
ヒューリの後にみんなも続く。
みんなも、何となく感じていた。
ここが決戦の場になる
一行は、緊迫した空気をまとったまま山道を下りていった。
放置されてから何年も経っているに違いない。道も、建物も農地も、何もかもが荒れ果てていた。
「反応は?」
「ありません」
「気配は?」
「感じません」
一行は、これまで以上に慎重に進んでいく。
「霊力は?」
「もの凄く強い」
マークに聞かれて、シンシアが少し苦しそうに答えた。
クランにあった上級ダンジョン、ティアス坑道。あるいはエルドア南東の荒野。そのいずれも霊力は強かったが、ここに満ちている霊力はそれ以上だ。
「大丈夫?」
「うん、平気」
心配そうなリリアに、シンシアが笑ってみせる。だが、これまでと違って慣れるのには少し時間が掛かりそうだ。それほど、ここの霊力は強かった。
それを動物たちも感じるのだろうか。山を下りて以降、猫一匹、鳥一羽見ていない。
「これで草も生えてなかったら、完全に死の世界だな」
つぶやいて、ヒューリが道端の草むらをバサバサと払う。
「虫もいないんじゃないのか?」
植物以外の命を感じない。
本当に、この盆地には虫すらいないのかもしれなかった。
みんなの足音と、風が奏でる葉音しか聞こえない中を七人は歩く。
「そろそろ盆地の真ん中くらいじゃあ……」
ヒューリが言った、その時。
「反応!」
フェリシアが鋭く叫んだ。
「前方二百メートルに一つ……いえ、二つ!」
全員が前方に目を凝らす。
ミナセが素早く前に出る。
「あの集落の辺りか?」
「そうね。建物が邪魔でよく分からないけれど、魔力は強くないから、低級の魔物だと思うわ」
「分かった」
答えて、ミナセは後ろを振り返った。
「私が先行しましょうか?」
マークが即答した。
「いや、全員で行こう」
「分かりました」
素直にミナセは頷く。
ダナンの話を聞いて以来、誰かが単独で行動することをマークは許していなかった。
「フェリシアは私と一緒に前へ。リリア、シンシア、ミアは社長の護衛、ヒューリは後衛を頼む」
ミナセの指示で、みんなが動いた。
リリアが剣の覆いを外し始めた。
マークを守るように、みんなは進む。
「あと百メートル。目標はほとんど動かないわ」
「了解」
もう集落の建物がはっきり見えている。だが、魔物の姿は見えない。おそらく、建物の陰にいるのだろう。もしかすると、建物の中にもいるのかもしれない。
「ヒューリ、後方と、空の警戒も頼む」
「任せろ!」
魔物はともかく、仮面の男はどこからやってくるか分からない。
周囲の警戒をヒューリに任せて、ミナセは前方に集中した。
ふいに、その目が動くものを捉えた。それは、建物の陰からゆっくりと出てきた。
「人か?」
ミナセがつぶやく。
「おじいちゃん? それとも、おばあちゃん?」
後ろからミアの声がした。
たしかに、前方の人影の動きはとても頼りない。ボロボロの服を引きずって、びっこを引きながら歩いている。
「無事な人がいるなら助けないと!」
ミアが前に出た。
その肩を、フェリシアが強く掴む。
「ミア、だめよ」
「どうしてですか!」
激しく振り向くミアを、悲しそうな顔で見る。
「あの人は、もう助けられないわ」
ミアが目を開いた。
「あれは、人じゃない」
フェリシアが言った。
「あれは、アンデッドよ」
ミアが改めて前を見る。
そこにいたのは、肉が腐り落ち、白い骨が見えているのに、それでも動き続ける、人ではない存在だった。
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