帰郷
その日の夜は、ヒューリとシンシアが無理矢理女を席につかせて、四人揃って夕飯を食べた。
女と並んで座るリスティは、終始無言。その顔は、終始硬直。
そんなリスティを、ヒューリが遠慮なくいじる。暴走しがちなヒューリを、シンシアが遠慮なく黙らせる。
それを見て女が笑った。笑う女を見てリスティが驚き、頬を緩め、慌てて顔を引き締める。
賑やかな食事は夜遅くまで続いた。二人はそのまま泊まらせてもらって、フカフカのベッドでぐっすり眠った。
翌朝。
穏やかに微笑む女が三人を見送る。
「ほかの社員の皆様にも、どうぞよろしくお伝えください」
「分かった。こっちに来ることがあったらまた寄らせてもらうよ」
「はい。いつでも歓迎いたします」
深く頭を下げる女に手を振って、リスティと共に二人は家を後にした。
「俺は仕事がある。案内できるのは、この先の橋までだ」
「それだけでも助かるよ」
「朝食の時に話した情報は、少し前のものだ。変わっている可能性があることを忘れるな」
「そうだな、気を付ける」
「渡した資料は、頭に入れたら全部燃やせ」
「分かってる。お前に迷惑は掛けないよ」
淡々と話すリスティにヒューリが答える。
「それと、手紙の内容は承知したと、お前のところの社長に伝えてくれ」
「分かった。面倒掛けて悪いけど、頼む」
昨夜リスティは、マークからの手紙を受け取った。今はそれを、上着の内ポケットに入れている。この後、マークから頼まれたことの一つを実行するために王都に引き返すつもりだ。
国境までの道のりをリスティが説明し終えたところで、ちょうど三人は橋に到着した。
「いろいろ助かったよ。ありがとう」
「気にするな」
相変わらず無表情なリスティに、突然ヒューリが言った。
「今夜から、二人で座って食事をしろよ」
「!」
ヒューリの不意打ちに、リスティの目が広がる。
「それと、作ってもらった料理にはちゃんと感想を言え。無言で食べられると、作る方は張り合いがないからな」
偉そうなアドバイスをするヒューリを、シンシアが呆れながら見ている。
「ま、言いたいことはほかにもあるけど、とにかくお前は、あの人をもっと大切にするべきだな」
さらなる偉そうなアドバイスを聞いて、だが、それにはシンシアも大きく頷いた。
黙って聞いていたリスティが、無愛想に答える。
「余計なお世話だ」
答えたリスティは、しかし明らかに動揺している。
そんなリスティに、シンシアが馬を寄せた。その腕を握って、シンシアが言った。
「あなたは、幸せになるべき」
驚くリスティをシンシアが見つめる。
「あなたと、あの人の幸せを、祈ってる」
シンシアが、とても優しく笑った。
腕を握られたままで、リスティが言う。
「俺は、お前が苦手だ」
意表を突いた返事にシンシアが驚いた。
「その反応は、予想外」
シンシアが目を丸くする。
「だが」
シンシアから目をそらし、小さな声で、リスティが言った。
「お前と会えて、よかったと思う」
握る手に力を込めて、シンシアが答えた。
「私も、そう思う」
恥ずかしそうな微笑みと、嬉しそうな笑顔。
「じゃあ、行ってくる」
力強く手を振って、二人は馬を走らせた。
その背中を見送って、リスティが、また笑った。
リスティと別れた二人は、南へと向かった。そして、途中から街道を逸れ、大きく進路を東に変える。町や村、軍の駐屯地を迂回しながら慎重に進み、小さな丘を越えたところで再び南下を始めた。
リスティの情報は正確だった。人目に触れることも、危険な目に遭うこともなく、二人は順調に国境線へと向かっていく。荒れ地の先の森を抜け、川を渡ったところで、二人は馬を下りた。
「ここまで、ありがとう」
馬具をすべて外し、馬の首を優しく撫でてシンシアが言う。
「いざ、国境線へ!」
荷物を背負い、大きく息を吸って、二人は歩き出した。
カサールとキルグの国境線は比較的短い。とは言え、そのすべてを監視することは不可能だ。監視の目がほとんどない場所、あるいはほとんどない時間帯はある。
徒歩で移動を開始した翌日の深夜。二人は、岩肌のむき出しになった崖の下に立っていた。
今夜は薄曇り。弱々しい月明かりでは、崖の上まで見通せない。それでも、垂直に立ち上がる目の前の崖に、草木が一本も生えていないことだけは分かった。
「情報通り、普通には登れないな」
見上げるヒューリの隣で、シンシアも崖を見上げる。
「気を付けろよ」
声を掛けられたシンシアは、ヒューリを見ずに頷いて、小さくつぶやいた。
「お願い」
次の瞬間、シンシアの身体が浮き上がる。上を見上げたまま、シンシアはゆっくりと上昇していった。
長時間の飛行はできなかった。二人で飛ぶこともできなかった。しかし、短い時間、特定の方向に飛ぶことならばシンシアにもできた。
崖の上に着いたシンシアは、鞄から長いロープを取り出すと、片方を木に括り付け、もう片方を崖下に投げる。そのロープがピンと張ったかと思うと、驚くほど短時間でヒューリが登ってきた。
「楽勝だったな!」
笑うヒューリの横で、ロープを束ねながらシンシアが言う。
「あの人の情報にあったのは、この場所まで。ここから先は、情報がない」
冷静な言葉に、ヒューリが答えた。
「問題ないさ。ここから先は、私の庭だ」
そしてヒューリは南を向く。
その顔に笑みはない。険しい顔で南を睨み付けて、ヒューリは、強く足を踏み出した。
国境を越えた二人は、森を抜け、山を越えて南下を続ける。途中、獣や魔物はいたものの、キルグの兵に出会うことはなかった。
キルグ領内に入ってから二日目の午後。二人はついに、盆地を見下ろす山の尾根に辿り着く。
遠くに見える大きな建物を見ながらシンシアが聞いた。
「あれが、お城?」
聞かれたヒューリは、答えない。シンシアと違う方向を向いたまま、ヒューリはまったく動かなかった。
「ヒューリ?」
シンシアが、心配そうにヒューリを見る。
それでもヒューリは動かない。
「ヒューリ」
もう一度名を呼んで、シンシアがヒューリの腕を握った。
ようやくヒューリがシンシアを見る。血の気の引いた真っ青な顔で、シンシアを見た。
「……大丈夫だ」
そう言うヒューリの顔は、とても大丈夫そうには見えない。
「とりあえず、山を下りよう。ここじゃあ寒くて夜を明かせない」
歩き始めたヒューリをシンシアが追った。言葉を交わすことなく、二人は黙々と山を下りていった。
クランには、鉄や銅、金や銀、そしてミスリルやアダマンタイトなどの稀少金属を産出する鉱山がいくつかある。そのうちの一つが、二人のいる山の中腹にもあった。
岩影から様子を窺いながら、ヒューリが言った。
「ここで暗くなるのを待とう。夜になれば、鉱夫たちの休憩小屋が使えるはずだ」
この鉱山の規模は小さい。鉱夫たちは、日が暮れると麓の村に引き上げてしまう。夜は無人になるはずだ。
シンシアも、岩影からそっと顔をのぞかせた。木造の小屋が二軒見える。その向こうには坑道の入り口があって、数人の鉱夫が出入りしていた。
そのうちの一人、年輩の鉱夫が、鉱石を積んだ手押し車を押している。おぼつかない足取りでふらふら歩くその姿は、何とも危なっかしい。ハラハラしながらシンシアが見守るが、心配した通り、ちょっとした段差につまずいてその鉱夫は転んでしまった。
手押し車がひっくり返って、積んでいた鉱石がばらまかれる。そこに、武装をした一人の男がやってきた。
「貴様!」
大声で怒鳴り付けたかと思うと、その男は、起き上がろうとしていた鉱夫の腹を容赦なく蹴り上げた。
「かはっ!」
呻き声を上げて鉱夫がうずくまる。直後、ほかの鉱夫たちがバラバラと駆け寄ってきて、仲間をかばうように男の前に立った。
「何だ貴様ら、その反抗的な目は」
逞しい鉱夫たちに睨まれながら、しかし男は平然としていた。
「貴様らは愚民なのだ。反抗する資格などないことは、自分たちがよく分かっているだろう?」
嘲りの言葉を受けて、鉱夫たちは、何も言い返すことなく唇を噛む。
その鉱夫たちの背後から、もう一人武装した男がやってきた。そして、鉱夫の一人にいきなり槍の柄を振り下ろす。
「ぐあっ!」
突然の衝撃と激痛に、悲鳴を上げて鉱夫が倒れ込んだ。
「やめろ!」
仲間の鉱夫が叫ぶ。
叫んだ鉱夫に槍を突きつけて、男が言った。
「クランの民は大罪人だ。お前たちは大きな罪を犯したのだ。その罪が消えることは決してない。お前たちは、一生俺たちに従うしかない。そうだよな?」
言われた鉱夫が、槍の穂先を睨み付け、拳を握り、そしてうつむく。ほかの鉱夫たちも、力なくうつむいた。
最初の男が剣を抜く。それを鉱夫たちに向けて、高圧的に怒鳴った。
「分かったら、さっさと持ち場に戻れ!」
仲間を助け起こして、鉱夫たちが動き出した。ノロノロとした動きに、剣の男がまた怒鳴る。
「さっさと行け、このクズども!」
怒鳴りながら、立ち上がり掛けていた一人の鉱夫を蹴り飛ばした。
地面に転がり、顔をしかめ、しかし鉱夫は何も言わずに立ち上がる。全員が下を向いたまま、顔を上げることなく持ち場へと戻っていった。
剣を肩に担いで男が笑う。柄に特徴のあるやや大振りの剣。それを肩に担いで、男はにやにやと笑っていた。
ギリギリギリ……
何かが軋む音がした。
ジリ……
地面を踏み締める音がした。
殺気が膨れ上がっていく。空気が震えるほどの強烈な殺気が溢れ出す。
両腕が動いた。二本の剣を、二本の手が握り締める。
腰が沈んだ。身体が前に傾いていった。
その時。
ガシッ!
小柄な身体が、燃え上がる身体を抱き留めた。
揺らめく赤い炎を、岩影へと強引に引きずり戻す。
「耐えて!」
震える声がした。
「お願い!」
必死に声が訴える。
殺気が消えていった。炎が、消えていった。
抱き締めながら、シンシアが泣く。
抱き締められながら、ぼろぼろ、ぼろぼろと、ヒューリも泣いていた。
日が暮れると、鉱夫たちも監視をしていた男たちも山を下りていった。人気のない鉱山の休憩小屋で、二人は膝を抱えている。
「家が、なかったんだよ」
ヒューリがつぶやいた。
「丘の上にあった私の家がね、なくなっちゃってたんだ」
盆地の中央にあるクラン城。そこから西、盆地の縁の小高い丘にあった屋敷。キルグの侵攻から国を守るため、町の異変をすぐ知るために、丘の上に建てられていたヒューリの生家。
周囲の山のほとんどの場所から、その二つの建物は見付けることができた。統治の象徴と守護の象徴。
遠目に見る限り、町に侵略の爪痕は見られなかった。城も、昔のままで健在だった。
それなのに、見慣れた風景のその中に、ヒューリの家だけがなかった。
「クランの民は、不屈の民なんだ。強い民だったんだ。それなのに、あれは何だ? 大罪人って、どういうことだ?」
ヒューリの声は、どこまでも弱々しい。
「いったい何が……」
言葉が途切れた。
暗闇の中で、少女が動く。
「覚悟はしてたんだ」
隣の少女に肩を預ける。
「覚悟は、してたんだよ」
握られた手を、涙を堪えながら、ヒューリはぎゅっと握り返していた。
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