刀傷の男

 ミナセが前方を睨み付けている。

 その顔は、今まで誰も目にしたことのないような、ぞっとするほどの恐ろしい表情だった。


 その体からは、強烈な殺気が溢れ出している。

 ヒューリもフェリシアも動けない。自分が睨まれている訳でもないのに、体がすくんで動けなかった。

 リリアたちは、目を見開いたまま、ただミナセを見つめることしかできない。


「ミナセ……」


 かろうじて声を出すことのできたヒューリが、ミナセの睨んでいる方向にゆっくりと顔を向ける。


 そこには、男がいた。

 立ち止まって、やはりこちらを、ミナセを見ている。


 背はかなり高い。

 腰には大振りの剣。

 髪はボサボサで、服はボロボロ。

 そしてその目は、獲物を狙う猛獣のようにギラギラしていた。


「久し振りだな」


 男がニタリと笑う。

 その瞬間、ヒューリの膝が勝手に震え出した。


「な、何だこいつは……」


 戦場で何度もヒューリの命を救ってきた動物的本能。見えないものをヒューリに見せてきた、第六感。

 それが、ヒューリに最大級の警鐘を鳴らしていた。

 

 だめだ

 こいつから離れないと、私は死ぬ!


 殺気は感じる。だがそれは、ミナセの発する強烈な殺気に比べればまるで大したことはない。

 それなのに。


 震えるヒューリのことなど見向きもせずに、男が言った。


「強く、なったか?」


 男の声で、ミナセの殺気がさらに膨らんでいく。

 野良猫が、毛を逆立てながら後ずさる。屋根の上から鳥たちが一斉に飛び立っていく。

 異様な空気に、通行人も近寄ることをしない。六人と男を中心に、異質な空間が現出していた。

 静まり返るその空間で、ミナセをじっと見ていた男が言った。


「あくまで俺の勘だが」


 低い声で言った。


「まだ足りないな」


 ギリッ……


 ミナセの奥歯からはっきりと音が聞こえた。


「だが」

 

 再び男がニタリと笑う。


「出会ってしまったからな。お前が戦いたいっていうなら、いいぞ。全力でお前を殺してやる」


 男が、ボロボロの上着に手を掛ける。

 そして、それを無造作に脱ぎ捨てた。


「!」


 ヒューリが目を剥く。

 フェリシアが息を呑む。

 リリアが、シンシアが、ミアが、怯えたようにそれを見た。


 男の体は、餓えた獣のように、無駄な肉など一切ない。

 ギリギリまで鍛え上げ、ギリギリまで絞り切った、見ていて息が詰まるほどの肉体。

 しかし、みんなの動きを止めたのは、それではない。


 その肉体に刻まれた、刀傷。

 その体に刻まれた無数の刀傷が、五人の心を凍らせた。 


 いったいどんな戦い方をしたら、あれほどの傷を負うというのだろうか。

 いったいどうしたら、あれほどの傷を負ってなお生き残れるというのだろうか。


 想像を絶するその傷に、五人は恐れ、恐怖した。


 男の右手が剣にかかる。

 ミナセの両手は、爪が食い込むほど強く握られ、震えていた。沸騰しそうな感情を必死になだめ、溢れ出す殺気を渾身の力で抑えようとしている。

 しかしその努力は、無情にも報われることはなかった。強靱な意志を上回る、強烈な感情がミナセを支配していく。

 右手が、震えながらゆっくりと剣を握る。ミナセの腰が、少しずつ落ちていった。


 止めなきゃだめだ!


 みんなが思った。


 ミナセを戦わせたらだめだ!


 全員がそう思った。そう思ったのに、体が動いてくれない。

 それどころか、呼吸すらうまくできない。自分の命を保つことさえ難しいと、全員が感じていた。


 そのプレッシャーの中。

 視界が霞み、意識が遠のいていくほどのプレッシャーの中。


「ミナセさん!」


 リリアが、ミナセの背中にしがみついた。


「だめです!」


 ヒューリやフェリシアさえも動けなかったそのプレッシャーの中で、リリアだけが動いた。


「お願い!」


 リリアの叫び。必死の叫び。

 顔をミナセの背中に押し付け、震える両手でミナセを抱き締めて、リリアが叫んだ。


「ふぅぅぅ……」


 ミナセの殺気が鎮まっていく。

 長く、大きく息を吐き出して、ミナセは、右手を剣から外した。


「この町の」


 男に向かって、掠れた声でミナセが言う。


「西門を出て南に行くと、大きな川に出る。その河川敷で、あさって、二日後の夜明けに会いたい」


 絞り出すように、ミナセが言った。

 男が三度、ニタリと笑う。


「いいだろう。二日後の夜明け、南の河川敷だな」


 そう言うと、男はミナセから目をそらすことなく足元の服を拾う。そしてゆっくりと後ずさり、十分な間合いをとってから、向きを変えた。


「俺の勘が外れることを、期待している」


 そう言い残して男は歩き出し、そのまま雑踏の中へと消えていった。



「プハァッ!」


 ヒューリが一気に息を吐き出した。


「あいつはいったい何だ!?」


 顔を強張らせたままでヒューリが聞く。

 ミナセはそれに答えることなく、しがみついたままのリリアを、少し強引に背中から引き剥がした。

 いっぱいの涙を湛え、体を震わせながら自分を見上げるその瞳を、ミナセが見つめる。

 そして、顔だけをヒューリに向けて言った。


「奴には近付くな」


 それだけ言うと、リリアの髪を一つ撫でて、歩き出す。

 男とは反対の方向に、ミナセは黙って歩いていった。


「あっ……」


 リリアが小さく声を上げる。しかし、それ以上の言葉は出てこない。

 人混みに消えていくミナセの背中を、五人はなす術なく見送ることしかできなかった。

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