長い夜
事務所の中は静まり返っている。とても六人がいるとは思えないその静寂は、ひたすら重く、ひたすら苦しかった。
「ミナセさんがどういう結論を出そうとも」
マークがようやく口を開く。
「俺が愛刀を預かっている以上、その男と会う前に、ミナセさんは必ず戻ってくるよ」
五人は黙って頷くが、その瞳は不安に揺れている。
「私は、ミナセが戻るまで待つ」
ヒューリが言った。
「ミナセ、宿に帰るかもしれないわよ」
「いや、あいつはここに来る。私なら絶対そうする」
きっぱりとヒューリが言い切った。
「じゃあ、私もそうするわ」
フェリシアも続く。
その時、ミアが立ち上がった。
「私は、一度宿屋に行ってきます。今夜は戻らないことを言っておかないと」
意外にも常識的なことを言う。
ずっと集団生活をしてきたミアらしい発想だった。
「もしミナセが宿に戻ったら、ここに来るように伝えてもらって」
「分かりました!」
フェリシアに答えて、ミアは玄関を飛び出していった。
「俺も刀を取ってきて、今日はここに泊まろう。リリア、シンシア。すまないが、よろしく頼む」
「そんなこと気にしないでください!」
マークの言葉に、リリアが強く返事をする。
隣でシンシアも大きく頷いていた。
リリアを中心に、たくさんの野菜と有り合わせのもので夕食が用意された。本当なら楽しいパーティーになるはずだったのだが、今は誰もがただ黙々と食事をしている。
やがて、ヒューリがぽつりと言った。
「ミナセのこと、何にも知らなかったんだよな、私たち」
リリアが、小さな声で続く。
「何となく、聞いちゃいけないことのような気がしてました」
みんながうつむいた。
短い会話は途絶え、部屋の中が、また静かになった。
エム商会最初の社員。みんなが入社した時、ミナセはすでにいて、全員が何かしら世話になっている。
生真面目なミナセ。優しいミナセ。
マークが不在の時でも、ミナセに相談すればトラブルも解決できた。
みんなの支え。みんなの、大きな支え。
そんなミナセのことを、しかし誰もがよく分かっていなかった。
あの男はいったい何者なのか?
過去にいったい何があったのか?
ミナセの過去、ミナセが抱えているもの。それをみんなは、知らないままに過ごしてきた。
だが。
みんなの心を重くしているのは、そのことではない。ミナセの過去がどうであろうと、ミナセに対する気持ちが変わる訳ではなかった。
みんなを不安にさせているもの。
それは、この後起きるかもしれない出来事。
ミナセと、あの男の戦い。
ミナセは強い。無敵のエム商会と言われる中の、最強。
しかしあの男は、もしかするとミナセより……。
「社長」
ヒューリが、フォークを置いてマークを見る。
「もしミナセが、あの男と戦うって言ったら」
思い詰めたように、マークを見た。
「ミナセを、止めていただけないでしょうか」
切実な頼み。ヒューリの、心からの依頼。
全員がマークの答えを待つ。
マークは、いつだって私たちのことを考えてくれてきた。ミナセのことだってきっと……。
しかし、マークの答えは、みんなの予想を裏切るものだった。
「俺は止めないよ」
「えっ!?」
全員が驚いて声を上げる。
「どうしてですか!?」
ミアが大きな声で叫んだ。
リリアもヒューリも、シンシアもフェリシアも、大事な場面で発するマークの言葉の重さを知っていた。だから、咄嗟に何も言えなかった。
でも今は、反応してくれたミアと気持ちは同じだ。
再び全員がマークの答えを待つ。
マークが、やはり静かに答えた。
「俺は、ミナセさんを信じているからだ」
ダンッ!
ヒューリがテーブルを叩いて立ち上がった。
「私だって信じてますよ! でも、今回だけはダメなんです! 絶対にミナセを戦わせちゃダメなんです!」
身を乗り出してマークに迫る。
「社長はあいつを見てないからそんなことが言えるんですよ! あいつはやばい、絶対にやばい!」
ヒューリの体が小さく震えている。
「あいつはミナセより、たぶん、強い」
本能が伝えたあの男の恐怖を、ヒューリは思い出していた。
「私も、ヒューリと同じ意見です」
フェリシアが、やはりこわばった顔で話し始める。
「あの時のミナセは、私も動けなくなるくらいに怖かった。そんなミナセに平然と勝負を挑めるなんて、尋常じゃありません。ミナセはあの男と戦うべきではないと、私も思います」
くぐり抜けてきた死地の数ではヒューリに劣らないフェリシアが、真剣な目をしている。
沈黙。
その後。
「それでも俺は、ミナセさんを信じる。それだけだ」
強い意志をたたえた漆黒の瞳。
みんなを導き、みんなを救ってきた力強い言葉。
しかし、今回に限っては、みんなの心を鎮めることができていない。
反論はなかった。
でも、そこにいる全員が、不安と不満を抱えたままだ。
何度目かの沈黙。
その後。
「私は、社長を信じます」
リリアが言った。
「不安です。ちょっと納得できてません。それでも私は、社長を信じます。だから、ミナセさんのことも、信じます」
静かな声だった。
力強くはない。本人が言う通りの、不安を含んだ弱々しい声。
何かに縋らなければ耐えられない、マークを信じなければ冷静でいられない、そんな表情。
リリアの後に続く者はいなかった。
それ以上話す者は、誰もいなかった。
その夜エム商会の事務所では、長い長い夜を、それぞれが過ごすことになった。
翌、土曜日。
ミナセのいないまま朝の修行は行われた。
集中力のないシンシアがヒューリに怒鳴られ、やけくそ気味のミアがリリアの投げでしたたかに背中を打ち付ける。
「今日は止めにしましょう」
フェリシアの一言で、修行は終わった。
今日は全員仕事がない。
中庭の小屋で順番に汗を流し、事務所で朝食を取る。
そして六人は、イスに腰掛け、あるいはソファにもたれ、あるいはウロウロと歩き回りながら、ミナセを待った。
やがて。
ついに。
「ミナセさん」
マークが突然つぶやいた。
その声で、全員が動きを止める。
ガチャ
扉が開いた。
全員が玄関に目を向けた。
ゆっくりと扉が開いていく。
扉の向こうに、ミナセがいた。
「ご心配をお掛けして、すみませんでした」
気配を感じたのか、それとも、みんなならそうすると思ったのか。
ミナセには、全員が揃っていることが分かっていたようだった。
「ミナセさん!」
リリアが胸に飛び込む。
「リリア……」
栗色の髪をそっと撫でながら、しかしミナセの顔は、笑っていなかった。
「ミナセ、あの男と戦うのか?」
「ダメッ!」
「止めたほうがいいわ」
「止めたほうがいいです!」
一斉に声が上がった。
その声を、ミナセは固い表情で聞いている。
詰め寄る仲間たちを、ただ黙って見つめている。
ふと。
「お帰りなさい。まずは、座ってください」
部屋の奥から静かな声がした。その一言で、みんなは黙った。
かすかな笑みを浮かべて、ミナセが言う。
「ありがとうございます」
リリアが、涙を拭いながらミナセから離れた。
ミナセは、もう一度リリアの髪を撫でてから部屋の中に入る。そして、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
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