あなたのことが

 いつもと違う、夢を見た。


 春の終わりの暖かな日差しが降り注ぐ、緑の匂いに満ち溢れた草原にミナセはいる。

 あの日三人でやってきた草原。そこにある、白い花をいっぱいに咲かせた木のすぐ横に、父と母が立っていた。

 二人は、何も言わずにミナセを見つめている。


 ミナセは二人に近付こうとした。

 足を踏み出そうとした。


 でも、やめた。


 二人が拒んでいる訳ではない。

 だけど、何となく聞こえたような気がしたのだ。


「お前も、幸せになりなさい」


 ミナセが答える。


「はい」


 微笑みながら答えた。


「私も、幸せになります」


 そしてミナセは踵を返す。

 そこにある広い背中を見る。


 その背中が歩き始めた。

 それを追って、ミナセも歩き始める。


 どこに行くのかも分からない。

 どこまで行くのかも分からない。


 だけど、ミナセには不安の欠片もなかった。


 私は絶対、幸せになる


 力強く大地を踏みしめながら、ミナセは、前に向かってしっかりと歩いていった。




 ゆっくりと、ミナセが目を開ける。

 見慣れた天井。

 

 ここは……事務所?


 突然、聞き慣れた声がした。


「気が付きましたか?」


 横を向くと、マークがいた。

 意外なほどの近さにミナセが驚く。


「社長!」

「しーっ!」


 マークが唇に人差し指を当て、そして周りを見た。

 半身を起こして、ミナセも自分の周りを見る。


 リリアとシンシアが、ミナセの足元に突っ伏したまま眠っていた。

 フェリシアとミアが、もう一つのソファにもたれて眠っていた。

 ヒューリが、すぐ下の床に転がって眠っていた。


「みんな……何で?」


 起きたばかりでぼうっとしているせいか、状況がつかめないままミナセがつぶやく。


「気を失ったミナセさんを、俺がここに運んだ。みんなが事務所で待っていて、今に至る。そんな感じです」


 簡単な説明だったが、ミナセにはそれで理解できた。

 同時に、戦いの記憶が甦る。


「あの……ありがとうございました」


 改めてマークを見ながら、ミナセが礼を言った。


「ミナセさんを運んできたことへのお礼と言うなら、まあ、どういたしましてというところですが」


 マークが笑う。


「戦いについて言えば、俺は何もしていませんよ。あの男にミナセさんは勝った。自分の力で勝ったんです。掛け値なしに凄いと思いますよ」


 心底感心したようにミナセを誉めた。


「そんな」


 ミナセがうつむく。

 その目が、マークの膝に載っている愛刀を見付けた。


「あ、それ……」


 視線に気付いたマークが、それを両手で持って、ミナセに差し出す。


「いちおう手入れはしておいたのですが、確認してもらってもいいでしょうか?」

「えっ?」


 手入れをしてくれた?

 社長が?


 意外な言葉に驚きながら、ミナセが愛刀を受け取る。

 そしてゆっくりと、それを抜いた。


 刀はきれいに磨かれていた。

 美しい刀身に、ミナセの顔がはっきりと映り込んでいる。


「お預かりしていた間も時々手入れはしていたのですが……」


 マークの言葉に再び驚いて、ミナセは目を丸くした。

 この刀は、アダマンタイトでできている。そして魔法による強化済みだ。放っておいても錆びることはない。

 だから預ける時も、ミナセはマークに何も言わなかった。

 それなのに。


 パチン


 ミナセが、刀を鞘に納める。

 それをそっと抱き締めて、ミナセが言った。


「ありがとう、ございます」


 ミナセが、またうつむく。その様子に、マークは戸惑った。

 ミナセの表情は、長い黒髪に隠れてはっきりと分からない。

 マークは、ミナセの心を読むのが苦手だ。黙り込んでしまったミナセに、何を言っていいのか分からなかった。


「えっと、喉、乾いてませんか? 何か飲み物でも……」


 取って付けたようにマークが言う。

 聞かれたミナセが、刀をぎゅっと抱き締めた。うつむくその顔を、さらにうつむかせる。

 やがて、ミナセが答えた。


「では、お願いがあります」


 か細い声で答えた。


「はい。えっと、あんまり難しいものは……」


 水かハーブティーくらいしか、自分には用意できないんだけど


 少し緊張しているマークに、ミナセが言った。


「あの時みたいに」


 小さな声で言った。


「戦いの最中、私に力をくれた時みたいに、これからも私のことを、呼んでいただけないでしょうか」

「えっ?」


 マークはまた戸惑う。

 飲み物の話などでは全然なかった。


 あの時は、思わず口を突いて出てしまった。

 ミナセを失いたくない、そんな思いが、あんな風にミナセを呼ばせた。


「お願い、できないでしょうか」


 うつむいたままで、ミナセの表情はやっぱり分からない。

 それでも、マークには分かった。

 か細い声に込められたその願い。小さな声に込められた真剣な願い。


 マークが、ちょっと恥ずかしそうに上を向く。

 ミナセの向こうの壁を見る。

 目だけをちらりと動かして、刀を抱き締めたままのミナセをちらりと見た。


 そして一つ、咳払いをする。


「分かりました。では」


 マークがミナセを見た。

 しっかりとその姿を見つめ、はっきりとした声で言った。


「ミナセ」

「はい」

「よく頑張ったな」


 ミナセが顔を上げる。


 生真面目なミナセ。

 剣一筋で生きてきた、強くなることだけを真っ直ぐに目指してきたミナセ。


 そのミナセが、微笑んでいた。

 嬉しそうに、ちょっと恥ずかしそうに微笑んでいた。


 艶やかな黒髪がはらはらと流れる。

 神秘的な黒い瞳が揺らめいている。

 美しいその顔はわずかに上気していて、少女のように初々しい。

 今までマークが見たことのない、今までミナセが見せたことのない表情。


 マークは、ミナセに見蕩れた。


「社長」


 ミナセがマークを見つめる。

 自分と同じ色の、大きく広がったままの黒い瞳を真っ直ぐに見つめる。


 そしてミナセは言った。

 はっきりと自覚したその気持ちを、心から溢れ出るその言葉を、とても自然に言った。


「私は、あなたのことが……」








「もう無理です!」


 突然大きな声がした。


「なんだ!?」


 眠っていたみんなが一斉に飛び起きる。

 そこに再び声がした。


「フェリシアさん……もう、食べられません……」


 寝ぼけた声で、ミアが言った。


「ミア! 驚かさないで!」


 隣で寝ていたフェリシアが、プンプン怒りながらミアのほっぺたをつねる。


「ふえぇっ! 痛い、痛いです、フェリシアさん!」


 今度はミアが飛び起きた。

 そしてきょろきょろと辺りを見回して……。


「ミナセさん!」


 またもや大きな声で叫んだ。

 みんながそれに反応する。


「ミナセさん!」

「ミナセ!」


 みんながソファを囲む。

 ミナセは、そんなみんなを見て、ちょっとだけ残念そうな顔をした後、笑って言った。


「みんな、ただいま」

「お帰りなさい!」


 リリアが、ヒューリが、シンシアが、フェリシアが、ミアが飛び込んでいった。

 ミナセの腕を、頭を、肩を、お腹を抱き締める。

 笑顔と泣き顔に囲まれながら、ミナセはそっと目を閉じた。


 お父様、お母様。私、今とても幸せです


 春の終わりの暖かな日差しの中で、二人が嬉しそうに笑っている。

 そんな二人のすぐ横で、いっぱいに咲いたミズキの花も、嬉しそうに笑っていた。



 第九章 了

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